
2004-01-03

実家から戻ってきた。実家にいる間は,とにかく食っちゃ寝ての暮らしぶりだった。一日あたり16時間は寝ていたと思う。制限が無ければ,本当にどこまでも寝てしまう。
年末年始の間,家にいる時は Electribe をいじくって遊んでいた。結構面白いな,これ……。
http://www.radiumsoftware.com/files/emx0.mp3
マスターするには程遠いものの,なんとなくクセは分かってきたような気がする。
結局のところ,性能的にかなり制限されたシンセサイザーなので,「これ1台で何でも」というわけには行かない。コンセプトをよく理解して手を出さないと,期待を裏切られたような感覚を持ってしまうかもしれない。
最も顕著なのは発音数の限界だ。シンセパートは基本的にモノフォニック(単音)なので,和音を作るには複数のパートを重ねる必要がある。 "Chord" オシレータを使えば任意のコードの和音を鳴らすことが出来るものの,基本波形しか使うことができないし,コードの切り替えがノブにアサインされているため,操作性も至極悪い。
和音が無くとも,アシッドハウスのような薄めのダンス系ジャンルをカバーすることは可能だろうと思う。しかし例えば,アナログシンセ系のストリングやパッドを厚く畳み掛けるような表現などは,不可能に近いものがある。
結局,その辺りの「割り切り具合」を理解して,絞った用途に利用するのが正解なのだろうと思う。個人的には,趣味の道具として使う分には,このくらいの制限がかけられていた方が「狭く深く掘り下げる」ことができるので,むしろ好都合なのではないかと考えている。「浅く広く」ってのは,結局後に何も残らないことが多いんだよね……。
オシレータやエフェクトの多彩さは,及第点に達していると思う。シンセが5パートというのも,用途を考える限りでは十分なレベルだ。ただ,エフェクトが3チャネルってのは,意外とすぐに足りなくなるような感触がある。 REASON のように,気の済むまでエフェクトを連結できる環境とは違って,少ないエフェクトをいかに使いまわすかという,ちょっとした悩みを抱えることになってしまう。
シンセパートの構成については無難にまとめられているものの,操作できるパラメータの数はかなり少なく,それがオシレータ本来の可能性を制限するものとなってしまっている。特に,エンベロープが単純な減衰型しか用意されていないのは不満だ。いわゆる "ADSR" を操作できれば良いのに……と,歯痒い思いをすることも多々ある。
その点, REASON に積まれていた仮想アナログシンセ "Subtractor" は,スタンダードな 2-VCO シンセながらも,汎用性がとても高く,個人的に気に入っていた。
http://www.cameo.co.jp/reason/closeup_subtractor2.htm
しかしまあ,ここまで汎用性を高くするには,ノブの絶対数を増やさなければならないから,設計仕様上無理があるのだろうと思う。むしろ,たった7つのノブでここまで出来ているんだから,頑張っている方だと考えるべきか……。
リアルタイム・アルペジエータの可能性については未だ計りかねるものがある。「手抜きの道具」としてはアリなんだけど,それが「演奏」と呼べるレベルに達するポテンシャルを持っているのかどうか,僕にはよく分からない。
このように,様々な制限はあるものの,現状で市販されているアナログシンセ系 DJ マシンの中では,最もユニークかつ汎用性の高い製品となっているのではないかと思う。実は,他の購入の候補として Roland の MC-09 ("PhraseLab") を考慮していたのだけれど,やはり総合的に見て Electribe MX の方が無難な選択だったと考えている。
http://www.roland.co.jp/products/mi/MC-09.html
http://www.amazona.de/content/musictools/hardware/synthesize...
ともかく,今後,このオモチャをいじる暇がどの程度あるものだろうかと思う。あと何度か話のネタに使うことができそうだけれど,どんなに頑張っても減価償却には程遠そうだ。
2004-01-04

実家に帰っている間,先日 amazon で購入した「コンピュータの発明」を読んでいた。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4902403005
結論から言えば,かなりマニア向け(?)な内容ではあるものの,非常にユニークな内容であり,満足することができた。
この手の歴史モノの本は,通常ならばジャーナリスティックな視点から時代を描き出すようなスタイルをとることになるのだけれど,この本はそのような書き方を真っ向から否定しており,むしろ教科書的でストイックなスタイルをとることに終始している。技術者の視点から望んだ「コンピュータ史」を描き出すことに主眼を置いているためだ。
以前にも引用したように,この本における著者の趣旨は,第一章「コンピュータ史の現状」の中に集約されている。その中で筆者は,他の書籍を(具体名を挙げて)批判を行った上で,次のように述べている。
このような趣旨であるため,これらのコンピュータの開発当時の世俗的な時代背景や,開発者の人物像などについては,本当に最低限の内容しか触れておらず,物語的な面白さのようなものは,ほぼ皆無と言ってよい状態となっている。そのような内容を期待してこの本に手を出してしまうと,大きく肩透かしを食らうことになってしまうだろうと思う。
その代わり,技術的な解説に関しては非常に充実したものとなっている。著者の技術者としての豊富なバックグランドもあって,通常なら無視されてしまうような「技術者であれば当然触れるであろう内容」に関して,余すことなく触れているのが心地よい。これらのコンピュータの開発が行われた具体的な動機や,何故そのような設計が選択されたのかという技術的な背景について,明解な解説が交えられている。要所には著者自身の見解なども添えられており,全体を通して読めば,コンピュータという技術の発祥について明解な俯瞰を得ることが可能になることだろうと思う。
バベッジの「差分エンジン」や「解析エンジン」は,どのような思考から導かれ,どのようなメカニズムによって実現が試みられたのか……あるいは,「アタナソフの ABC」と ENIAC の間に存在する技術的な間隙とは何なのか……そのようなマニアックな疑問に対して,具体的な回答を与えてくれるのが,この本だ。世に ENIAC を紹介した書籍は多くあれど, ENIAC のプログラミングの手順まで記した書籍は多くあるまいと思う。なんでも,この本の解説によれば, ENIAC はアキュムレータ毎に命令を同時発行することができたということだ。へえー!
この本の内容の中でも特にユニークなのは,書籍を通して繰り返し述べられる著者のチューリング・ノイマン批判だ。一般にはコンピュータ史における偉業として紹介されているアラン・チューリングおよびフォン・ノイマンの業績の数々が,この書籍においては「ありきたりな貢献の一つ」として片付けられており,しかも,それらの業績が過剰に評価されている現状に対して痛烈な批判を行うものとなっている。
例えば氏は,第七章「プログラム内蔵方式に関する国際的な理解とノイマン貢献の本質」において,次のような記述を行っている。
このような記述は書籍の各所に見られる。何か個人的な恨みでもあるんだろうかと思ってしまうほどだ。少し必要以上に批判を行っているようなきらいはあるのだけれど,それだけ,流布している一般論の危うさを重く見ているということなのだろうと思う。
2004-01-05
本文の中で著者は,コンピュータ史を読み解く上で重要となるポイントは,「プログラム制御方式」の存在と,その絶対的な「高速性」にあると述べている。このうち「プログラム制御方式」については,コンピュータの応用面において重要な役割を果たしていることが明白であるものの,この本で取り上げられているような初期のコンピュータ史においては,「プログラム」の概念はあくまでも副次的な産物に過ぎなかったことが感じられる。むしろ,その進化と拡散の原動力となったのは,コンピュータのもたらす絶対的な「高速性」にあったことが,著者の解説から伝えられている。
そもそも,バベッジが階差機関を考案したのは,数表を作成する際に求められる演算の正確さと速度を追求した結果にあった。また,国勢調査にパンチカード・システムが導入された背景には,人手での集計では増加する人口に対して処理能力が追いつかないという根本的な問題を解決する必要があったことが述べられている。その次に登場する戦時下の暗号解析機などは,まさに必要に迫られて作られた演算装置の代表的な例だ。 ENIAC のように完全に電子化されたコンピュータが生まれるのも,機械的デバイスの持つ速度的な限界を突破しようという動機があったからに他ならない。
「高速性」という点に着目した場合に,特にセンセーショナルに感じられるのは,ハーバード・マークIから ENIAC への進化における飛躍ぶりだ。ロータリー・カウンタ(歯車式の回転盤)や電磁リレーのような機械的デバイスを多用したハーバード・マークIは,それらの構成デバイスのもたらす処理速度の限界にあえいでいた。そのような状況に対して, ENIAC は膨大な数の真空管を利用することによって論理回路の完全な電子化を達成しており,また,ハードワイヤによるプログラム供給にも対応していたため(マークIは紙テープによるプログラム供給方式だった),マークIと比較して実に千倍以上の速度向上を実現することに成功している。このような点が, ENIAC をもってして「世界初の本格的なコンピュータ」と称される所以だ。
このような高速性の追求が技術面での進歩を象徴していることには間違い無いものの,それが必ずしもソフトウェア・エンジニアリング上の利便性には直結していないという点は,非常に興味深いところだと思う。例えば,ハーバード・マークIのアーキテクチャの解説において,著者は次のような記述を行っている。
奇妙なことに,ソフトウェア・エンジニアの心情は,時折,性能的に「劣った」ハードウェアの方に傾くことがあるように感じられる。しかし,「高速性」こそがコンピュータの機能性と応用性を支える柱であることは揺るぎようの無い事実だ。より少ない時間の中で,より多くの処理を実現することが,コンピュータの応用の幅を広げ,新たな進歩を生み出す原動力となる。このことは,これらの時代から現代に至るまで一貫して保たれてきた一つの真理であり,これからもエンジニア達にとっての「聖杯」として在り続けるのだろうと思う。
最後に,若干の不満点も挙げておきたいと思う。まず第一に,書籍としての体裁の不十分さが指摘されうるところだ。全体を通して誤植と見られる表記や意味のない空白(全角スペースだよね,これは……)などが見られ,また書式にも一貫性が保たれていない様子がうかがえる。
次に挙げられるのが,図表や数式等のクオリティの低さだ。体裁の不十分さと合わせて「下手な大学の教科書レベル」であるというのが率直な感想となっている。これらの欠点はこの本の価値自体をスポイルするものではないものの,組版や校正というような出版の基本要素において不十分な点が見受けられるのは残念なところだと思う。
ことあるごとにチューリングやノイマンを批判の対象として挙げている点に関しては,かえって主張に公平さを欠く要素となってしまっているように思える。コンピュータの技術面よりも理論面に焦点を当てた場合,チューリングの業績は決して小さくないものであると思うのだけれど,それをも否定してしまうような強い拒絶感が,筆者の論調からは伝わってくる。
以上のように細かな欠点は存在するものの,それらを十分にカバーして有り余るほどの魅力が,この本にはあると感じる。特に,著者の視点のユニークさは特筆すべきものであり,「コンピュータ史マニア」にとっては必見の書であると薦められるほどのものになっているというのが,僕の最終的な結論だ。
2004-01-06

新春早々,職場で風邪が流行っているようだ。自分も気をつけないと……。
ふと思い出したように ThinkGeek を覗いてみた。特に入り用があったわけではないのだけれど,この手のショップは定期的にチェックしてみると,たまに思わぬ発見と出くわすことがあって面白い。
久しぶりの ThinkGeek には,新商品がいくつか追加されているようだった。特に目を引かれたのは,以前方々を探し回った記憶のある "Namco TV Classic 5 in 1" だ。
http://www.thinkgeek.com/cubegoodies/toys/63f2/
とうとう ThinkGeek でもこの商品の取り扱いを始めたようだ。いやあ,もうちょっと早く始めてくれていれば,無駄な苦労もせずに済ますことができたのに……。
この商品は,最近よく見られるようになった「TVに繋ぐだけで遊べる」タイプのTVゲーム機だ。単三乾電池4本を本体にはめ込み,プラグをTVに繋ぐだけで,往年のナムコの名作ゲーム5本を遊ぶことができてしまう。
