
2004-09-01

Clive Thompson 氏のブログ "collision detection" は,最近特に気に入って購読しているブログの1つだ。
http://www.collisiondetection.net/
サイバー方面の話題なら何でも,技術や文化や政治まで,幅広く取り扱っている。話題を捉える視点はジャーナリスト然としており,日記というよりかはニュースやコラムに近い雰囲気がある。投稿の頻度が安定していることも魅力の1つだ。
先日のこと,その Thompson 氏が New York Times にゲーム産業と軍の関係を題材にした記事を寄稿していた。題名は "The Making of an X Box Warrior" だ。
http://www.collisiondetection.net/mt/archives/000943.html
http://www.nytimes.com/2004/08/22/magazine/22GAMES.html?ex=1...
また,これは別の筆者による記事になるのだけれど,上のコメントの中で紹介されている Wired の記事 "The War Room" も面白い。上の記事と同様に,ゲーム産業と軍の関係について扱った記事だ。
http://www.wired.com/wired/archive/12.09/warroom.html?topic=...
これらの記事においては,ゲームを中心とした娯楽産業と軍の関係について,過去の関係から将来の展望まで,様々な事実が提示されている。最近特に結びつきが強くなってきていると考えられる両者の関係について,大体の概観を掴むことができることができるのではないかと思う。
これらの記事において共通して触れられているのが, Institute for Creative Technologies - ICT の存在だ。
ICT は,米陸軍と南カリフォルニア大学 (USC) によって設立された研究機関だ。軍事訓練用のシミュレータの開発を目的としており,娯楽産業に遍在する技術と才能を積極的に取り込んでいくことを主眼に置いている。最近話題になった戦略ゲーム "Full Spectrum Warrior" も,この ICT が技術開発を担当したことで知られている。
http://www.ict.usc.edu/disp.php?bd=proj_games_fsw
また,余談になるのだけれど, USC には HDR で有名な Paul Debevec 氏が籍を置いており,氏もまた ICT との関係を持っている。
http://www.ict.usc.edu/graphics/
実際に ICT で行われている研究内容を覗いてみると,非常にゲームに似通ったものや,あるいはゲームそのものを作成していることが分かる。例えば Join Fires and Effects Trainer System - JFETS などは,まるで新手のアーケードゲームか,テーマパークのアトラクションかのような雰囲気だ。
http://www.ict.usc.edu/disp.php?bd=proj_concept_jfets
http://www.ict.usc.edu/media/jfets/JFETS%20Trlr_512k.wmv
http://www.ict.usc.edu/media/jfets/OTM%20Clip_512k.wmv
http://www.ict.usc.edu/media/jfets/UTM%20Clip_512k.wmv
2004-09-02

軍がゲーム産業に歩み寄る最大の理由は,なんと言っても,そこに高いコスト効果が存在するためだ。実際の訓練において本物のロケットを1機発射するには1万ドル以上の費用が必要とされる。国防総省が 2002 年に行った大規模演習 "Millennium Challenge" においては,たった3週間で2億5千万ドルもの予算が費やされている。それに対し,過去5年の間に陸軍が ICT に対して投入した資金は4千5百万ドルに過ぎない。また,実際の訓練においては作戦毎に何週間もの準備が必要とされるのに対して,例えば JFETS のようなシステムにおいては,その気になれば1日で新しい作戦を準備することが可能となる。
シミュレータを利用した訓練は,古くは第二次世界大戦の頃から行われていたものの,これらの装置は非常に高価であるという欠点があった。例えば,軍用の本格的なフライトシミュレータでは1台あたり3千ドルもの費用がかけられている(これは戦闘機1台分に相当する)。しかし,最寄の大型スーパーにでも足を運べば,1個たった 29.99 ドルの "Microsoft Flight Simulator" が棚に並べられている。これら2つの「シミュレータ」の内容に大きな差があることは認められるものの,それよりもずっと大きなコストの差が存在することは明らかなはずだ。
Moves Institute (America's Army の開発を担当した海軍関連の研究機関)のディレクターである Michael Zyda 氏は,この「格差」を認識するようになった頃のことを次のように回想している。
更に,時代が大国同士の戦争よりも,市街を舞台とした対テロ戦に移りつつあることが,シミュレータに求められる要求を変えようとしてきている。
従来のシミュレータは,乗り物の運転と操作の習得のために作成されたものが多く,歩兵の戦闘に焦点を当てたものは少ない。そこで,戦争ゲームの類を戦闘訓練に結びつけようというアイデアが出てくるのだろうと思う。
もうひとつ興味深いのは,軍がゲーム産業に歩み寄るのではなく,逆にゲーム産業が軍に歩み寄るという構図も存在することだ。そして更に興味深いのは,その要因のひとつとして,愛国心の存在が示唆されていることだ。
Forterra Systems 社は「仮想世界ゲーム」こと "There" で知られる会社だ。現在は米陸軍の Research, Development and Engineering Command (RDECOM) と共同で MMO 型軍事シミュレータの開発を行っている。
http://www.forterrainc.com/solutions_mil.html
果たして愛国心が Gehorsam 氏の真意であるかどうかは,自分には量りかねるものがある。しかし,そうした時代の趨勢が,娯楽産業と軍の結びつきを作り出す一端になっているということは,事実として認められるものであるだろうと思う。
2004-09-03
軍との関係を持つゲームとして有名なのは,何と言っても "America's Army" と,最近発売された "Full Spectrum Warrior" だろうと思う。
http://www.fullspectrumwarrior.com/
これらのゲームは,どちらも兵士の訓練を目的としたものではない。 "America's Army" は新兵募集のための宣伝を主な目的としている。 "Full Spectrum Warrior" に関しては, MOUT (Military Operations in Urban Terrain) の訓練用シミュレータとして開発されたという話も聞かれるものの,実際には兵士達の娯楽のためのツールとして作られたというのが実情に近いようだ。
Full Spectrum Warrior のウェブページにある FAQ には,このゲームの生まれた経緯や,各関連組織の関係などが簡単に解説されている。
http://www.fullspectrumwarrior.com/gm_faq.php
開発元である Pandemic Studios と ICT, それから軍の間には協力関係が存在するものの,基本的には Pandemic 社製の独立したゲームであるというのが,このゲームのスタンスであるようだ。コピーライト表記の所にも,このゲームが軍の公認ではなく,また軍のスポンサーも受けていないことが明示されている。
兵士達がプレイする Full Spectrum Warrior は,市販のものと比較してエフェクトが地味なものに変更されているほか,敵の攻撃がより熾烈なものへと変更されている。とは言っても,この「軍用バージョン」は,そういう特殊な製品が用意されているわけではなく,ロックされた機能として市販のバージョンに同梱されているということだ。軍では何らかの方法を利用してこの機能をアンロックするわけだけれど,実は,この機能をアンロックする方法が既に裏技の一種として流布されている。
http://www.google.com/search?q=%22full+spectrum+warrior%22+u...