この "Namco 5-in-1" は Jakks Pacific 社の "TV Games" シリーズとして開発された製品だ。
このシリーズのラインナップには他に "Activision 10-in-1" や "Atari 10-in-1" などが存在する。どちらも Atari 2600 用ゲームソフトの有名どころを10本搭載したゲーム機だ。
これらの "TV Games" シリーズと,巷に溢れている "x in 1" 製品との大きな違いは,この製品はちゃんとオリジナル開発元のライセンスを得ている正規品であるということだ。この手の製品は殆どがパチもんだからなあ……。
また,正規品らしく本体のデザインやパッケージングなども洗練されており,全体的に好感の持てる仕上がりとなっている。特に今回の "Namco 5-in-1" の本体デザインなどは,非常に秀逸なものであると言えるのではないかと思う。
今回の "Namco 5-in-1" に関して興味をそそられるのは,これがどのようなハードウェアによって実装されているのかという点だ。前出の "Atari 10-in-1" 等については,実際に触ってみたところ, Atari 2600 の互換ハードウェアが搭載されているような雰囲気が感じられた。恐らく,ソフトウェア自体はオリジナルのバイナリに対してメニューを付加しただけのものだろうと思う。
しばらくの間,情報を求めてウェブ上を探し回ってみたところ,唯一,次のようなレビュー記事を見つけることができた。オールドゲームファンサイト "Phosphor Dot Fossils" による製品レビューだ。
http://www.thelogbook.com/phosphor/edit/namcotv/
このレビューには幾つかの参考になる情報が挙げられている。特に興味を誘うのは,オリジナルのゲーム内容に対して施されているいくつかのアレンジについてだ。
ページの下の方にある画面写真を見てみれば一目瞭然なのだけれど,奇妙なことに "RALLY-X" と "Bosconian" が横長画面になっている。これらのゲームは多数のプラットフォームに移植されているものの,このようなアレンジの施されたバージョンは他に見たことがない。したがって,この製品は新たに書き起こされたソフトウェアによって動いている可能性が高いと言えるのではないかと思う。
件のレビュー記事では,この「横長画面化アレンジ」を「独創的な移植」と評しつつも,その効果に対しては否定的な感想を述べている。「横長化」されたことによって,レーダー表示とゲーム画面が重なってしまい,やたらと見難くなってしまうためだ。特に, "Bosconian" において「レーダー上のドットが敵の弾に見えてしまう」というのは,かなり致命的な欠点だ。結論として,この「横長化」アレンジの施された2本については,「まともにプレイすることは不可能」との辛口の評価を与えている。
画面写真からもう一つ分かることは,このソフトウェアの開発元が "HOTGEN" という会社であるということだ。これはどうやら,イギリスの HotGen 社のことを指しているらしい。
ともかく, Electribe によってすっかり物欲を発散してしまった今となっては,この商品を買う気はさほど起こらなかった。否定的なレビューもあったということで,今回は見送ろうと思う。数ヶ月前だったら,喜んで飛びついていたのだろうけど……。
2004-01-07
去年の暮れから今年の正月にかけて,計三冊の本を読んでいる。一冊目は能澤徹氏の「コンピュータの発明」であり,二冊目は田中雄二氏の「電子音楽 in JAPAN」,三冊目は Brad King, John Borland 共著の「ダンジョンズ&ドリーマーズ」だ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4902403005
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757208715
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797324880
「コンピュータの発明」は実家で寝正月を過ごしている間に読み終え,その次の「電子音楽~」については,自宅に戻ってきてから適当に読み流して済ませた。「ダンジョンズ~」は今読んでいる最中だ。通勤中は別の資料を読んでいるので,なかなか読書が進まない。まあ,次の休日には読み終えることができるだろうと思う。
「電子音楽 in JAPAN」は,自分の中でにわかに高まっていたシンセ熱に乗って,勢いで買ってしまった本だ。ただ,結論から言ってしまえば,かなり期待外れの内容で肩透かしを食らうことになってしまった。
書籍の内容は,シンセサイザ自体の歴史というよりかは,シンセサイザの進化と共に歩んだ70~80年代の電子音楽シーンを,その時代の体験者である著者自身の視点から総括する……というようなものとなっている。主な内容は,アーティストや楽曲,それからシーン全体などの論評および分析であり,シンセ自体に関連した記述は比較的少ない。また,筆者の専門分野が音楽評論であるためか,技術面での裏付けに関してはかなり危ういものが感じられる。技術的な解説の中には,思わず首を傾げてしまうような記述も少なくない。
もっとも,このような内容は恐らく本来意図された通りのものであり,「期待外れ」なのは,ひとえに僕の一方的な勘違いが原因だ。書評だけを見て内容を想像し,勘で注文してしまったのが間違いだった。ネット書店におけるショッピングの「落とし穴」に,まんまとはまってしまった構図だ。書店に赴いて実物を手に取り,中身を吟味してから購入を決めていれば,こんなミスを犯すこともなかったはずだ。
ともかく,分量の点では非常に充実した内容の書籍となっている。大量の資料と著名人へのインタビュー,それから,著者自身の持つ膨大な知識によって構成される内容は,これ以上は無いというぐらいに濃いものだ。それが総計で580ページ分も用意されているというのだから(一般的な英和辞書ぐらいの厚みがある),この手の世界に思い入れのある人にとっては,非常に興味深い本となるのではないかと思う。
しかし結局は,著者自身の独自解釈によって繰り広げられる「電子音楽」の世界を受け入れられるかどうかによって,その評価はだいぶ異なってくるかもしれない。個人的には,この,何と言うか……いわゆる「宝島テイスト」には,微妙な居心地の悪さを感じてしまう。
そんなわけで,内容がどうこうと言う以前に,こちらが勝手に勘違いをしてしまっていたということで,適当に読み流すのみに留めておいた次第だ。もうこれで,この件についてはおしまい……。
「ダンジョンズ&ドリーマーズ」は,一言で表せば,アメリカにおけるゲーム・カルチャーの変遷を記した本だ。 "Ultima" シリーズや "Doom", "Quake" 等の著名タイトルを軸として,それらの作品から発生したゲーマー・コミュニティの成長と,それらすべてを取り巻くゲーム・カルチャーの歴史について,ドキュメンタリー仕立てに記している。
http://www.dungeonsanddreamers.com/
そもそも,この本の存在を知ったのは ITmedia の紹介記事だった。
http://www.itmedia.co.jp/news/0312/26/nj00_dungeons.html
既に読み終えた部分に関しては,ゲーム自体に関する記述よりも,そこから生まれたコミュニティの働きについて多く言及しているような感じがある。ただ,本の前半部分については, "Ultima" シリーズの生みの親であるところのリチャード・ギャリオット氏個人の伝記であると言った方が的を得ているかもしれない。アメリカ南部はヒューストンの恵まれた家庭に生まれたリチャード氏(氏の父のオーウェン氏は世界的に有名な宇宙飛行士だ)が,テーブルトーク RPG の魅力にとりつかれるうちに,自身の会社であるオリジン社を設立するまでに至った紆余曲折が克明に記されている。
ともかく,近日中に最後まで読んでみようと思う。
2004-01-08

ゲーム研究コミュニティサイト "Game Studies" に寄稿されていた Gonzalo Frasca 氏の記事 "Sim Sin City: some thoughts about Grand Theft Auto 3" を読んでみた。
http://www.gamestudies.org/0302/frasca/
この記事で氏は "GTA3" こと "Grand Theft Auto 3" の持つゲーム性について分析を行っている。ちょっと面白いのは,比較の対象としてセガの「シェンムー」を挙げていることだ。北米において「シェンムー」は,「往年のアドベンチャーゲームのテイストを,広大なバックグラウンドと最新の3D技術を駆使して復活させたゲーム」として,かなりポジティブに受け入れられている。鈴木裕氏のカリスマ性とも相まって,ややマニアックな崇拝を受ける傾向にあるようだ。
Frasca 氏は,その「シェンムー」と "GTA3" が,実は同じ野心を持ったゲームであると指摘している。しかし,そのゲームデザインには様々なコンセプトの違いが存在する。その「違い」がゲーム性を大きく変化させ,結果的に両者の市場における反応の「違い」を生み出すことになっていると,氏は結論付ける。
それらの分析の中でも特に興味深かったのは,「空間の移動」という要素に着目した指摘だ。その指摘によれば, "GTA3" のゲームデザインは,「空間の移動」という,通常ならばすぐに「単調な作業」へと化してしまう要素を,逆に「楽しさ」へと変質させることに成功しているということだ。
"GTA3" のゲーム的な特徴を分析した評論には,このゲームの持つ自由度の広さや,インタラクティブ性の高さなどを指摘したものが多くみられるように思える。それらの評論に対して,この Frasca 氏の分析は,「何か足りなかった一つの要素」を付け足すものとなるような気がする。この「空間移動の克服」という要素には,これまでの議論とはまた違った,一つの高次の問題を解決する力が秘められているように思えるわけだ。
Gonzalo Frasca 氏は, Powerful Robot Games 社および Persuasive Games 社のプロデューサであると共に,遊戯学研究サイト "Ludology.org" や,ゲーム社会学研究サイト "Water Cooler Games" のコントリビュータとしても有名な人物だ。
http://www.watercoolergames.org/
http://www.persuasivegames.com/
最近は, Persuasive Games 社が制作を担当した "Dean for Iowa" に係わっていたことで,ちょっとした話題となっている。
http://www.deanforamericagame.com/
この "Dean for Iowa" は,民主党きってのテクノロジ派として有名なハワード・ディーン氏の政治活動を支援することがゲームの目的であるという,ちょっと奇妙な趣旨のゲームだ。実際のゲーム内容は他愛も無いものであるものの,このような政治的な用途にゲームを利用するという発想自体が,非常にユニークなものであると感じる。
2004-01-09
年始めの週末。少しずつだけど確実に忙しくなっていく感覚を味わっている。来週は成人の日で休日が一日あるようだ。そろそろ休みが嬉しくなくなってきたね……。
しかし,今のような「ちょうど良い忙しさ」というものに対して,不思議と心地良さを感じることがある。いわゆる「修羅場」の,明らかにオーバーワークな状態というのは,出来る限り遠慮したいところなのだけれど,「余裕が無くなった程度の忙しさ」というような状態には,軽い高揚感や陶酔感を覚えることがある。「ランナーズ・ハイ」のようなものかと思う。
今週の Gamasutra の "Manager In A Strange Land" は,そんな話とも関連のありそうな話題を扱っていた。 "Optimizing A Team" ……チームの作業効率を最適化するという話題だ。
http://www.gamasutra.com/features/20040103/fristrom_01.shtml
Jamie Fristrom 氏は,ここで紹介する手法を Eliyahu Goldratt の小説 "The Goal" から引用したと述べている。この "The Goal" という書籍は,小説の体裁をとって効率改善のプロセスを分かりやすく解説するというユニークな書籍だ。国内では三本木亮氏の訳によって出版されている。原著の発売から 17 年もの間,日本での出版が認められなかったといういわく付きの本であるらしい。むむむ……。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478420408
http://book.diamond.co.jp/_itemcontents/0201_biz/42040-8.htm...
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0884270610
原著は製造業の効率改善を扱った話なのだけれど,このコンセプトはゲームのアセット構築の流れにも適用することができると Fristrom 氏は指摘している。ゲーム制作においても,製造業と似たような生産ラインの存在を見つけることができるからだ。例えば,ゲーム中のあるステージを完成させるまでには,まずゲームデザイナー(プランナー)がステージの設計を行う作業と,その設計に従ってアーティストが素材を作成する作業と,それらをゲーム内で動かすためのメカニズムをプログラマが用意する作業と,最後にゲームデザイナー(あるいはスクリプター)がそれらを利用して実際にゲームとして動く形を構成する作業,というような流れが存在する。
ここで興味深いのは,ボトルネックの拡散を試みるよりも先に,ボトルネックに対しての供給状態を確認するというルールが存在することだ。ボトルネックが生じている理由として,まず「十分な供給が行われていないから」というものを疑ってみるということだ。実際に何度が経験したことがあるのだけれど,特定のセクションに対して供給の不足が発生すると,「本当ならば忙しいはずなのに,なぜか忙しくない」という,精神的に不安定な状態へと追い詰められてしまう。そのような不幸な状態を避けるためにも,ボトルネックに対する供給の確保が重要な要素となるのではないかと思う。
件の記事の中で Fristrom 氏は,自身の実践例として "Spider-Man" のケースを紹介している。そこでは,ミッションデザイナーの行うレベルスクリプトの作成工程が,全体のボトルネックとなっていることに気付いたそうだ。同タイトルはスクリプト言語による駆動方式が採用されていたと別記事において述べられていたから,それを実装する部分がボトルネックとなってしまったのだろうと思う。
ひとたびボトルネックの存在に気付いたならば,それに対して十分な供給を確保しなければならない。
十分な供給が確保されたならば,次にボトルネックの拡散に着手する。
タスク間に発生するの依存関係を正確に把握することは非常に難しいものの,依存関係を無視したスケジュールほど役に立たないものもない。アーティストが動くにはデザイナーの指示が必要だし,ゲームプログラマーが動くには素材と仕様が用意されていなければならない。単純に人月を人数で割ってマージンを足して……というような概算をあてにするのは非常に危険な行為だ。
そのような依存関係を解決する際に,この効率改善の手法は参考になるものかもしれない。ボトルネックに対する供給のラインを中心として,依存関係の確認を行うというわけだ。
例えば, Insomniac Games が主張している「プロトタイプ手法」なども,ボトルネックになりがちなゲーム実装作業に対する供給を保つという点に着目すると,同様のコンセプトであるとみなすことができるかもしれない。
http://www.gamasutra.com/features/20030613/price_01.shtml
2004-01-10
今日は普通の休日。今回の連休は無難に休んでおくことにした。来週からはどうだか分からない。
駅前まで出かけようと思ったのだけど,何故か異様に風が冷たかったので敢え無く断念。夕食は近くの松屋で済ますことにした。これでもかと言うくらいに脱力している。
自宅では適当に EMX を弄りながら過ごしていた。昔から DTM の真似事のようなものに興味は持ち続けていたものの,まともに DTM らしい機材を購入したのはこれが初めてのことだ。ついに手に入れた念願の玩具と,年甲斐も無く嬉々として戯れている。
試しに何か作ってみようと考えているのだけれど,まともなものを作るのもしんどいので(だいいち,まともなものを作るほどの腕前が無い),お手軽に「曲っぽいもの」を作る方法を色々と模索してみている。
まずは,ノコギリ波 + LPF を使って適当なベースラインを作り,次に 909 系のパーカッションを使ってリズムを加え,その上にアルペジエータで作った上物を載せて……というような流れで基本となる素材を作る。あとは,ソングモードに切り換えてから,ミュートボタンを使って適当に各パートのミックスを変化させ,おまけにノブをぐねぐね回してやれば……あっと言う間に脱力アシッドの完成だ。ろくなものではないけど……。
http://www.radiumsoftware.com/files/emx1.mp3
http://www.radiumsoftware.com/files/emx2.mp3
最初,フォルマント (Formant) オシレータの使い方が分からなかったのだけれど,どうやら,ディストーション (Drive) を最大値にしてから低めの音を出してやれば,それなりに男声ボイスっぽい音になってくれるようだ。 OSC Edit 1 のノブをグニグニ回すとアーとかエーとか母音が変化する。ノイズを使って歯擦音を加えればサ行ぐらいは発音できるようになるかもしれない。
組み込みのサンプルパターンの中では,他にも,バンドパスフィルタとリングモジュレーターを使ってフォルマントを形成する方法や, VPM (Variable Phase Modulation) を使って鼻濁音っぽい音声を作り出す方法などが使われている。この辺りの手法については,昔のアナログシンセ時代に培われたテクニックがそのまま受け継がれているのだろうと思う。
それはともかくとして,脱力 DTM は趣味としてそれなりに楽しい感じだ。 EMX が,制作工程を1台で完結することの出来るマシンであったことは幸いだと思う。これまでに触ってみた限りでは,シーケンサ部分の機能が音源部分の機能を完全にカバーすることができていると感じている。
それとは対照的に "MC-09" などは,音源周りは手堅くまとまっているものの,シーケンサやサンプラーの周辺にややこしい制限が存在しており,「これ一台で完結」させることの出来ない環境であるような雰囲気が感じられる。恐らく,こちらを選択していたら,もっと早い段階で飽きていたことだろうと思う。
2004-01-11

正月に実家で得た土産物として FM-TOWNS のスタートアップ環境一式がある。 TOWNS エミュレータ「うんづ」を動かすために確保したものだ。
http://members.at.infoseek.co.jp/townsemu/
実際に動かしてみて驚いたのだけど,噂通りの再現度の高さだった。一部のソフトウェアに問題が残されているものの,ほとんどのソフトウェアは問題無く動かすことができる。グラフィックやサウンド周りの挙動もほぼ完璧だ。もうこれで,ハードウェアを残しておく必要は無いかもしれない……。
「うんづ」のソースコードは公開されていないため,詳細なメカニズムについては調べることができないものの,豊富なコンフィギュレーション項目やマニュアルに記載された情報から,どのような機能が実装されているのか何となく想像することはできる。
マニュアルの記述によれば CPU のエミュレーションはインタプリタ方式で実現しているようだ。むむ……あの頃は死ぬほど速いと感じた 386 マシン環境も,今やインタプリタによってエミュレーションできてしまうのか……。まあ, CPU クロック値では既に 100 倍もの差が開こうとしているのだから,理論的にはどうにでもなってしまう領域ではあると思う。
最近,別件で用があって,今使っている PC の音源周りを調べてみたのだけれど,そのときに,音源のミキサー出力を録音入力として選択できるようになってことに気が付いた。通常ならば,出力から入力への接続はハウリングを起こしてしまうので選択出来ないようになっていると思うのだけれど,どうやら,この音源では録音入力をミキサーに入力しないような構成になっているようだ。普通の VIA の AC97 互換デバイスなのだけれど, AC97 ってのはそういう仕様なんだっけ……よくわからない。
ともかくそういうことなので,アプリケーションの音声出力をサウンドレコーダで簡単にサンプリングすることができてしまう。これを使えば,エミュレータを使って懐かしの音源を収集することも可能だ。例えば, FM-TOWNS 時代の富士通にはメジャーデビュー前のヲノサトルが居たことが知られているので,その関連を漁ってみると色々と面白い音源を見つけることができるかもしれない。マニアックな趣味だけどね……。
http://www.radiumsoftware.com/files/lips2.mp3
あとは,確か TOWNS 版 "Galaxy Force II" には砂原良徳バージョンの BGM が収録されていたのだけれど……今はブツが手元に無いのでどうにもならない。中古屋を漁ってみるしかないようだ。
この手のエミュレータを動かす度に疑問に思うのは,どのようにして CPU 部分のエミュレータを実装しているのかということだ。 6502 や Z80 のようなメジャーな 8 bit CPU ならば,十分に枯れたフリーのエミュレータが配布されているし, 80 年代の 8 bit CPU 程度の規模であれば,自前で実装することも決して不可能ではない。しかし,例えば 386 のように本格的な保護機能を持つ CPU ともなると,実装することはかなり難しくなるはずだ。
ましてや, 386 のように歴々の下位互換性にまみれた CPU ともなると,その実装はかなり面倒な作業となるように思える。 8086 との互換機能(リアルモード)はまだ良いとして, 286 の頃に付けられてしまった中途半端な機能のことを考えると,どうにもイヤな気分になってくる。
「うんず」や,巷の PC-98 エミュレータに関して簡単に調べてみたところ,ソースコードを一般に配布しているものは見つけることができなかった。現状で最も有名な PC-98 エミュレータと思われる "Neko Project" については,ソースコードの配布を行っているものの,現状ではリアルモードのサポートのみとなっていた。
フリーの PC-AT + DOS エミュレータとして有名な "DOSBox" については,徐々に 386 プロテクトモードのサポートが進められている状況のようだ。
http://dosbox.sourceforge.net/
1年ぐらい前に見た時には,プロテクトモードについては非サポートとなっていたのだけれど,現状では "DOOM" を動かす程度にまで発展している。もしかしたら,有名なデモの数個は動くかもしれない。
DOSBox の開発は, SourceForge 上においてオープンソースベースで進められている。さっそくソースコードを入手して CPU 部分のコードを覗いてみたところ, FPU 部分と合計して 14,500 行程度のコードが存在した。ううむ,多いと言うか,少ないと言うか……。他にも調べてみたところ,ハードウェア関連のコードが約2万行, BIOS 関連のコードが約1万行,互換 DOS 部分のコードが約1万行,というような構成だった。
2004-01-12

先日 amazon で購入した「ダンジョンズ&ドリーマーズ」を読み終えた。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797324880
http://www.dungeonsanddreamers.com/
この本は,アメリカにおけるゲームコミュニティ文化の変遷を記した物語だ。ゲーム自体やゲーム制作者について触れるよりも,それらの受け手であるユーザの側においてどのような文化が形成されてきたのかという点に着目して,様々な物語が記されている。
原著の副題を見てみると "The Rise of Computer Game Culture From Geek to Chic" となっている。この副題は,テーブルトーク RPG のようなマニア向けの趣味と同じ領域において生まれたコンピュータゲームコミュニティの存在が, "Ultima Online" や "EverQuest" のような,世界中の人々をも巻き込むような成熟されたコミュニティへと成長するまでの変遷を表している。
この本の冒頭は,ボードゲーム愛好家である Gary Gygax, Dave Arneson らが,テーブルトーク RPG の元祖 "Dungeons & Dragons" を生み出す場面から始まる。
続く第1章は,この "D&D" に感化された少年 Richard Garriott が,初期のコンピュータ RPG の傑作 "Ultima" シリーズを生み出すまでに至った物語が記されている。この辺りは, Garriott 氏個人の周辺に起きた事柄だけでなく,黎明期のゲームコミュニティといった比較的広い範囲も含めて,非常にドラマチックな物語が展開されており,とても読み応えの感じられる内容となっている。
またここでは,初期のテキストアドベンチャーゲームや, "Ultima", "Wizardly" 等のコンピュータ RPG の開祖が, "D&D" から始まる TRPG の流れの中にその起源を置いていることが述べられている。 RPG というジャンルの登場がその後のコンピュータゲームの変遷に対して与えることになった影響のことを考えると,その存在 (TRPG) の重要性には計り知れないものがあると感じられる。
その後,物語は Will Wright 氏の "Sim City" を経て, "DOOM", "Quake", "Ultima Online", "Ever Quest" 等のネットワークゲームの流れを追いかけていくことになる。それらの記述の中でも一貫しているのは,これらのゲームが生み出すことになったコミュニティの存在に目を向けていることだ。同じゲームを愛する人々の集まりからコミュニティが形成され,そのゲームを通じて互いの人生の一部分が共有され合い,そして,そのコミュニティの中から新たな文化が生み出されて行く。その成長は,ネットワークという新たなコミュニケート手段を取り入れることによって,更に勢いを増していくことになる。
書籍の前半部分においては, "D&D" のコミュニティの中から, Garriott 氏の "Ultima" を始めとするコンピュータ RPG の流れが生み出されることになった経緯が語られている。ここで,この再生産の流れを現状に重ね合わせてみると,ひとつの新たな疑問が導き出されることになるのではないかと思う。果たして "Ultima Online" や "EverQuest" のような近代 MMORPG のコミュニティの中に育った世代は,次にどのような文化を生み出すことになるのだろうか。 第二の Garriott は,一体何を生み出すのだろうか。
思えば MMORPG とは, 15 年余りの年月を経てようやく辿り着くことのできた, RPG 史上の1つの到達点であったように感じられる。 TRPG の世界をコンピュータの中に閉じ込めた「コンピュータ RPG」は,必然的に物語志向の内容を目指すことになるのだけれど,本来の TRPG の持つ楽しさとは,プレイヤー間のコミュニケーションの中にあることを Garriott 少年は悟っていた。そしてそれは, MMORPG という形によって「本来目指していた地点」へと到達することになる。
しかし,ボードゲーム文化における1つの極致である TPRG が Garriott 氏にとっての出発点であったように,コンピュータ RPG 文化における1つの極致である MMORPG も,新たな世代のクリエイターにとっては出発地点の1つに過ぎないのかもしれない。そういった派生を導くだけの豊かな文化を,現在の MMORPG は既に生み出していると感じる。
この本の終わり方には,少し不思議な雰囲気が漂う。 EA 社との長年に続く衝突から遂に解雇を言い渡され,無からの再出発となってしまった Garriott 氏は,新会社 Destination Games においてシングル・マルチ融合型 RPG "Tabula Rasa" の開発に着手している。その口振りからは並ならぬ情熱が伝わってくるものの,著者の視点にはどこか冷ややかな雰囲気が感じられる。
そのインタビューの中で Garriott 氏は次のように語る。
しかしその実, MMORPG はマスを相手にしか成立しないという矛盾を抱えているように思える。新たな文化の行き先は誰の目にも明らかなものではなく,それはもちろん Garriott 氏にとっても掴みかねるものとなっている。恐ろしく緩慢な動きで進み行くオンライン化,ネットワーク化,そしてユビキタス化の流れを読み切り,そこから新たな突破口を切り拓くことになるのは,一体誰の役目になるのだろうかと思うと止むことが無い。
2004-01-13
藤田将洋さんの lucille 開発日記で紹介されていた "High-Degree Temporal Antialiasing" が面白そうだったので,軽く目を通してみることにした。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~syoyo/lucille/blog/archives/00017...