ここで気がかりなのは,このように誰でも自由に入手することのできる「シミュレータ」がテロリストの手に渡り,訓練のための道具として利用されてしまうことも考えられるのではないかということだ。
例えば,フライトゲーム(シミュレータ)を訓練に利用した場合の効果が次のように指摘されている。
Full Spectrum Warrior のようなゲームも,フライトシミュレータの例と同じように,テロリストに対して技術を与えるチャンスになってしまうのではないかという指摘がある。そのような指摘に対して ICT の James Korris 氏は, Full Spectrum Warrior が扱っているような内容は非常に古典的な教練に属するものであり,アルカイダのようなテロ組織や他の「諸国」にとっては,既に熟知されているものでしかないと主張している。
2004-09-06

Google はどうにも自然対数の底 (e) が好きらしい。先の IPO において提示された希望調達額は e * 10^9 ($2,718,281,828) であったし,ついには求人広告にまで e を使いだしている。
http://www.google.com/googleblog/2004/07/warning-we-brake-fo...
この広告は今年の7月辺りからシリコンバレーのハイウェー沿いに掲げられたものであるらしいのだけれど,最近になって Bob Congdon 氏がブログの中で取り上げるまで,自分はこの看板の存在を知らなかった。
http://www.bobcongdon.net/blog/2004/09/stealth-job-postings....
この看板の経緯については cnet の記事に詳しい。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20069765...
看板の内容は,このようなものだ ― 「e の連続する数字の中に見つけられる最初の10桁の素数 .com 」
このような数値を探すことは,実はそれほど難しくない。まず, e の値は Wikipedia (Wikisource) からコピペで得ることができる。1万桁分しかないけれど,恐らくこれで十分だ。
http://wikisource.org/wiki/E_to_10,000_places
素数の判定に関しては, Wikipedia の "Primality Test" (素数判定)の項に載せられていた最も簡単な方法を利用することができる。すなわち,「判定する数の平方根よりも小さな全ての自然数で割り切ることができれば,その数は素数である」というものだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Primality_test
だいたい以下のような Python スクリプトになる。 array には e の値を文字列として代入しておく。
出力される答は "7427466391" だ。早速 "7427466391.com" にアクセスしてみると,今度は別の問題が与えられる。
なんとも謎めいた問題だ。 f(4) に先ほどの答 "7427466391" があることから,これらの数字の羅列が e の一部分であることはすぐに分かる。しかし,そこからどうにも前進することができない。仕方が無いので Google に助けを求めたところ("7182818284" で検索してみれば,沢山のサイトがヒットする),どうやら,右辺の値を桁ごとに分解して総和を取ると 49 になることがヒントであるようだ。むむ……それだったら,答を探すのは難しくない。
得られる答は "5966290435" だ。これをパスワードとして,ユーザ "Bobsyouruncle" で www.linux.org にログインすると,ようやくゴールに辿り着くことができる。
http://www.google.com/labjobs/index.html
上のページには,問題を解くことができた人に向けた特別なメールアドレスが記載されている。 Google 側としては,求人にこのような方法を用いることによって,応募者のSN比を引き上げたいという思惑があるようだ。個人的な感想としては,2問目が「問題」というよりかは「謎かけ」になってしまっている点が少し残念だった(自力で解けなかったひがみだろうか?)。
もちろん, Google を利用してしまえば解答の載っているページを探すことは全く難しくないから,「入社問題」としての効果は実質的に無いと考えられる。フィルタリングすることができるのは,「このような問題を解けるかどうか」ではなく,「このような謎かけに興味を示すかどうか」という点だ。恐らく Google 側の意図もそこにあるのだろうと思う。
2004-09-09
人類のこれまでの歴史の中から,最も愚かなコンピュータプログラムを1つ挙げるとすれば,旧ソビエト連邦の弾道ミサイル早期警戒システム (Ballistic Missile Early Warning System - BMEWS) を構成するコンピュータに組み込まれていたプログラムが,その肩書きに相応しい存在かもしれない。
冷戦の只中であった1983年9月26日のこと,モスクワ近郊に配置されたバンカーの1つである Serpukhov-15 において,米国からのミサイル攻撃を告げる警報が突然鳴り始めた。最初は一発,続いて一発,また一発と警報は増え続け,最終的に計5発の大陸間弾道ミサイル (Intercontinental Ballistic Missile - ICBM) がソビエト連邦に接近しつつあると報告された。当時のソビエト連邦の地上レーダーシステムは地平線よりも向こうの対象を検知することができなかったため,それを早期警戒システムに利用することはできなかった。あてになるのは,衛星から発せられるミサイルの発射警報だけだ。
警報はけたたましく鳴り続けた。オペレーター達は皆席を立ち上がり,青ざめた顔でこちらを見つめている。目の前の操作パネルには「開始」と刻印されたボタンが赤く眩しい光を放っている。もしソビエト連邦を狙って飛来するミサイルを検知したならば,このボタンを押して報復攻撃を開始せよと指示されている。しかし,このボタンを押せば,警報の正誤に係わらず,確実に核戦争は始まってしまうだろう。そうすれば,相互確証破壊 (Mutually Assured Destruction - MAD) の理論の元に,双方の国土は焦土と化してしまうかもしれない。
当時 Serpukhov-15 の司令官を務めていた Stanislav Petrov 中佐は,国家の命運を ― 延いては全世界の命運を担う決断を迫られた。
http://www.mosnews.com/feature/2004/05/21/petrov.shtml
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/inatl/longterm/coldwar/...