http://citeseer.nj.nec.com/dachille00highdegree.html
分量は少ないし,解説も簡潔にまとめられており,非常に読みやすい内容だった。コンシューマゲーム機のようなローエンド・リアルタイム CG の分野からすると,まだちょっと縁遠い話ではあるものの,近い将来にこの辺りの話題は再燃されることになるだろうし,実際には,既にこの辺りの問題と格闘している人達が一部に存在する。そう考えれば,たとえ現状では実用的でないとしても,今のうちにツマミ食いしておいて損は無い話題なのではないかと思う。
件の論文は,アニメーションの時間軸上でのアンチエイリアシング……つまり,いわゆる「モーションブラー」の手法について扱ったものだ。サンプリング理論に基づいた考察を適用し,モーションブラーを時間軸方向へのローパスフィルタとして捉えることによって,その理想的な特性を検証するものとなっている。
CG アニメーションにおいてモーションブラーを利用する目的は,時間軸上における離散的なサンプリングによって生み出されるエイリアシング効果を防ぐというものだ。この「時間的なエイリアシング」は,物体の素早い動きからスピード感を奪い取ってしまったり,「クレイアニメのようなカクカク感」を生み出してしまったり,高速回転する物体を逆回転させてしまったりというような,見た目上の様々な問題(アーティファクト)を発生させる。
これらの問題を防ぐために,ゲームや CG の分野では様々な手法が用いられてきた。例えば,素早く動く物体に対してはトレイル(軌跡)効果を与えることによって「動きの補完」を行ったり,あるいは,もともとエッジのぼやけた(ブラーのかかった)素材と入れ替えることによってアーティファクトの発生を回避したりというようなものだ。
これらの手法は,アーティスティックな観点から言えば十分に良好な結果を得られるものであるものの,アーティストの労力を確実に消費するという欠点を伴っている。件の論文の著者である Dachille 氏が主張しているのは,ここで持ち出されているような万能的な解決法を導入することによって,それらのアーティストの労力を減らすことができるのではないかということだ。
通常,画像空間上でのアンチエイリアシングや,時間軸上でのアンチエイリアシング(モーションブラー)は,スーパーサンプリング法によって実現される。つまり,求められる解像度よりも高い解像度においてレンダリングを行い,それに対してローパスフィルタを適用することによって,エイリアシングの除去された最終画像を得るというものだ。
http://www.tml.hut.fi/Opinnot/Tik-111.500/2002/paperit/seppo...
ここで重要になってくるのが,高周波の除去に利用されるローパスフィルタの選択だ。特定の周波数帯を通過させるという用途としては sinc フィルタと呼ばれるものを利用するのが理想的なのだけれど, sinc 関数は無限の区間を扱わなくてはならない上に,負の値を含んでしまっているために,画像フィルタとしては実用的なものでない。
また,簡易的な手法としてよく用いられているボックスフィルタ(画像処理的には「等しいウェイトでの合成」に相当する)に関しては,各種のローパスフィルタの中では最も悪い特性を持つものとして挙げられている。ボックスフィルタの持つ不連続性が,「波打った」周波数特性を与えてしまうためだ。このような現象は「リング効果」 (ring effect) あるいは「ギブス現象」 (Gibbs phenomenon) と呼ばれ,信号処理の分野では忌み嫌われる存在となっている。
http://www.dbkids.co.jp/popimaging/seminar/fourierseries/gib...
http://graphics.cs.ucdavis.edu/~okreylos/PhDStudies/Winter20...
このような現象は,画像空間上では「間違った陰影」として現れることになり,また,時間軸上では「間違った速度の動き」として現れることとなる。
http://www.cs.unc.edu/~parente/igv/hw5/parente_hw5.html
件の論文では,このような「間違った動き」が発生しうる条件についても触れている。最も顕著なのは,画像空間上において特定の周期を持つ模様が,その周期と「共鳴」を起こす特定の速度によって動いた場合に,「間違った動き」が現れてくるというものだ。この現象を論文の中では,放射状の縞模様を動かすことによって検証しているのだけれど,これが非常に分かりやすくて良い解説となっている。ローパスフィルタによって模様がカットされるはずの領域に,うっすらと逆さの模様が現れてくる様は,まさに上のギブス現象を観察しているようで面白い。
このような現象は,「ごく自然なシチュエーション」においても発生しうるものだと Dachille 氏は指摘している。論文で挙げられている例は,「道端に立てられた柵を見つめながら高速に移動する」というシチュエーションだ。比較的低い速度での移動に関しては,普通のボックスフィルタでも難無くカバーできているものの,柵の間隔が持つ周期と移動速度が「共鳴」を起こす状態へと達すると,とたんに「間違った動き」が見え始めてしまう。
ゲームにおいて遭遇しうるシチュエーションを挙げるならば,例えば「レースゲームにおける車のホイール部分」や,「ヘリコプターやレシプロ飛行機のプロペラの動き」などを挙げることができる。現状のコンシューマ機の性能では,全画面でのスーパーサンプリングを行うことは極めて不可能に近いものの,限定された領域に対してのみ特殊な対応を行うことは,決して不可能ではない。例えば "Gran Turismo" や "Project Gotham Racing" のようなリアル志向レースゲームの画面をよく観察してみれば,ホイール部分に対してのみ特殊なブラー処理が行われていることが分かると思う。
http://www.gamespot.com/xbox/driving/projectgothamracing/scr...
2004-01-14
件の論文では,結論としてガウスフィルタの導入を推奨している。ガウスフィルタのような高次のローパスフィルタを導入することによって,前述のようなアーティファクトの類をほぼ完全に除去することができるわけだ。「高次フィルタ」などと言うと,何となく処理が重たそうな感じがしてしまうのだけれど,フィルタが高次であろうと低次であろうと,結局は定められたウェイトに従って加重平均をとるだけだから,コスト的にはさほど変わらないだろうと思う。
合成処理に関しては,単純に均等な分布のサンプリングを行うよりも,加重サンプリング (importance sampling) を用いた方が良いとされている。つまり,サンプル点をウェイトに従って分布させ,合成自体は単純な平均によって行うという方法だ。例えば,ローパスフィルタとしてガウスフィルタを用いる場合は,サンプル点をガウス分布に従って中央へと集中させることになる。
ひとつ疑問として残るのは,これらのような高次のフィルタリングを行う必要性が本当に存在するのだろうかという点だ。
ボックスフィルタのような「特性の悪いフィルタリング」に伴って発生するアーティファクトの問題は,映画やビデオなどの映像においても,撮影の手段や環境の条件次第によって出現することがある。特に比較的昔の映画などは,その特殊なシャッタースピードの影響から,動きに「狂い」が生じてしまうことがあるようだ。高速に回転する車輪が,ある速度を超えると逆方向に回転し始めてしまう,などという現象は,最も代表的な例だろうと思う。
また,例えば CRT モニタの前で素早く指を振ると,連続的な指の残像ではなく,何本かの指の映像が現れるという,いわゆる「ストロボ効果」を確認することができる(もちろん,画面全体が常時点灯している LCD ならば,このような現象は発生しない)。同じような現象は,インバーター装置の付いていない蛍光灯などでも確認することができるだろうと思う(今時グロー式の蛍光灯なんてのも滅多に存在しないけど……)。
しかしこれらの現象は,実際には「ちょっとした違和感」でしかなく,露骨な違和感として感じられることは無い。高速に回転する車輪の見た目が逆回転する現象などは,むしろそれが普通のことのように感じられるぐらいだ。やはり,最も強い違和感を生じるのはエイリアシングであり,その他のアーティファクトについては,それほどこだわる必要は無いのかもしれないと思う。
この辺りの判断は,最終的にはアーティスティックな観点から決定すべきなのだろうと思う。それぞれのシチュエーションごとに,「間違った動き」に対して違和感や不快感を覚えるかどうかという判定を下して,必要とあらば適切な技術を投入すれば良いということだ。
画像フィルタ関連の資料を探している最中に,ウィーン大学は Ivan Viola 氏の一連の研究と遭遇した。
http://www.cg.tuwien.ac.at/staff/IvanViola.html
氏は,グラフィックハードウェアを利用した画像フィルタの実装方法に関して,いくつかの論文を発表している。
http://www.cg.tuwien.ac.at/studentwork/CESCG/CESCG-2002/IVio...
http://www.vrvis.at/TR/2002/TR_VRVis_2002_031_Full.pdf
あまり真面目には読んでいないのだけれど,一般的なグラフィックハードウェアにおける値域の制限を上手くカバーしつつ,誤差を最小に抑え,かつ高速に処理を行うという点に,相応の工夫が必要とされるようだ。
16 bit 固定小数点のような高ダイナミックレンジモードが利用できれば,その辺りの面倒な問題を一括して解決することができるのかもしれないけども,そのような高ダイナミックレンジモードをペナルティ無しに使えるようになるのは,まだしばらく先の話となりそうだ。それまでしばらくの間は,正の整数と仲良くなる方法を色々と考えておくのが良いのだろうと思う。
画像空間に対してスーパーサンプリングを行うには,単純にフレームバッファのサイズを上げる(解像度を上げる)という方法の他に,画像空間においてサンプリング点をずらしつつ多段レンダリングを行うという方法がある。視体積を僅かにずらしながら複数回のレンダリングを行うわけだ。この方法は,高品質のスーパーサンプリングを行うのにも,最終画像の大きさのフレームバッファと合成バッファさえあれば処理を行うことができるというメリットがあるため,ビデオメモリの制限された環境においてはそれなりに役に立つ方法となっている(ただし,描画毎にジオメトリの再計算を必要とする)。
ここで,画像空間においてサンプリング点をずらすだけでなく,時間軸方向にもずらしておくのはどうだろうかと思う。画像空間と時間軸の両方にオフセットを加えつつ複数回のレンダリングを行うわけだ。上手く行けば,画像上でのアンチエイリアシング効果とモーションブラー効果を同時に得ることが可能となるのではないかと思う。
2004-01-15
去年の暮れから今年にかけて,アメリカのゲームファン達によって行われた1つの行動が話題となっている。ゲーム風刺コミックサイトとして有名な "Penny Arcade" が主催したイベント "Child's Play" のことだ。
http://www.penny-arcade.com/childsplay/
この "Child's Play" は,簡単に言えば,病院で闘病生活を送る子供達のもとへ,ゲーマーからプレゼントを贈ってあげようという企画だ。 Amazon に設けられた専用のウィッシュリストからプレゼントを購入すると,そのプレゼントは Penny Arcade の事務所へと届けられる。そしてそれらのプレゼントは,クリスマスの直前にスタッフ達の手によって小児病院へと届けられるという仕組みになっている。
このようなイベントが催された背景には,1つの理由が存在する。最近世界的に強まりつつあるゲーム害悪論への反論だ。ゲーム害悪論にも様々なものが存在するものの,中でも極端なものになると,ゲーム自体の存在価値を否定しているほか,ゲーマーの存在をも否定しようしているものまである。
このように非常識な意見までもが通用してしまっている原因の1つとして,「暴力的で無思慮なティーンエイジャー」というゲーマーのステロタイプなイメージが存在するのではないかと思う。実際にはこのような古臭いイメージとは違って,現在のゲーマーの多くはごく普通の人々であり,常識を知る一般人であるはずだ。もしそれが真実ならば,この "Child's Play" のようなイベントは,良いデモンストレーションとなってくれるに違いない。
Penny Arcade の主催者の1人であり,同コミックのイラストレーターでもある Gabriel 氏は, Child's Play の FAQ を次のようなくだりから始めている。
そしてそこには, Herald 誌のウェブサイトに掲載された Bill France 氏の記事 "Violent video games are training children to kill" へのリンクが張られている。
http://www.heraldnet.com/Stories/03/11/18/17748407.cfm
この記事の中で France 氏は,ビデオゲームの持つメディアとしての危険性を説いている。ビデオゲームは人間の中に潜在する暴力性を高め,子供達を殺人者へと仕立て上げる道具となりうるという主張だ。
ここでは,ビデオゲームは殺人行為のシミュレータであることになっている。自動車教習所のシミュレータが人々に車の運転方法を教え,軍のシミュレータが兵士達に戦闘方法を教えるように,ビデオゲームが人々に殺人の方法を教えているというわけだ。
このような「殺人訓練装置としてのビデオゲーム」という主張は, KILLOGY Research Group の David Grossman によって行われているものと酷似している(恐らく France 氏も Grossman 氏の出版物に影響を受けているのだろうと思う)。 Grossman 氏の調査によれば,戦闘シミュレーションによる訓練を受けた兵士は,戦場での発砲率が向上する傾向にあるのだということだ。シミュレータの中で繰り返し行われる行為が,暴力行為を反射行動へと変質させ,特別な意識を持たずして行為へと及ぶことを可能にしているという分析だ。
このようなビデオゲーム害悪論は,特に欧米において強まっていく傾向にあるように思える。中でも頻繁に槍玉に上げられているのは "GTA III" であり,特に最近話題となった "GTA III: VC" における人種差別問題が,火に油を注ぐものとなっているように思える。
http://www.cnn.com/2003/TECH/fun.games/12/03/caribbean.outra...
このような風潮は,普段ゲームとは係わり合いを持たない人々に対しても注意を引くほどの現象となっているようだ。下の New York Post 誌の記事において Christopher Byron 氏は, "GTA III" の販売元である Take-Two 社に対して無分別な批判を行っているほか,同社の創立者である Ryan Brant 氏への個人攻撃を行うなど,非常にゴシップ的な誹謗記事を展開している。
http://www.nypost.com/business/14640.htm
どうやら氏の父親が脱税によって検挙されたことを面白がっているようだ。あまり品の良い記事ではないなと思う。
閑話休題……そのような状況に対して Penny Arcade の Gabe 氏は,日頃から苦々しい想いを抱いていたようだ。自身はゲームを愛するゲーマーであり,なおかつ,一般的な市民であると自認している。もちろん,そのことは多くのゲーマー達にも当てはまることであるはずだ。
ここで Gabe 氏と Penny Arcade のスタッフ達は,自らの意見の正当性を証明し,ゲーマー達の名誉を守るために,ある1つのイベントを行うことにした。それが "Child's Play" であるということだ。
Penny Arcade は小児専門の大型病院である Seattle Children's Hospital と協力し,このイベント専用となる Amazon のウィッシュリスト作成した。ウィッシュリストというのは,贈答用に用意された Amazon の機能の1つであり,自分の欲しいアイテムをリストに列挙しておき,それを他人に公開することができるというものだ。この機能を利用して, Penny Arcade を訪れたゲーマー達が,病気に苦しむ子供達へプレゼントを贈ることができるようにしたわけだ。
このイベントは時期的にクリスマスを狙ったものであったようなのだけれど,開始されたのは比較的遅く,実際にウィッシュリストが公開されたのは12月に入ってからのことだった(恐らく当初は,ちゃんとしたイベントというよりかは, Gabe 氏の軽い思い付きによって始められたものだったのだろうと思う)。しかし,クリスマスの日が近づくにつれて Penny Arcade には沢山のプレゼントが集まり始め,最終的には十分過ぎるほどのプレゼントが子供達のもとへと届けられることになった。この辺りの様子は,スタッフによる写真レポートの中にまとめられている。
http://www.penny-arcade.com/childsplay/49.htm
http://www.penny-arcade.com/childsplay/47.htm
この,うずたかく積み上げられたオモチャの山は,病院の子供達をさぞかし元気付けたことだろうと思う……それにしても凄いオモチャの山だ!
2004-01-16
氏らの Child's Play における行動には,多くの賛辞が寄せられている。最も印象的なのは,実際に Children's Hospital に入院している子供を持っているという,ある父親からの手紙だ。
http://www.penny-arcade.com/childsplay/letter2.htm
そして,この父親の手紙は,彼がこれまでに受けた善意の数々と, "Child's Play" に対して寄せられたゲーマー達の善意に対して,心から感謝の言葉を述べている。
http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&q=%22%91f%90%B0%82...
この父親は,息子の患った「悪性リンパ腫」が非常に深刻な病気であり,死の可能性とも直面しなければならなくなったことを述べている。もちろん,回復の望みはあるものの,化学療法や骨髄移植のプロセスは非常に長期的なものであり,その時間が子供の貴重な人生の日々を奪い取っているという事実は,父親にとって耐え難い苦しみなのではないかと思う。
また,こうした闘病の日々は,患者にとっても周囲の人間にとっても膨大な時間を持て余すものとなっており,それが元気を奪い取る1つの要因となっていることを述べている。静脈ポンプを付けた状態では装置から離れることは物理的に不可能であり,また,化学療法は人体の免疫機能を大きく引き下げてしまうため,たとえポンプが外れたとしても病室から出ることは許されない。病室から出ることを許されずに過ごす日々は,子供にとっても父親にとっても辛い経験となったはずだ。
このような境遇の子供達に対して,オモチャやゲーム,それからビデオや本などのように,子供達の精神的な助けとなるものを提供することは,非常に意味のある行為であり,また,そのようなサポートを行うことが必要とされていることを述べている。つまり, "Child's Play" によって行われた行為は,単なる善意を超えて非常に意味のある行動であったということだ。
2004-01-17
そして重要なのは,こうした出来事が,人々の認識を変えるほどの力を持っているかもしれないということだ。前出の Herald 誌におけるゲーム害悪論記事を執筆した Bill France 氏は,つい先日,同サイトに次のような記事を寄稿している。 "Video gamers go out of their way for ill children" - 「ゲーマー達が病気の子供達に対して尽くしたこと」という名の記事だ。。
http://www.heraldnet.com/Stories/04/1/13/18006955.cfm
この記事において France 氏は,ゲーマー達に対して謝罪を行うとともに,彼らの行動に対して惜しみない賛辞を贈っている。
現在 France 氏は,ゲーマー達から寄せられた意見をもとに,ビデオゲームの持つ価値について新たな認識を得ようと努力しているようだ。また,そうして得られた見識については,今後のコラムにおいて紹介したいと述べている。
この出来事は, France 氏だけでなく,多くの人々の認識に対しても影響を与えるものとなったのではないかと思う。これは,現状において進行しつつあるビデオゲームに対しての圧力を根本的に変えるものではないかもしれない。しかし少なくとも,ゲーマー達の実態をアピールするデモンストレーションにはなったはずだ。彼らの素顔は,ゲームの「害悪」に侵された無思慮で非常識な若者達ではなく,ただゲームという趣味を持っただけの普通の善良な市民に他ならないのだ。
France 氏は次のような一文によって記事を締めくくっている。
アメリカに限らず国内においても,ビデオゲームのもたらす悪しき作用に関して非難が行われることは多く,インターネットやネットワークゲームのもたらす害悪とも絡んで,最近は特にその勢いが強まりつつあるように思える。
そのような風潮に対して,ユーザの側からこうした行動に出たことは非常に意味のあることだと思う。彼らは,ゲームを本当に愛している人々が存在し,なおかつ,それは純粋な心を持つ人間であるということを,具体的な行動によって証明しようとした。ゲームという文化に対して価値のある行動であったことは間違い無いし,また,ここまで本気でゲームのことを考えてくれる人々が存在するという事実は,ゲームという産業に係わる人間にとっても大きく勇気付けられることではないかと思う。
"Child's Play" プロジェクトは 12 月初旬に開始されてからクリスマス直前の 22 日までの約 3 週間に $120,000 (1,280 万円)分ものオモチャのプレゼントを受け取り,また金銭による寄付として $26,000 (280 万円)分もの小切手を受け取ることとなった。
Children's Hospital の従業員であり,このイベントにおける病院側のコーディネート役を務めた Emma Misner 氏は次のように述べている。
ビデオゲームというメディアは,そのインタラクティビティの高さと,メディアとしての年齢の若さから,娯楽として少し特殊な存在となってしまっているように思える。視覚を刺激する鮮烈なグラフィックや,他のメディアでは絶対に得られない没入感,それに,本能を揺り動かすほどの興奮などと出会うと,ビデオゲームというメディアの持つ威力に驚かされるとともに,あまりにも強力なその力に対して不安を抱いてしまうこともある。
しかし,本来娯楽は人の人生を豊かにするために存在するものだ。ゲームの娯楽としての価値は,特定の技術の有無や,メディアとしての革新性によって定まるものではない。多くのビデオゲームが人を楽しませ,人の人生を豊かにするのならば,それに越した事は何も無いはずだ。水野晴男じゃないけれど,「ゲームって本当にいいものですね」と,人々が笑って語ることのできるような文化に育ってくれればと,心から望んでいる。
2004-01-18
先日のこと,職場で使っているコントローラーが遂に壊れてしまった。以前から,常にスティックが右方向に入ってしまったり,突然ノイズのようなボタン連打が発生してしまったりなど,時折怪しげな挙動を見せていたのだけれど,今度はアナログ入力モードに入ったっきり何のデータもよこさないという,寡黙なダミーデバイスとなってしまった。四六時中パッドを叩いているのだから,パッドの1つや2つが壊れてしまうのは決して珍しくないことなのだけれど,ここまで完全に壊れてしまったのは初めての経験かもしれない。
今回壊れてしまったのは,どこぞの怪しげなゲームショップで購入してきた多機能パッドだった。連射機能とマクロ機能のコンボに惹かれて衝動買いしたものだ。しかし,製造元の名前さえまともに記載していないような怪しげアイテムだけのことはあって,使い始めてからほんの数週間で既におかしな挙動を見せていたような記憶がある。
そのような品質の悪さを承知していながらも,わざわざこのパッドを使い続けていたのは,パッドに搭載されている連射機能やマクロ機能をデバッグ用途に利用するためだった。例えば,ゲームの状態が遷移する瞬間に特定の入力を行ったり,非常に細かな間隔で特定の動作を再入力したりすると,思わぬバグと遭遇してしまうことがある。通常のデバイスを使ってチェックしていたのでは極めて見つけにくい種類のバグだ。そんなわけだから,普段から何の気なしに連射のスイッチを入れておいたりすると,ひょんな所で命拾いすることがある。
ただ困ったことに,何故か最近は連射パッドというジャンル自体がマイナーな存在になりつつあるようだ。ゲーム用コントローラの製造で有名なホリ社やロジクール社などのラインナップを覗いてみたところ,流行のワイヤレスデバイスは扱っていても,連射機能の付いたパッドは1つも扱っていない。
http://www.logicool.co.jp/gaming/index.html
非ライセンス品ならば,いくらでも連射機能の付いたパッドを見つけることができるものの……できることならば,信頼の置ける製品を購入したいものだと思う。いちおう仕事で使う道具であるわけだし……。
もののついでにホリ社のラインナップなどを眺めていたところ,ワイヤレスパッドに少し魅力を感じるようになってきた。ゲームパッドは,キーボードやマウスのような「半据え置き型」のデバイスとは違って,手に持って操作するタイプのデバイスなので,ケーブルの扱いが煩雑になりやすい性質を持っているように思える。僕のケーブル回しが悪いのかもしれないけれど,始終肘やら椅子やらに引っ掛けては床に落としている始末だ(だから壊れるんだな)。そのケーブルがワイヤレス化されれば,だいぶ机の周囲がすっきりすることだろうと思う。
http://www.hori.ne.jp/wl_as2/dokoga.html
ただ,ワイヤレスデバイスを使用する場合,定期的に電池を取り替えなければならないのが玉に瑕だ。連続使用時間が約 50 時間というのは,家庭での利用には十分な時間のようにも思えるけども,1日あたり 10 時間以上もゲーム機の電源を点けっ放しにしている現場で利用するには,やはりちょっと心許無いというのが正味な感想だ。
振動機能を切ってしまえば,連続使用時間は 125 時間まで延びるとのことだけれど……それでもちょっと微妙な数字だ。そんなわけだから,仕事の上では,しばらくは有線に頼る日々が続くことだろうと思う。
2004-01-19
そんなわけで,連射+マクロ機能を搭載したパッドを求めて,色々と通販サイトを探し回ってみている。非ライセンス品であれば,連射機能を搭載したものを幾つか見つけることができるものの,ライセンス品では全く見当たらないし,ましてやマクロ機能を搭載した製品など,ライセンスの有無を問わず1つも見つけることができない。やはり,そういうのはもう流行らないのか……。
http://www.cybergadget.co.jp/z_prod_ps12/cy-ps2renkon_02.htm...
http://www.gametech.co.jp/products/catalog/3300/3300_1.html
ライセンス品と非ライセンス品の一目で分かる違いは,ボタンに刻印されている柄が微妙に異なっていることだ。恐らく,オリジナルの「△○×□」の柄は意匠登録されているため,ライセンスの供与を受けない限りは同じ柄を使うことができないのだろうと思う。しかしまた,その微妙な工夫が面白かったりするのだけれど……。
さんざ探し回った挙句,唯一見付けることができたのは Mad Catz 社の "MicroCON" だけだった。
http://www.madcatz.com/MadCatz/product_details.jsp?product_i...