http://en.wikipedia.org/wiki/Stanislav_Petrov
Petrov 氏は己の分析と直感を信じ,その警報は誤りであるという判断を下した。最初の警報から5分も経たない間の出来事だった。
それから15分が経過しても,ミサイルがソビエト連邦の国土に降り注ぐことは無かった。その後の調査によって,このときの警報はシステムの誤作動であったことが判明した。雲で反射された太陽光が,ミサイルの発射として誤検出されてしまったというものだ。これは本来ならば,コンピュータプログラムによってフィルタリングされるはずの情報だった。
事件の直後,氏の決断は賞賛をもって受け入れられたものの,詳しい事件の調査が始まると,軍は自らのシステムの不備を認めることを拒み,氏をスケープゴートとして仕立て上げ始める。軍の規則に背き,システムの警告を無視したかどによって,氏は賞賛されるどころか責められる立場へと追い詰められた。それからしばらくした後に,氏は自ら軍を退役している。
しかし,冷戦の時代が終わりを告げ,この事件の存在が明らかになるにつれ,「知られざる英雄」こと Petrov 氏の偉業を評価する動きが高まっている。今年の5月には,世界市民協会からトロフィーと $1,000 の賞金が贈られた。
http://www.worldcitizens.org/petrov.html
この事件が発生したのは夜間であり,本来ならば Petrov 氏は職務に就いていないはずだった。もし予定通りに Petrov 氏が席を外していれば,別の司令官が誤った判断を下し,核による世界の破滅を招いていたかもしれない。システムの設計上の不備が人類を危険にさらし,冷静な人間の判断がその危機的状況を救った。人間の判断能力がシステムの不備を補うという例であるし,また,判断を下す人間がまともでなければ,結局はどうにもならないという例でもあるだろうと思う。
http://www.bobcongdon.net/blog/2004/09/stanislav-petrov.html
http://www.metafilter.com/mefi/35399
2004-09-13

カメラとレンズの関係について調べていくと,その先に必ず行き着くもののひとつに,ピンホールカメラがある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pinhole_camera
http://www.pinhole.cz/en/pinholecameras/whatis.html
レンズとフィルムの組み合わせが「カメラ」だと思い込んでいる自分にとって,ピンホールカメラの存在は異質なものとして感じられる。暗室に穴(ピンホール)を開けただけのものが光学的な投影装置になるというのだから,何とも不思議な話だと思う。
http://www.toshi-photo.com/Tutorial/Tutorial_01.html
レンズを使用しないピンホールカメラは,基本的に無限の被写界深度を持つものと考えることができる ―― とは言っても,あらゆるものがくっきりと写るというわけでは無く,「あらゆるものが等しくボケる」という方が正しいかもしれない。穴の大きさ(形状)と,穴からスクリーンまでの距離(焦点距離)によって「ボケ具合」が決定される。
基本的には,穴をできるだけ小さくし,焦点距離を短くした方が画像は鮮明になる。ただし,穴を小さくし過ぎてしまうと,光の波の性質によって回折 (diffraction) 現象が発生してしまい,かえって画像はボケてしまう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Diffraction
http://web.archive.org/web/20030402071341/http%3a//www.pinho...
回折を考慮した場合の最適な穴の大きさを求める方法は,レイリー卿をはじめとする19世紀の物理学者達の手によって導き出されている。その式によれば,例えば焦点距離が 50 mm である場合,穴の直径は 0.3 mm 程度が最適であるとされる。
http://www.pinhole.cz/en/pinholecameras/pinhole_01.html
穴の大きさと焦点距離は露光時間にも影響を与える。穴を小さくするほど光量は減少するため,適切に感光させるには露光時間を長くしなければならない。この辺りの仕組みは通常のカメラと同じであるものの,絞りと焦点距離の関係を表す「f ナンバー」は,通常のカメラでは高々数十程度であるのに対して,ピンホールカメラでは数百もの値になってしまう。これは,露光時間が数秒から数十秒も必要とされることを表している。
http://en.wikipedia.org/wiki/F_number
ともあれ,愛好家に言わせるならば,ピンホールカメラの味は,暖かなボケ具合や,一枚一枚を手作業で撮るというスローライフ感覚にあるというのだから,ちょっとぐらい穴の大きさや焦点距離がズレていたところで誰も怒りはしないだろうと思う。例えば, Lomography.com の "Paint Can Camera" などは,非常に大雑把なデザイン(?)ながらも,コミカルな外見の中にピンホールカメラのローファイ感が上手く凝縮されていると感じられる。
http://shop.lomography.com/can/
また, Pinhole.cz 主催者の David Balihar 氏は,自作のピンホールカメラと,そのカメラを使って撮影した写真をウェブ上に展示している。これもまた味わいのある作品ばかりで面白い。
http://www.pinhole.cz/en/pinholecameras/mycameras.html
「撮る過程を楽しむ」というコンセプトのもとに,商用のピンホールカメラのキットなども販売されている。特にポラロイド社のキットは有名なようだ。
http://www.polaroid.co.jp/product/business/pinhole/pinhole80...
http://www.vividcar.com/cgi-bin/WebObjects/f1b8d82887.woa/wa...