これならば,標準コントローラの機能は全て備えている上に,連射機能とマクロ機能を搭載しており,要求に見事合致していると言える。あとは,耐久性がどの程度あるかという問題になる。国内で販売している店を探すのも難しそうだ。
Mad Catz 社は,ゲーム改造ツール "GameShark" シリーズで有名な老舗の周辺機器メーカーだ。上のコントローラや "GameShark" シリーズは全て正式なライセンスを受けて販売を行っているらしい。
同社の製品で "RetroCON" というコントローラも存在する。これもちょっと面白い製品だと思う。
http://www.madcatz.com/MadCatz/product_details.jsp?product_i...
ウケ狙いには面白いかな……。奇をてらったデザインのわりには,標準コントローラの仕様をちゃんとカバーしているというのが偉いと思う。補助的なコントローラに利用する程度だったら問題無さそうだ。
少し関係の無い話になるのだけれど,上の連射パッドを販売している CYBER Gadget 社の製品「CYBER アドバンスコネクタ」が,何とも怪しげで面白い。
http://www.cybergadget.co.jp/z_prod_gcxx/041218advance.html
GameCube 本体へ接続することによって GBA のゲームが TV 画面で遊べるようになるという,どこかで聞いたことのあるような製品なのだけれど……「どこでもセーブ機能」など,かなり掟破りな機能を搭載しているのがデンジャラスな製品だ。当然のごとく,中身は GC 上で動作する GBA エミュレータなのだろうと思う。しかし,それだったら母船は Xbox でも PS2 でも構わないわけで,そこを敢えて GC にしているというのが,どうにもパチもの臭くて面白い。いや,面白がっちゃいけないのか……。
そもそも,非ライセンスの GC ソフトを販売しているという時点でクロだと思うのだけれど……何も言われなければ,「ゲームボーイプレイヤー」と勘違いしてしまう人もいるだろうと思う。
2004-01-20
最近,巡回リストの中に組み込んでいるブログの1つに "Terra Nova" というサイトがある。カリフォルニア州立フラートン大学の経済学助教授 Edward Castronova 氏が中心となって運営されている共同ブログサイトだ。
サイトの解説によれば,このブログにおける主なテーマは,サイバースペースの中にみられる社会学や経済学の研究を行うこととされている。実際には,話の内容はかなり MMOG 方面へと偏っているようだ。 MMOG に関連した話題の中でも,社会的に何らかの意味を持ちそうなものについて多く扱っているという点で,なかなかユニークなブログとなっているかもしれない。
この Terra Nova に最近投稿された記事として,次のようなものがあった。
http://terranova.blogs.com/terra_nova/2004/01/us_army_adopts...
米国陸軍が MMOG の技術を兵士の訓練システムに応用しようと目論んでいるという話だ。元の記事は Military Training Online に掲載された William Miller 氏の記事 "The End Game" となっている。
http://www.mt2-kmi.com/articles.cfm?DocID=358
この記事によれば,米国陸軍の RDEC (Research, Development and Engineering Command) が民間企業との連携のもとに, PC ベースの分散環境を利用した軍事シミュレーションシステムの開発を行っているとのことだ。そしてその基盤技術として There Inc. 社の仮想世界型 MMOG "There" が採用されたと述べられている。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/2003102920...
この手の「仮想世界」型 MMOG は,国内では全くと言っていいほど流行っていないため,向こうでもどの程度の支持を受けているものなのか,いまいち想像することができないでいる。同様の趣旨のゲーム(そもそも,これが「ゲーム」なのかどうか,よく分からない)としては, Linden Research 社の "Second Life" などを挙げることができる。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/2003072820...
その "There" が,今度は平穏な仮想世界ではなく,武器を持った兵隊が訓練を行うための戦場へと改造されようとしている。軍からは既に6億円ほどの予算を投入することが決定しているようだ。
戦闘訓練を行うシステムとして,安直に FPS を利用するのではなく, "There" のような仮想世界シミュレータが利用されたのは,戦闘だけでなく様々な事象をリアルに扱う必要性があったためのようだ。件の記事には,そのイメージが次のように述べられている。
またこのように,戦場というシチュエーションのリアリティを守ることに主眼が置かれているため,基本的に AI による NPC 制御は利用せずに,全てのキャラクターが人の手によって操作されることになると述べられている。どうやら,退役軍人や予備軍を動員して,敵キャラクタや民間人の役を演じてもらおうというつもりのようだ。
しかし,何と言うか……非常に壮大な話だと思う。もしかしたら,これは究極のロールプレイングゲームなのかもしれない。
2004-01-21
しかし,分散ネットワーク関連の技術開発においては相当のバックグラウンドを持つはずの米国軍部が,ここに来て民間ベースの技術を導入する方向へと動いていることは,少し不自然な話のようにも思える。
件の記事において, There 社のバイス・プレジデントである Robert Gehorsam 氏は,軍部の持つ技術と自分らの持つ技術との比較を行った上で,以下のような感想を述べている。
Gehorsam 氏は DARPA (国防総省の研究開発機関)の研究プロジェクトに独立会員として参加していた経歴があり,そのコネクションから軍部への売り込みが行われたということのようだ。軍部にとってみても,1から費用を負担して開発を行うのではなく,既に独立して利益を上げつつあるプロジェクトから技術を吸収することができるとあれば,これほど都合の良い話も無かったのではないかと思う。
軍の戦闘訓練にビデオゲームを利用するという話は,時折話題に上がってくることがあるように思える。イギリス陸軍が "DOOM" や "Counter-Strike" を訓練に利用していたという話は特に有名だ。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/2054437.stm
最近の話で言えば, Pandemic Studios の "Full Spectrum Warrior" が,軍と研究機関,それにゲーム企業のコラボレーションによって開発されたゲームとして話題を集めている。
http://www.fullspectrumwarrior.com/
この件に関しては,次の Wired の記事 "Military Training Is Just a Game" が詳しく触れている。
http://www.wired.com/news/games/0,2101,60688,00.html
このゲーム "Full Spectrum Warrior" に用いられた種々の技術の開発には,南カリフォルニア大学の ICT (Institute of Creative Technologies) が参加している。同校では軍部との協力によって様々な応用技術の開発が行われており,その成果のひとつがこの "Full Spectrum Warrior" であるということだ。
http://www.ict.usc.edu/disp.php?bd=proj_games
http://www.ict.usc.edu/disp.php?bd=proj_games_fsw
上のページに置かれているムービー(同ゲームのアルファ版の映像)を見てみれば,このゲームの持つ完成度の高さがうかがえるのではないかと思う。
http://www.ict.usc.edu/media/games_fsw/FSW5-23-2003.asx
特に目を引かれるのは,非常に高度かつ自然な AI の挙動だ。プレイヤーは直接の操作を全く行わないにも係わらず,非常に臨場感の溢れるゲーム展開となっている。これまでの戦争ゲームにはない独特の戦略性を作り出しているのではないかと思う。
また,これまでに公開されている情報については,「PCゲーム道場」の解説が参考になる。
http://www1.plala.or.jp/seiryu/Preview/FSW/fsw.html
実のところ,このゲームは,個人的に発売を楽しみにしているタイトルの1つでもある。純粋に面白そうなゲームだと思っている。
2004-01-22
ビデオゲームを軍事的な用途に利用するというアイデアについて調べてみると,その源流は Atari 社の "Army Battlezone" (Bradley Trainer) へと辿り着くようだ。
http://www.safestuff.com/bradley.htm
http://www.digiserve.com/eescape/atari/misc/Army-Battlezone-...
これは, Atari 社の往年の名作 "Battlezone" を,軍への売り込みのために改造したものだ。オリジナルの "Battlezone" は, Atari 社の黄金期を代表する製品として有名なものであり,また,ワイヤフレームによる斬新な 3D 表現を実現した革新的なゲームでもあった。
http://www.kinetic-arts.co.uk/jamma/battlezone/battlezone.ht...
http://www.klov.com/game_detail.php?game_id=7059
http://markn.users.netlink.co.uk/Arcade/battz.html
オリジナルの "Battlezone" は SF 的な設定を借りたものだったのに対し,軍用の "Army Battlezone" は,実在する M2 Bradley 歩兵戦闘車両を模した内容となっている。 "Army Battlezone" の開発が行われたのが 1981 年であり,米軍において Bradley の導入が開始されたのも 1981 年付近であるということだから,当時の最新鋭であった兵器を扱うことによってアピールを高めようとしたのだろうと思う。
http://www.fas.org/man/dod-101/sys/land/m2.htm
ゲーム内容に対する大きな相違点は,プレイヤーの役割と操作系に見られる。オリジナルがツインスティックによって戦車自体を操作するものだったのに対して, "Army Battlezone" は砲塔の操作のみを行うものとなっている。実際の戦車では操縦手と砲手は別の人間が担当するものだから,それに近くなるよう変更されたのだろうと思う。
上のページ "The Army Battlezone Q & A" の解説によれば,この "Army Battlezone" は,実際には2台のプロトタイプと少数の完成品が出荷されたのみに終わっており,商業的にはあまり良い結果を残せなかったことが明かされている。出荷された製品は,軍の基地内にある娯楽室などに配備され,あくまでも余興の道具として利用されていたようだ。
また,当時の Atari 社のエンジニアの多くは反戦論者的な意見を持っており,これが開発を難航させる1つの要因となったと述べられている。オリジナルの "Battlezone" の制作者として有名な Ed Rotberg 氏も, "Army Battlezone" の開発には大きな不快感を持っていたようだ。
http://www.dadgum.com/halcyon/BOOK/ROTBERG.HTM
2004-01-23
先日, Michael Mateas 氏らのブログ "Grand Text Auto" において, "CODeDOC" というイベントが紹介されていた。
http://grandtextauto.gatech.edu/archives/000194.html
"CODeDOC" は,ホイットニー美術館の運営するポータルサイト "Artport" の主催で開かれた「ソフトウェア・アート」の展覧会だ。
http://artport.whitney.org/commissions/codedoc/index.shtml
今年度の "CODeDOC II" については,世界的に有名なメディア・アート展覧会である "Ars Electronica" の中に組み込まれている。
http://www.aec.at/en/festival/programm/codedoc.asp
"CODeDOC" は,ソフトウェア・アートにおける「バックエンド」である「コード」と,その「フロントエンド」である「ソフトウェア」の間に潜む関連性について探ろうという試みだ。ここでは,普段は観察者から隠された存在である「コード」が,敢えて観察者に対して露出されている。つまり,「ソフトウェア」によってもたらされる視聴覚的な結果だけでなく,その記述言語である「コード」さえもが,1つの表現の手段としてアーティストに提供されるというわけだ。
……まあ,アート的な話については,ちょっと難しくて僕にはよく分からない。ともかく,主催者によって提示された課題を 8kB という制限の中で実装し,そしてその「ソフトウェア」と「コード」を見せ合い,ああだこうだと意見を交わすことによって,両者の関連性について新たな知見を得ようというものであるらしい。
ちょっと面白かったのは, "Sodaplay" 等の独創的な Java アプレット作品で有名な Soda 社の Ed Burton 氏が参加していることだ。
http://www.aec.at/en/festival/programm/codedoc/burton/projec...
Burton 氏の作品は "recentevents" と呼ばれる Java アプレットだ。「水流」の中に流されたバラバラの文字群が,互いに寄せ合い凝固しつつ,3つの文字列を構築して行く。最終的に現れ出て来るのは,最新のニュース記事の「切り抜き」だ。
http://www.soda.co.uk/recentevents/
http://www.aec.at/en/festival/programm/codedoc/burton/code.h...
いかにも Soda っぽい,シンプルなメカニズムの中にも不思議な有機性の感じられる作品だと思う。
2004-01-24
Soda と Ed Burton 氏と言えば, "Sodaplay" において公開されている Java アプレット "Sodaconstructor" が有名だ。
http://www.sodaplay.com/constructor/
この "Sodaconstructor" によって作られた作品の展示場である "Sodazoo" では,今でも世界中から様々な作品が投稿され続けている。
最近, Sodaconstructor の周辺において面白い動きが見られている。同社の新たなサイト "Sodarace" は, Sodaconstructor によって作られた「ロボット」の走行速度を競おうという趣旨のサイトだ。
"Sodarace" のユニークな所は,ロボット制作の補助的な手段として AI の利用を勧めていることだ。2次元の物理シミュレーションをベースとした Sodaconstructor のシンプルな仮想世界は, AI の応用にも適したフィールドであり,なおかつ十分な多様性を含んだものとなっている。この世界を共通のプラットフォームとして, AI による最適解探索のプロセスを模索しようというわけだ。
既に "Wodka" のような遺伝的アルゴリズムを利用したアプリケーションが登場しているほか,世界中の大学の AI 関連の研究室においても,それぞれ独自の方法が研究されているようだ。
http://asia.cnet.com/newstech/systems/0,39001153,39159843,00...