2004-09-14

次に,カメラの歴史に関して遡ってみると,写真発明以前の原始的な投影装置「カメラ・オブスキュラ」 (Camera obscura) に辿り着く。
http://en.wikipedia.org/wiki/Camera_obscura
http://brightbytes.com/cosite/what.html
カメラ・オブスキュラは,暗室内のスクリーンに外の風景を映し出すという機能を備えた,単純な機構の投影装置だ。初期にはピンホールカメラと同じ原理を用いたものが作られ,その後の改良を経て凸レンズや凹面鏡を付け加えたもの(どちらも集光によって画像を鮮明にする働きがある)が作られた。ピンホールカメラの原理自体は紀元前5世紀頃に中国の墨子によって発見されているものの,カメラ・オブスキュラがヨーロッパで本格的に利用され始めるのはそれよりもずっと後のことだ。15世紀にはレオナルド・ダ・ビンチのノートの中にカメラ・オブスキュラに関する記述が登場しており,16世紀以降にもなると,画家の間ではかなり一般的な道具として用いられるようになったようだ。この時代の画家たちは,カメラ・オブスキュラのスクリーン上に投影された画像をトレースすることによって,写真のように写実的な絵画を描いたとされている。ちなみに,化学的な感光反応を利用した「写真」の登場までには,まだ数世紀の時間が要されることになる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Photography
カメラ・オブスキュラが台頭を遂げた時代は,ちょうどヨーロッパにおいてルネッサンスが興った時期と重なっている。そのことから,カメラ・オブスキュラの存在がルネッサンス期における絵画の技法の発展に寄与したとする分析があるようだ。例えば,ポップアートの巨匠として有名な David Hockney 氏とアリゾナ大教授の Charles Falco 氏のコンビは,ルネッサンス期の著名な画家たちが,実はカメラ・オブスキュラを利用していたとする仮説を投げかけている。
http://webexhibits.org/hockneyoptics/post/intro_hypothesis.h...
画家たちが利用していたカメラ・オブスキュラの中には,画質を上げるために凸レンズや凹面鏡を用いたものがあった。これらの部品はスクリーンに映し出される映像を鮮明にする働きをもつ反面,被写界深度が浅くなるという欠点を備えている。この場合に,全体的に鮮明な画像を得るためには,奥行きに応じて焦点を合わせ直さなければならないのだけれど,焦点の移動は画角 (angle of view) の変化を伴うため,結果として遠近感に微妙な破綻が生じてしまう。 Hockney 氏によれば,件の画家たちの作品の中には,そのような遠近感の破綻が見られることがあるとされている。
Hockney 氏の言説を支えるもうひとつの柱は,ルネッサンス期における写実性の大きな飛躍だ。氏は15世紀以前と以降の絵画を比較し,それらの絵画に見られる写実性に関して,あまりにも大きな差異が存在することを指摘している。その付近に,画家たちの描写能力を大幅に向上させた何らかの要因が存在したはずだ ―― それがカメラ・オブスキュラであるということだ。
実は,この時代の著名な画家たちがカメラ・オブスキュラを利用していたのではないかとする仮説は,結構昔から存在するものであるようだ。例えば,フェルメールの作品とカメラ・オブスキュラ利用説の関係については「ごん」氏の解説に詳しい。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/3587/saguru.html
一方で,カメラ・オブスキュラ利用説に反論を挙げる研究者もいる。 Ricoh Innovations の研究員でありスタンフォード大学の Consulting Professor でもある David Stork 氏は,画像解析の技術を利用して Hockney 氏の仮説に真っ向から反論を挑んでいる。
http://www-psych.stanford.edu/~stork/CriminisiStorkICPR04.pd...
http://www-psych.stanford.edu/~stork/FAQs.html
Stork 氏が例に挙げているのは,ファン・エイクの「アルノルフィニ夫婦」だ。 Hockney 氏はこの絵画がカメラ・オブスキュラの力を借りたものであるとし,それに対して Stork 氏は肉眼による描写であると反論する。
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/V/vanEyck/Arnolfini.htm
Stork 氏は,この絵画の上部に描かれているシャンデリアのアームの数本に関して幾何的な解析を適用し,これが正確なパースペクティブを描いていないことを発見した。アーム毎にパースが異なっていることはともかくとしても,同じアーム内にもパースにムラが見られるのは,カメラ・オブスキュラを利用していたのでは現れないはずの徴候だ。
また同時に Stork 氏は,現代画家の手によるシャンデリアの描写を引用し,これが肉眼の観察のみによって描かれたものであるにも係わらず,非常に写実的な描写を実現していることを参考に挙げている。また,その絵画にみられるパースの狂いを先の例と同様に計測してみたところ,ファン・エイクの作品に見られたパースの狂いと非常に似通った性質の結果が得られたと述べている。
Stork 氏によるこれらの主張は,画家たちはトレースを用いなくとも肉眼のみで十分に写実的な描写を行う能力を持ち得るものであり,15世紀の高名な画家たちは既にその技術を確立するに至っていたとする見方を後押しするものだ。またこれは,コンピュータを利用した画像解析技術が美術史上の議論に一石を投じることができたという点に着目した場合にも,非常に面白い話題であると思う。
2004-09-15

カメラと写真について色々と資料を調べてみると,その中に "bokeh" ― 「ボケ」という単語が登場することに気付く。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bokeh
この "bokeh" という単語は,そのまま「ボケ」ないしは「ボケ味」のことを表している。単に「ぼやける」という意味では "blur" が用いられるはずなのだけれど,特に美術的 (aesthetic) な意味合いを持って「ボケ」に関する議論を行う際には, "bokeh" という語彙が用いられることがあるようだ。
写真家兼ライターである Mike Johnston 氏によれば,この "bokeh" という語を導入したのは,氏の友人である Oren Grad 氏であるとされている。
http://www.photo.net/mjohnston/column49/
「ボケ」は,単純にローマ字で表記すれば "boke" となるのだけれど,これでは「ボーク」と読まれてしまう恐れがある。事実,そのように発音する人が多かったため, Johnston 氏が末尾に "h" を付け加えて "bokeh" になった……という顛末だ。それが 1997 年頃の話なのだけれど,それ以降,この "bokeh" という用語は意外に早く広まりつつあるようだ。試しに Google で検索を行ってみると 16,000 以上のヒットを得ることができる。
http://www.google.com/search?q=bokeh
「ボケ味」とは,個々のカメラに備わっている固有のボケ具合のことを表す。このような性質は,主にレンズと絞りの設計によって生み出される。この辺りの関係については Harold M. Merklinger 氏の記事 "A Technical View of Bokeh" に詳しい。
http://www.trenholm.org/hmmerk/ATVB.pdf
http://www.luminous-landscape.com/essays/bokeh.shtml
Merklinger 氏の記事の中でも興味深いのは,三角形状の絞りを用いて撮影を行ったサンプル画像だ。画像の形状に大きく依存する形でボケの生じる様子がよく分かる。このような「ボケ」が,最終的に見た目の不自然さを生み出すであろうことは想像に難くない。また氏は同時に,「ボケ」の光学的な効果だけでなく,心理的な効果も考慮しなければならないと述べている。不自然な形状が目の錯覚を招き,更なる不自然さを生み出してしまうためだ。
ボケは,絞り以外にもレンズによって固有の「味」が生み出される。絞りが理想的な形状を持つと仮定すると,散乱円 (Circle of Confusion) は一様な密度を持つように思われるのだけれど,実際には,レンズの設計によって散乱円の密度には偏りが生じる。ここで例えば,散乱円の周囲に明るみが偏ると,輪郭が二重に見えるような性質のボケ ― いわゆる「二線ボケ」となってしまい,「汚いボケ」であると認識されてしまう。逆に,散乱円の中央に明るみの偏るようなボケは「柔らかなボケ」として好まれる傾向にあるようだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Circle_of_confusion
http://www.kenrockwell.com/tech/bokeh.htm
http://ca.konicaminolta.jp/interview/020405/itv/cnt/itv_02.s...
余談になるのだけれど, Wikipedia の写真用語関連の記事はかなり充実しており,色々と調べる際にとても参考になった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Photography
特に Lens (optics) のページなどは,図解や数式も非常に奇麗にまとまっており質が高い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lens_%28optics%29
中には未完成のページも存在するのだけれど,もし,このクオリティでページが埋められていくとしたら,いつの日か本当に百科事典の代替として成立するようになる日が来てしまうのではないかと思う。
2004-09-16

先日,ゲーム系ニュースサイト Joystiq において, Metanet Software の "n" というフリーのゲームが紹介されていた。
http://www.joystiq.com/entry/5562458579279881/
http://www.harveycartel.org/metanet/n.html
"n" は, Macromedia Flash を利用して作られた2Dアクションゲームだ。主人公の忍者を操作して,ゴールドを広い集めつつ,ゴールまで辿り着くことができればクリアとなる。非常に高いアクション性とパズル性を伴っており,その形式的なゲームデザインには「ロードランナー」をはじめとする「アクションパズルゲーム」の流れを感じることができる。また,プレイヤーキャラクターの挙動に見られる独特の浮遊感覚には,往年のアタリ社の名作 "Major Havoc" を彷彿とさせるものがある。
http://www.klov.com/game_detail.php?letter=M&game_id=8601
http://www.ngy.1st.ne.jp/~momochi/untiku/havoc.htm
プレイヤーキャラクタに武器は無く,敵を破壊することも一切できないのだけれど,滑らかな操作性と多彩なギミックがゲームプレイの幅を作り出している。標準で用意されているステージには5ステージ×60エピソードの計300ステージがあり,これだけれも相当に手応えのある内容となっているのではないかと思う(自分は最初の方のステージしかクリアすることができないのだけれど……)。
このゲームの面白いところは,ハイスコアとリプレイデータのオンライン登録に対応していることだ。メインメニューの "highscores" を選択することによって,サーバーに登録されたハイスコアラーたちのリプレイデータをダウンロードすることができる。これが実に超絶的なプレイばかりで埋め尽くされており,これを鑑賞するだけでも相当に楽しめるものとなっている。特に後半ステージの変態的な内容のステージを軽々とクリアしていく様は,まさに神業と呼ぶに相応しいものがあると思う。
このゲームには,ステージエディタ "Ned" が内蔵されており,誰でも好きな面を作成することができるようになっている。
http://www.harveycartel.org/metanet/ned.html
面白いのは,作成したステージデータやリプレイデータはファイルとして保存されるのではなく,テキスト化されてテキストボックスに表示されるというところだ。そのため,わざわざファイルのやりとりを行わなくとも,出力されたテキストをメールや掲示板にコピペするだけで,データの交換を行うことが可能となっている。
"n" のユーザコミュニティサイト Numa (The N User Map Archive) では,ユーザの作成したオリジナルマップ数百個が,そのような「コピペベース」の方式によって公開されている。
"n" の作成を行った Metanet Software は, Raigan Burns 氏と Mare Sheppard 氏の二名によって構成される独立系の制作集団だ。
http://www.harveycartel.org/metanet/about.html
Metanet Software のウェブサイトでは,オリジナルゲームの公開を行っているほかに, "Tutorials" のコーナーにおいて衝突判定に関する入門記事など掲載していたりする。
http://www.harveycartel.org/metanet/tutorials/tutorialA.html
"n" の淀み無い動きを見るに,相当にまともな処理を行っているのだろうということは想像できるのだけれど,それにしても,それを ActionScript によって実装しているという辺りに変態的な気合を感じ取ることができる。
また, "n" のクレジット画面の "inspired by" の項目に ABA Games の ABA 氏の名が挙げられているのも興味深い。確かに,形式的なゲームデザインと独立系としての活動スタイルという点において,両者に相似するものを見つけることができるのではないかと思う。
2004-09-17
英ガーディアン誌が,イギリスを代表する著名科学者60人に対して行ったアンケートによれば,彼らの挙げる「最高のSF映画」は,リドリー・スコットの「ブレード・ランナー」であったとのことだ。
http://www.guardian.co.uk/uk_news/story/0,3604,1290823,00.ht...
http://www.betterhumans.com/Features/Columns/Transitory_Huma...