もしかしたらゲームに応用できるアイデアがあるかも……なんてのは,少し短絡的な思考ではあるけれど,少なくとも,遺伝的アルゴリズムの入門としては面白そうなフィールドであると思う。
Sodaconstructor には,もう1つ面白い話題がある。オランダのアーティスト Theo Jansen 氏の作り出した作品 "Strandbeest" との関連性だ。
"Strandbeest" は,「物理学者崩れのアーティスト」である Jansen 氏が長年取り組んでいる作品群の名称だ。黄色いプラスティック製のパイプと,ビニール製の帆によって組み立てられた,この奇妙で複雑な構築物は,風力を受けることによって滑らかな歩行動作を開始する。同サイトのムービーに見られる "Animaris Geneticus Ondula" の動きには,どこか非現実的な風があり,また Sodaconstructor の動きを連想させるものでもある。
http://www.strandbeest.com/movies/Animaris_Geneticus_Ondula....
Strandbeest と Sodaconstructor の間には直接の関連性は存在しないものの, Strandbeest もまた,コンピュータ上でのシミュレーションによって最適化の行われたメカニズムであるようだ。その辺りの話については, Popular Science の記事の中に軽く触れられている。
http://www.popsci.com/popsci/science/article/0,12543,396067,...
2004-01-25
ところで,先日の "Grand Text Auto" の記事は,本来は CODeDOC を取り上げたものではなく,ホイットニー美術館 Artport サイトのトップページに展示された Ken Perlin 氏の「スケッチブック」を紹介したものだった。
Ken Perlin 氏は,ノイズ生成アルゴリズム "Perlin Noise" の考案などで知られる CG 研究の専門家であり,ニューヨーク大学コンピュータサイエンス科の教授を勤める人物だ。
氏の研究スタイルに見られるユニークな点は,自身のアイデアをまとめるのに Java アプレットを活用しているということだ。氏は Java のプログラミングを非常に得意としており,自らのアイデアを検証したり,人に分かりやすく説明するために Java アプレットをよく利用している。氏にとってみれば, Java アプレットの作成はもはやドキュメンテーションの一部となっているのだろうと思う。
http://sydney.siggraph.org.au/conference/2002/html/perlin.co...
Artport に展示されている「スケッチブック」の中には,そんな氏の作成した Java アプレットの数々が収められている。そのいずれを観てみても,難しい解説や論文が飛び出してくるわけでもなく,誰でも直感的に理解することのできる内容のものばかりが並べられている。その不思議な雰囲気はまるで,子供向けの科学博物館の中に迷い込んだかのような感覚だ。
僕が特に気に入ったのは, "Rosie the Robot - a Question of Balance" と "In a logical world" だった。
http://artport.whitney.org/gatepages/artists/perlin/rosie/
http://artport.whitney.org/gatepages/artists/perlin/calcula/
前者のページ "Rosie the Robot" では,「一輪車の下半身を持つ家事ロボットは果たして設計可能か?」というテーマのもとに, Perlin 氏が様々な思考を廻らせている。端々のメカニズムの解説に Java アプレットを利用しているのが心憎い演出だ。余談だけれど,どうやら SIGGRAPH 2002 のコースでも何故かこの話を始めてしまったらしい。その「とりとめの無さ」が Perlin 氏のキャラクターを形作っているのだろうと思う。
後者のページ "In a logical world" では,「論理演算の世界を視覚的な挙動によって表現できないだろうか?」というアイデアのもとに,この奇妙なオートマトンを作り出している。この世界では,横方向へ動く矢印は「真」であり,縦方向に動く矢印は「偽」だ。すると, "NOT" 演算は,矢印の進行方向を 90 度回転させる操作に相当する。同じようにして, "OR" 演算や "AND" 演算も,2つの矢印の動きを合成する操作として定義することができる。このようにすれば,論理演算を2次元平面上の矢印の動きとして表現することができてしまう……何とも不思議なアイデアだ。
Artport の解説の中で, Perlin 氏の「スケッチブック」は,レオナルド・ダ・ヴィンチの残したスケッチブックに例えられている。現代においてダ・ヴィンチのスケッチブックは,芸術的な作品であると同時に,科学史上の産物としても捉えられている。それと同じように, Perlin 氏の「スケッチブック」も,単なるコンピュータ・サイエンス上の産物ではなく,アートとしての評価を行うことができるのかもしれない……ちょっと大袈裟ではあると思うけども。
余談だけれど,氏は Google に自作のアプレットを贈っていたりする。
http://www.google.com/heart/feature_cons.html
http://www.google.com/Easter/feature_easter.html
ニューヨーク大の教授であり,かつ,世界的に有名な CG 研究者でありながら,ジャンルを問わないアイデアマンであり,時には余興で Google に小物を作ってあげたりと,とにかく何でもやってしまう活発な人だと思う。
SIGGRAPH 2002 の "Fast-Forward Papers Preview" (50 秒で論文の紹介を行うというコーナー)では,改良された Perlin Noise アルゴリズムのアピールを行うために,自作のラップ "Rappin' Noise" を披露したことで注目を集めていたりした。
http://www.siggraph.org/conferences/reports/s2002/tech/ss4.h...
残念ながら,そのラップの音声データを見付けることはできないのだけれど,詩の内容は氏の個人ページに載せられている。
http://www.kenperlin.com/rappin-noise.html
2004-01-26
以前,どこかの立ち話の中で,「GCC に『不要な関数の除去』を行う方法が存在する」と言う話を聞いたことがあった。
基本的に GCC のリンカ (ld) は,渡されたオブジェクトファイルの内容を全てそのまま実行形式に加えてしまう。そのため,実際には使用していない関数やデータ(配列など)がオブジェクトファイルの中に含まれていた場合,出力される実行形式は,その不要なコードの分だけ無駄に太ってしまう。
これは,開発の最中はさほど気にならない問題であるものの(使わない関数がソースの中に大量に存在するという状況は,ちょっと珍しいと思う),リリース版のビルドを行う際には,少し気掛かりな問題となるのではないかと思う。リリース版には不要なはずのデバッグ用のコードが残ってしまっていることが考えられるためだ。
この問題を解決するには,どうやら, GCC に装備されている「関数固有セクションの作成」 (--ffunction-sections) と「不要セクションの除去」 (--gc-sections) を利用するのが良いようだ。
GCC のコンパイルオプション "--ffunction-sections" は,関数毎に固有のセクションを作成し,その中に関数の本体(コード)を格納するという機能だ。また,リンカオプションの "--gc-sections" は,リンク時に不要なセクションの判別を行い,それらの除去を行ってくれる。つまり,これら2つのオプションを組み合わせれば,結果的に不要な関数の除去を行うことができるようになるというわけだ。
例えば,以下のような2つのソースコード main.cc と sub.cc があったとする。
sub.cc に含まれる関数 func2 は,引数に渡された配列 in を要素 0 から要素 1024 まで加算するという巨大関数だ。内容は馬鹿げているけれど,したたかにコードサイズを食ってくれる。
もしここで, main.cc が sub.cc に含まれるコードを全く使用していなければ,「アーカイブ(ライブラリ)化してからリンク」という手順を踏むことによって sub.o の結合を防ぐことができる。しかし,上のように func1 を使ってしまっている状態では,実際には使用していない巨大関数 func2 までもが自動的に結合されてしまうこととなる。
まず試しに,このコードを普通にビルドし,コードサイズを計ってみる。
text セクションのサイズが "7b60" だから,すならち,コードサイズは 0x7b60 = 31,584 バイトだ。
次に,このコードを "-ffunction-sections" および "--gc-sections" の指定付きでビルドしてみる。
コードサイズは 0x294c = 10,572 バイトとなった。どうやら func2 の除去に成功しているようだ。
ついでに func2 のサイズを測ってみると,
0x5214 = 21,012 バイトであることが分かる。上の結果に見られる差にちょうど符合している。
このように,簡単な実験では "--gc-sections" が効果を発揮することが分かったものの,実際のプロジェクトのように複雑なケースとなると,なかなか思ったように効果を上げてくれないようだ。どうやら,この方法ではクラスのメンバ関数の除去までは行ってくれないようで,一部の機能しか利用していないようなクラスでも,ほとんどのコードが残ってしまうように見受けられた。
ともかく,もうちょっとリンカの仕組みについて詳しくなっておく必要があるかもしれない。
あと,これは余談であるものの, Windows 等で利用されている COFF 形式では,この方法はあまり上手く働いてくれないようだ。
http://gcc.gnu.org/ml/gcc/1999-02n/msg00501.html
そのため,上の実験は GBA アプリの開発のためにインストールしてあった ARM7TDMI 用の arm-gcc-elf を利用した。滅多に使っていないコンパイラだったのだけれど,妙な所で役に立ったものだと思う……。
2004-01-27
最近,定期的にチェックしているブログの1つに "LonghornBlogs" がある。
この "LonghornBlogs" は, Microsoft の関係者を含めた数十人の技術者達が, Microsoft の次世代 OS "Longhorn" について語り合うという趣旨のブログだ。ちなみに,このサイトは「有志」の手によって運営されており, Microsoft 社との直接的な関係は存在していない。
Microsoft 社員が, Microsoft とは何の関連も持たないサイトにおいて,まだ発売もされていない OS (Longhorn の発売は 2006 年に予定されている)に関して活発に情報を交わすなどという構図は,数年前ならば絶対に想像することのできないものだったと思う。それが今やこのように,自らの開発する OS の未来について,何の屈託も無く楽しげに語り合う状況となっている。
このような状況が生まれた背景には, Microsoft 社の広報活動に対するスタンスの転換が存在しているようだ。 Salon.com の記事 "The long road to Longhorn" では,次世代 OS "Longhorn" における同社の野心的な取り組みを解説するとともに,急激にオープン化へと向かっていった同社の開発コミュニティ体制について触れている。
http://www.salon.com/tech/col/rose/2003/12/22/longhorn/index...
また, Telephony Online の記事 "Blog and Tackle" では,このようなコミュニティのオープン化が行われた経緯を,同社のテクニカル・エヴァンジェリストである Robert Scoble 氏の存在に焦点を当てつつ解説している。
http://telephonyonline.com/ar/telecom_talk_broadband_economy...
どうやら,スティーブ・バルマー御大のお墨付きもあったということで,同社の「ブログ戦略」は急速に進められているようだ。
これらのブログを読んでいて感じることなのだけれど,このようなコミュニティのオープン化は,単に情報の流動率を上げるというだけでなく,ユーザー(外部の技術者)に対して心理的な変化を与えるという面でも大きな効果をもたらしているように思える。僕自身は,ブログを通して開発者達の素顔を知ることによって,同社に対する親近感が湧いてくるようになった。これは,人々の中にある同社の冷徹なイメージ……顔を持たない幾千ものプログラマー達が,市場を圧倒すべく黙々とソフトウェアを作り上げているというようなイメージ……を払拭するに相応しいものとなっているのではないかと思う。
前出の Salon.com の記事において,同記事の著者の Scott Rosenberg 氏は,この変化を以下のように語っている。
2004-01-28
Microsoft 社員が執筆を行っているブログの中には,前出の "LonghornBlogs" のように, Microsoft とは直接の関係を持たないブログサイトも存在するものの,それはどちらかと言えば少数派であると言えると思う。現在は Microsoft 自身も社員のためのブログサイトを運営しており,多くの社員がそこでブログを執筆している。
例えば, .NET フレームワークのコミュニティサイトである "Got Dot Net" などは,まさにこれらのオープン・コミュニティ化戦略の先駆けとなるサイトだ。
同サイトにはブログのセクションが用意されており,そこでは .NET フレームワークの開発に携わる Microsoft 社員達が,非常に多くのブログを執筆していた。
ただ,このサイトは徐々に廃れてきている。現在 Microsoft の「社員ブログ」の主流は "blogs.msdn.com" あるいは "Weblogs @ ASP.NET" へと移り変わりつつあるようだ。
"Exceptional C++" で有名な Herb Sutter 氏も,このサイトでブログを執筆している。ただし,今ではすっかり更新が止まってしまっているので要注意だ……。
http://blogs.msdn.com/hsutter/
Raymond Chen 氏のブログ "The Old New Thing" などは,以前からの僕のお気に入りだ。新プラットフォームに関する話題は比較的少ないものの,同氏が深く開発に携わった Windows95 などに関連するネタ(楽屋ネタやこぼれ話など)が多く披露されており,読み物としては非常に面白いものとなっている。
http://weblogs.asp.net/oldnewthing/
個人的な嗜好をもう少し述べるならば,例えば Jesse Ezell 氏のブログなども僕のお気に入りだ。特定の技術に関連した話題などに偏ってしまうのではなく,比較的一般性の高い話題を短い文章の中にまとめている。
http://weblogs.asp.net/jezell/
僕は,ブログには「モノローグ系」や「ニュースフィルタ系」のような分類が存在すると捉えている。この分類を適用するならば, Chen 氏のブログなどは「モノローグ系」であるし, Ezell 氏のブログは「ニュースフィルタ系」となる。「ニュースフィルタ系」のブログでは,その著者の持つ嗜好が「フィルタ」として働くわけなのだけれど,その嗜好がユニークなものであればあるほど,購読する価値は高まってくる。僕は恐らく, Ezell 氏の嗜好が好みなんだろうと思う。
あとは,比較的名の知られているところで, Robert Scoble 氏の "The Scobleizer" や, Joshua Allen 氏の "Better Living Through Software" などが狙い目かと思う。
http://www.netcrucible.com/blog/
中には飽きっぽい人もいるものの,上に挙げたブログのように,熱心に執筆を続けている人も少なくない。それらのブログの数の多さと質の高さは,ソフトウェア開発系ブログの一勢力として無視できない存在となりつつあるのではないかと思う。
2004-01-29
たまたま読んでいた Katherine Moriwaki 氏のブログ "personaldebris" において,面白いニュースが話題になっていた。遺伝子工学によって生み出された「地雷を検知する花」の話題だ。
http://www.wired.com/news/technology/0,1282,62066,00.html
http://www.mee.tcd.ie/~moriwaki/personaldebris/index.php?m=2...
上の Wired の記事(ロイター発)によれば,デンマークはコペンハーゲンのバイオテクノロジー会社である Aresa Biodetection 社が,「地雷を検知する花」の開発に成功したと伝えられている。同社はアブラナ科の一種である「シロイヌナズナ」 (Thale Cress) を遺伝子改良し,地中の二酸化窒素に反応して花の色を変えるような性質を持たせた。地中に埋められた地雷は常に微量の二酸化窒素を放出している。つまり,地雷の埋められている可能性のある地帯にこの花の種子を撒けば,地雷の周辺だけ色の変わった花を持つシロイヌナズナが生えてくるというわけだ。
シロイヌナズナは,高等植物の中では最も小さいゲノム構造を持っており,また栽培期間も比較的短い(温暖な環境ならば 3,4 週間で開花する)ことから,遺伝子工学の分野では研究の対象としてよく利用されているようだ。
http://www.nitto.co.jp/company/culture/ad/science/science_12...
http://www.google.co.jp/search?num=50&hl=ja&q=%83V%83%8D%83C...
シロイヌナズナのゲノム解析には比較的早い時期から着手されており, 2000 年の末には国際共同チームの手によって全ての塩基配列の解読が終了したことが伝えられている。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/1068848.stm
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/Bio/20...
遺伝子工学というと,個人的には,専ら食用農産物の改良にばかり利用されているようなイメージがあるのだけれど,このようなユニークな応用法が存在するとは思いもよらなかった。 Aresa 社の開発チーフである Oestergaard 氏も,「理論上は可能であった」というこの試みが本当に実現したことに対して,驚きを覚えているようだ。
同氏によれば,この花を利用した地雷の検知法は,従来の金属探知機や地雷犬などを利用する方法を完全に置き換えられるものではないものの,1つの有力な補助手段となりうることを述べている。地雷の埋設されている可能性のある地帯に対して,農業用の無線飛行機などを利用して種子をバラ撒けば,数週間のうちに色の付いた花が生えてくる。あとは,この花の色をヒントにしつつ,従来の方法を利用して地雷を除去するようにすれば,確実に安全性は高まってくれるはずだ。
件の記事によれば,この「花」の開発は,コペンハーゲン大学によって行われた生分子研究がベースとなっている。これらの植物は,育成時に特定のストレス(例えば寒さや渇きなど)を与えられると,その花の色を変化させるという性質を持っている。この性質に対して遺伝子工学を適用することによって,二酸化窒素のみに反応する品種を作り出したということだ。
また,このシロイヌナズナには,上のような性質の付加が行われているのと同時に,意図的に繁殖力を弱める変更が行われている。種子から子孫を残す能力が欠如しているため,一帯に種子をバラ撒いたところで,その繁殖は一世代で終わってしまう。このような特性を与えることによって,既存の生態系に対して深刻なダメージを与えることなく応用することを可能としているわけだ。
Oestergaard 氏はロイターのインタビューに対して,この発明の持つ可能性の大きさについて述べている。それによれば,このシロイヌナズナは地雷の検知のみにとどまらず,農学上の様々な用途に応用することのできる可能性を秘めている。例えば,同様の原理によって特定の重金属に反応する品種を作り出せば,土壌汚染を検出する花などを作り出すこともできてしまう。
そうして見てみると,この発明の持つ意味は非常に大きいと言うことができるのではないかと思う。
2004-01-30
ふとしたプログラマー同士の会話の中から, SMC を導入してみてはどうか,という話題が上がった。 SMC - "State Machine Compiler" とは,その名が表すように,有限状態マシンを実装したコードを自動的に生成するというツールだ。
似たツールを επιστημη 氏も作成している。
http://www.s34.co.jp/cpptechdoc/misc/smc/index.html
こちらは入力ファイルの XML への対応なども行っていて面白い。
http://www.s34.co.jp/cpptechdoc/article/xml/fsmgen/index.htm...
この2つのツールは,元は同じツールを参照しているようなのだけれど,その辺りの情報が曖昧になっており,詳しい事情は分からない。まあ,結果的に似たような2つのツールが存在しているという理解で良いだろうと思う。
幾つかのサンプルに目を通しつつ吟味してみると,なかなか良さそうなツールであることが分かってきた。しかし,今の僕のニーズとは,ちょっと適合していないような気もする。いわゆる「組み込み屋さん」のためのツールであるような雰囲気を強く感じるためだ。
僕がプログラムの中でよく実装している「状態マシン」は,概念としては GoF の "State Pattern" に相当するものであり,「状態の変化によって処理の内容が変化する」という事象を扱うために存在するものだ。
http://home.earthlink.net/~huston2/dp/state.html
この State パターンでは,個々の処理の実装を ConcreteState クラスの中へと逃がすことによって,巨大な Context クラスが構築されることを防ぐことができる。また, Context クラスから見た State オブジェクトは抽象的なので, Context クラスの抽象性を上げることも可能となる。どちらも「拡張に対しては開き,変更に対しては閉じる」という,いわゆる "Open-Closed Principle" のコンセプトを実現するものだ。
http://member.nifty.ne.jp/masarl/article/dp-ocp-2.html
これに対して,組み込み屋さんなどがイメージする「状態マシン」は,少し本質の異なるものであるように思える。ここでは,ステートの変化を扱うことと,ステートによって引き起こされる「アクション」を扱うことが本質であって,抽象性云々の話題は上がってこない。つまり,「状態マシン」とは「状態遷移図」を実装へと落とし込んだものであり, Context クラスはむしろモノリシックへと向かうことが望まれているようだ。
前出の SMC では,外部から呼び出される「イベント」に対して,「遷移先のステート」と「アクション」を割り当てることができる。この場合,「アクション」が実質的な処理を担うことになるのだけれど, SMC では,この「アクション」が全て Context クラスの public メソッドとして実装されていることを前提としている。つまり,あくまでも実質的な処理は Context クラスに実装されることが想定されているわけだ。
以上の話をまとめると, SMC が提供するのは「イベントに対する状態遷移とアクションのマッピング」であり, State パターン云々と結びつけることは難しいとみることができると思う。 επιστημη 氏が SMC を "State Machine Compiler" ではなく "State Map Compiler" と表しているのが,それを裏付けるものかもしれない。
そのマッピングを自動化することにメリットを見出せるのならば, SMC は強力なツールとなるだろうし,逆に,そこにメリットを見出せないのであれば,かえって回りくどい思いをすることになるかもしれない。僕個人としては,後者のケースに当てはまることが多いように感じた。
2004-01-31
結局のところ, SMC が使えないツールであるというわけではなくて,用途さえ適合していれば役に立つものなのではないかと思う。僕自身も, State パターンのような仰々しいものを持ち出す必要の無い場面では,普通に enum に状態を列挙して, switch-case で各状態の処理へと飛ばす,というようなコードを組むことがある。そのような場合に SMC を利用するのは賢いアイデアかもしれない。
一般に,状態遷移を扱う機構のことを「有限状態マシン」 (Finite State Machine) ,あるいは略して "FSM" と呼ぶことがある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Finite_state_machine
どうやら,元は字句解析や正規表現の処理などに利用される概念であり,その手の分野において相当な広がりを持つものであるらしいのだけれど,あまり縁の無い分野なので詳しいことはよく分からない。また,いわゆる「組み込み」の分野で用いられる「有限状態マシン」という概念と,情報理論の分野で用いられるそれとが,どの程度の関連性を持つものなのかということも,僕にはよく分からない。
google 等で検索をかけてみると, SMC の他にも幾つかの状態マシンコンパイラを見付けることができる。
http://www.essemage.com/ragel/
http://www.cs.virginia.edu/~jwh6q/stax-web/
これらのコンパイラは,字句解析に特化されたような観がある。それ以外の用途に応用することは難しいだろうと思う。
ゲームプログラミングに関連する話題の中でも,たまに FSM の概念が持ち出されることがある。例えば,キャラクタアニメーションの遷移を FSM として実装したり,ゲーム全体のフローを FSM によって制御したり……中でも多いのは, AI (思考ルーチン)のフレームワークとして用いられる FSM ではないかと思う。
http://ai-depot.com/FiniteStateMachines/FSM.html
AI に関しては,単純な FSM よりも,階層的 FSM (Hierarchical FSM) の適用が効果的であると考えている。
http://www.eventhelix.com/RealtimeMantra/HierarchicalStateMa...
http://www.cs.wisc.edu/~schenney/courses/cs679-f2003/lecture...
階層的 FSM は,ステートの実装に階層的な構造を取り入れることによって,ステートの乱造を避けるという手法だ。抽象性の高いステートを階層の上位に実装し,具体性の高い処理を階層の下位に実装することによって,抽象的な処理を複数の具体ステートの間で共有することが可能となる。
AI 処理の例で言うならば,「平穏」「敵対」のような「抽象的な思考」を上位層として分類し,「歩行・静止・索敵」「追跡・射撃・逃避」のような「具体的な挙動」を下位層として分類することができる。後者の2つの群は,それぞれが独立した FSM を構成しており,時間の経過や敵の動きに応じて状態の遷移が行われる。前者の2つの「思考」についても,同じような FSM が構成されており,「敵を見付けた」「敵を見失った」等のイベントに応じて状態の遷移が行われる。
階層的 FSM を導入するまでは,この2つの要素(「思考」と「挙動」)を完全に分離されたモジュールとして実装することを試みていたのだけれど,そのような設計はなかなか上手く形にすることができなかった。恐らく,これらの要素があまりにも密に結合してしまっているため,無理に引き離そうとすればするほど,余計な手間が発生してしまうのだろうと思う。結局,これらを階層的な状態マシン - つまり階層的 FSM として設計することによって,非常に軽量な完成形を得ることができるようになった。
個人的には,上の EventHelix の記事にあるような継承を利用した階層的 FSM モデルよりも,内包(合成)を利用した階層的 FSM モデルの方が柔軟性に優れていると考えている。継承の方が最終的なコード量は少なく済むものの,ステート同士が密に結合してしまうため,部分的な再利用が行いにくくなるというのがその理由だ。
上で挙げた例で言うならば,下位層にあった「歩行」と「追跡」は,目標地点が異なるというだけで,あとはほぼ同じ処理としてまとめることのできる可能性がある。そこで,これらの両方に対応できるようなオプションを追加した上で,「地点移動」というステートにまとめてしまえば,他にも様々な場面で再利用することのできる「コンポーネント」として運用することが可能となるかもしれない。
この辺りの話題は,ゲームオブジェクトの実装における「継承対合成」の話題に似ている所があると感じる。また,我流で編み出している部分も多いため,まだ理屈としてまとめることが出来ないでいる。もう少し既存の資料を調べてみた上で,まっとうな理屈を付けることが出来ればと考えている。