「ブレード・ランナー」は,自分も好きな映画だ。実のところ,今まで観た映画の中で最も良いと思っている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Blade_Runner
何故それほどまでに,この映画は今もなお人々を惹きつけるのか……その魅力のひとつは,独特の未来観にあることは間違いないだろうと思う。サイバーパンクの定番である「アジア風の雰囲気にまみれた退廃的な世界」という未来観の視覚的表現を人々の脳裏に焼き付けたのは,この映画の功績によるところが大きいのではないかと思う。
そして,もうひとつの大きな魅力は,この映画が人間の普遍的なテーマを扱っていることにあると考えられる。
ブレード・ランナーに登場する悪役アンドロイド ― 「レプリカント」は,問題発生時のリスクを軽減するために,4年という非常に短い寿命が設定されている。人間よりも優れた身体能力と知性を与えられたにも係わらず,創造主の勝手な都合のために短い寿命しか持ち得なかったレプリカントたちは,その自らの運命を克服すべく,外世界を抜け出して地球へと下っていく。
ここまでのプロットを一瞥しただけでは,単なるアンドロイドの反逆劇にしか見えないかもしれない。しかし,実際に映画を観てみれば,そう単純な話ではないことが分かるはずだ。運命に抗おうと苦しみ悶え続けるレプリカントたちの姿は,人間の運命を誇張して描いたもののように思えてくる。何故か分からぬままこの世に生を与えられ,限られた時間の中で解答を求めさまよい続け,そして理不尽のままに生を終える。レプリカントたちの苦しみと憤りは,人間のそれと同じであるに違いない。
ルトガー・ハウアー扮するレプリカント・バティーは,様々な苦難の末に自らの創造主であるタイレル博士の下に辿り着く。要求はもちろん,目前に迫る死の克服だ。
冷静を装いながらも怒りを叩きつけるバティーに対して,タイレルは辛い現実を突き返す。
タイレルは穏やかな言葉によってバティーを懐柔しようと試みるものの,その言い分はレプリカントからすればあまりにも身勝手なものだ。静かにも怒りに駆られたバティーは,タイレルを抱き寄せたその手で彼を殺害してしまう。創造主をもってしても変えることのできない運命と,その創造主を殺してしまうほどの怒りの中に,生の理不尽さと,それに対する苦悩の表現を見ることができる。
もし,この世の何処かに人間の創造主たる存在が居たとして,その存在にバティーと同じ要求を投げかけたならば,やはりタイレルと同じ返答が返されるのだろうと思う。そう考えるならば,この映画における感情移入の対象は,主人公でありブレード・ランナーであるデッカードではなく,むしろ敵役でありレプリカントであるバティーにほかならない。そして彼が戦いの末に人間性を取り戻し,彼にとっては憎むべき敵であるはずのデッカードの命を救ったとき,本当の意味での「カタルシス」(苦悩への共感による精神の浄化)を得るのだろうと思う。
雨の中で最後の独白を語るこのシーンは,間違いなくこの映画の白眉だ。自分はこのシーンを観る度に,感情の高まりを抑えずにはいられない。そして恐らくはこの先もずっと,「ブレード・ランナー」は自分の中のベストであり続けるのだろうと思う。
2004-09-21
そろそろまた仕事の方が忙しくなってきた。今月は2日間も祝日があるものの,どうやらすべて出社することになりそうだ。しかしそれでも,まだ辛いと思うレベルには達していない。現実から目を逸らさずに直視してみれば,たとえ休日出勤や泊り込みを重ねたとしても,達成することの難しいスケジュールであることが分かってくる。そうすることを強要されていないだけでも,まだ幸いな方であると思う。
自分は社会人になってからというもの,あまり有給休暇を利用した記憶が無い。今の会社の,今の部署しか経験したことがないため,どの程度休暇を取るのが世間の常識なのかもよく分からない。有給は使わないのが普通なのか,あるいは全部使い切るのが普通なのか……。勤務時間に関しても,やはり常識というものがよく分からない。午後からコアタイムというのは,世間的にはやはり非常識なのではないだろうかと感じることが時折ある(本来はそのコアタイムも存在しないのだけれど!)。
厚生労働省による統計を調べてみると,日本人の1年あたりの平均有給休暇取得日数は 8.8 日となっている。ただし,日本は先進国の中でも祝日が最も多い部類に入るため(詳しく調べていないので確信は持てないものの,恐らく最多なのではないかと思う),実際の休日日数で比較するとアメリカ人の平均よりも多く休んでいる勘定になる。
http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/index.html
http://www.roudoukyoku.go.jp/roudou/jikan/conttop.htm
http://www.getglobal.com/nishi/nishi00_4.html
自分も,会社の定めている夏休みは毎年休んでいるし,会社にx時間居ても実際に働いているのは(x-2)時間程度であるし,何だかんだ言って,実際には平均よりもちょっと忙しい程度のレベルなのではないだろうかと思う。下を見てしまえばいくらでも下はあるし,上を見てもやはりきりが無い。
下を見た場合に関しては言及を避けるとして,上を見た場合に見えてくるのは,スウェーデンやノルウェー等の北欧諸国の現状だ。これらの国々は非常に充実した福祉制度を持つことでよく知られているものの,それと同時に,多過ぎる病欠が社会問題と化していることも知られている。特にスウェーデンにおいては,労働者の病欠を減らすことが国策として検討されるほどにまで発展している。
http://www.jil.go.jp/kunibetu/kiso/2003pdf/sw.pdf
スウェーデン人の病欠が多くなっている要因のひとつは,その充実した福祉制度にあるとみられている。疾病およびリハビリテーションによる欠勤中も,最長で2週間まで賃金の 80% という非常に高い率の手当てが給付されるというのだから,病欠することに対して躊躇が無くなってしまうのも無理のないことかもしれない。
また,それに輪をかけて,労働者側のモラルが低下していることも,病欠の増加の一因として挙げられている。社会保険庁の調査によれば,スウェーデン人の 65% は仕事上のストレスが病欠の理由になると信じており,さらに 41% は上司や同僚との間の軋轢が病欠の理由になると信じているという結果が出ている。
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/nm/20040917/o...
2004-09-22
そんなスウェーデンの更に上を突っ走るのが,隣国ノルウェーだ。資料によれば,ノルウェー国民が1年間に取得する休日の日数は,平均で 4.8 週間にも上るとされている(もちろん休日は除く ― 「休日以外の休暇を年間で 30 日以上も取得する」と読み替えた方が分かりやすいかもしれない)。また,常に労働力人口の 25% が欠勤状態にあるという調査結果も出されている。これは,スウェーデンにおける 14% という値と比較しても,非常に大きな値であることが分かる。ちなみにこの値は,アメリカでは約 7% にまで低下する。
ノルウェーの「病欠体質」を陰で支えているのは,莫大なオイルマネーの存在だ。ノルウェーは 1960 年代後半に北海油田を発見して以来,北欧随一の資源大国へと成長を遂げている。現在ではサウジアラビア・ロシアに次ぐ世界第3位の石油輸出国であり,天然ガスの産出量でも非常に高い水準を保っている。また,近年における貿易輸出額の約半分は石油・天然ガスの輸出によって占められている。
http://www.norway.or.jp/facts/energy/
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/norway/data.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Economy_of_Norway
そのようなオイルマネーの力もあって,ノルウェーは現在「世界で最も豊かな国」して挙げられることがある。国連開発計画 (UNDP) による「人間開発指数」の調査において,ノルウェーは4年間連続で1位を獲得しているほか,国民1人あたりの GDP 額でも米国に次ぐ3位を獲得するなど,生活・経済の両面において世界でも最高のレベルの豊かさを誇る国であることがわかる。
http://www.norway.or.jp/news_events/news_events_articles/070...
http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/rankorder/2004r...
しかしその結果として,ノルウェー国民の勤労倫理は徐々に崩壊し始めている。以前 Raymond Chen 氏が紹介していた The Seattle Times の記事 "In Norway, a nation calls in sick: Oil money affecting work ethic" は,そのようなノルウェーの側面を扱った記事だ。
http://seattletimes.nwsource.com/html/nationworld/2001988054...
http://weblogs.asp.net/oldnewthing/archive/2004/07/27/198411...
件の記事の中で,ノルウェー経済産業連合の会長である Finn Bergesen Jr. 氏は次のように述べている。
このようなノルウェーの現状や,同じく資源立国のブルネイの現状などを目の当たりにしてしまうと,リスクを伴わない富が人々にもたらすものとは一体何なのだろうかという疑問が湧いてくる。ノルウェーは資源に頼るばかりでなく,有益な投資や将来への蓄えなども行っている分,計算高い面が見られるのだけれど,例えばナウルのように悲惨な例を見てしまうと,不意の富による感覚の麻痺に恐怖さえ覚えることがある。
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%AB
2004-09-24
仕事の方は徐々に忙しくなりつつあるものの,一応恒例の行事ということで,今年もゲームショーの見学に参加した。
今年のゲームショーは,去年同様,特に大きな驚きは用意されていなかったものの,年末商戦に向けて各社の手札が出揃いつつあることは実感することができた。個人的に注目しており,かつ世間的にも注目度が高いのは,やはりドラクエ8とMGS3,それにGT4辺りではないだろうかと思う。これらのタイトルは是非ともプレイしておきたいのだけれど,現在のプロジェクトの進行具合を考慮するに,とても手を出している余裕は無さそうだ。張り切って購入した「プリンス・オブ・ペルシャ」が既に積みゲーと化している時点で,これらのゲームにまで手を出すのは無謀というものだろうと思う。実はそれ以前にも, PS2 版 "Burnout 3" や PC 版 "Full Spectrum Warrior" にも手を出してみたいと考えていたのだけれど……。
これらの話題作に加えて,年末には次世代携帯機も何らかの形で話題に上ってくるはずだ。ただし,これに関しては自分は何も語る術を持たない。ただひとつ,ゲームショーに携帯可能なハードウェアを揃えられていたことには軽い驚きを覚えた。 Mark DeLoura 氏も驚いていた……。
http://www.satori.org/blog/archives/000078.html
ゲームショーの見学を終え,一通りの仕事を片付けてから家に帰ると, Amazon から荷物が届いていた。数週間前に発注していた "Joel on Software" が届いていたようだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1590593898
この本 "Joel on Software" ― 正式名称 "Joel on Software: And on Diverse and Occasionally Related Matters That Will Prove of Interest to Software Developers, Designers, and Managers, and to Those Who, Whether by Good Fortune or Ill Luck, Work with Them in Some Capacity" (ジョエル・オン・ソフトウェア:およびソフトウェア開発者・設計者・管理者と幸運ないしは不運にもある種の制限の元にソフトウェアと共に働くことになってしまった人々が興味を持つであろうことを確約された多様かつ多分にソフトウェアと関連する問題に関して)は,お馴染みの同名ブログサイト "Joel on Software" に掲載された記事を1冊の本にまとめたものだ。
http://www.joelonsoftware.com/items/2004/08/19.html
自ら購入しておいて何ではあるけれど,この本を購入するもっともな理由を見つけることは難しい。読みたい記事があるならば,ウェブ上で読めば済むだけの話であるからだ。最近たまに見かける「ウェブ上の記事を製本しただけの本」と同じ類であると考えて差し支えないだろうと思う。この手の書籍では,体裁を整える,記事を増やす,絵や写真を増やす,等々の付加価値を与えることによって商品としての魅力を高めるのが常套手段であるものの,この本にはそれらの付加価値もさほど見受けられない。自分の場合は,単に所有欲を満たすことが動機であり,決して読むつもりで買ったわけではなかった(!)
Joel 氏自身は,この本の用途に関して以下のように述べている。
自分の常識とは異なり,彼らには様々な本の「利用法」が存在するようだ。以前 Ned Batchelder 氏が紹介していた "Dive Into Python" に対する Charles Miller 氏の書評が連想される。
http://fishbowl.pastiche.org/2004/07/30/dive_into_python_fir...
洋書のコンピュータ関連書籍は,どれもこれも不要なまでに厚くて大きいという印象があるのだけれど,その印象はおおかた間違っていないのかもしれない。いざという場合に,一撃で脳震盪を起こすことができるか,あるいは,一撃で家ネズミを仕留められるぐらいのサイズと重量を持つよう,意図的に調整されているのだろうと思う。
2004-09-27
ゲームの制作現場において,あるアイテムの仕様が提案されたとする。そのアイテムは,同じ形状でも色によって効果が異なっており,例えば「赤色のアイテムは攻撃力が増加し,黒色のアイテムは攻撃力が低下する」というような仕様になっているとする。
このような仕様が提案された場合,そのデザインの意図がどのようなものであれ,あまり良い仕様ではないことを指摘することができる。色盲の人に大きく不利な仕様であるためだ。
これは企業や組織によってまちまちではあると思うのだけれど,少なくとも自分の経験の範囲に限定して言及する限りでは,ゲームの制作にあたってアクセシビリティの議論が行われることはあまり無かった。例えば,「子供の手は小さいからL2・R2ボタンを器用に押すことができない」というような認識はあるものの,それが「片手しか使えない人でもプレイできるような操作系」などというような話題にまで発展することは無かった。
ゲーム以外のソフトウェア分野においては, Microsoft がアクセシビリティの改善に関してかなり進んだ取り組みを行っていると感じる。
http://www.microsoft.com/japan/enable/
Microsoft がこのような取り組みを行っているのは,PCソフトウェアの分野においてはアクセシビリティの改善を行うことにビジネス的なメリットが存在するためであると考えられる。単純に見ても, Microsoft が主力製品として扱っているような基本ソフトウェアおよびオフィス・アプリケーション群においては,能力に制限のある人々にも扱うことのできるような機能性を持たせることが,大きな意味を持ちうるものと考えられる。
ゲームの場合は,これが娯楽・嗜好品であることと,ゲーム自体が人の身体・知的能力を試すことにその本質を置いているという側面が存在することから,単純に他のアプリケーションと同じように扱うことはできないと考えられる。しかし,ゲーム内容をスポイルしない限りにおいては,アクセシビリティを最大限に高めるような配慮を行っておくことは,決して不要なことではないはずだ。
色盲に関しては,国立遺伝科学研究所内のコンテンツ「色盲の人にもわかるバリアフリープレゼンテーション法」に大変詳しく触れられている。この資料は必読だ。
また,「色盲」という語彙の使用に関しては,同コンテンツ内の記事が参考になる。
http://night.nig.ac.jp/color/mou.html
ゲームデザインを行う上で特に必要とされるのは,色の違いに機能的な意味を持たせないようにする配慮だ。前出の例のように「色の違いによってアイテムの効果を変える」などという仕様は,非常に問題の発生しやすいデザインであると考えられる。これが例えば,色だけでなく形状も異なるようにしておけば,ほとんど問題は無くなるはずだ。
他に,色の判別をユーザに強いてしまっているシチュエーションとして多いのは,レーダー・マップ表示の類ではないかと思う。例えば,「レーダー上の青い光点が味方を表し,赤い光点が敵を表す」などという仕様は,色盲の人にとって非常に不便なものとなってしまう。これを例えば,「青い丸印が味方を表し,赤いバツ印が敵を表す」などというような仕様に変更するだけでも,かなり状況は改善されるはずだ。
他には,色によるキャラクタの判別(対戦系のゲームに多い)や,弾丸の色による意味の違いなどが,問題の発生しやすいデザインとして挙げられるのではないかと思う。前者に関しては,単なるカラーリングの違いだけでなく,テクスチャパターン等にもバリエーションを持たせることによって対処することができる。後者に関しては,色よりも明度の違いを用いるのが適切であると考えられる。
色盲の人にとっての画像の「見え方」を確認するには, Robert Dougherty 氏および Alex Wade 氏の "Vischeck" を利用することができる。
このツール "Vischeck" は,第1~3色盲の人の視覚を再現するソフトウェアだ。任意の画像ファイルおよびウェブページに関して「見え方」を確認することができるほか, Photoshop 用のプラグインも無償で配布されている。問題になりそうな箇所のスクリーンショットを取得し,それをこの Vischeck に入力すれば,その画像の実際の「見え方」を確認できるというわけだ。
このような本格的なツールを用いなくても,例えばモニターの色彩レベルを最低にまで落とせば,簡単な確認を行うことができる。ただしこのような方法では,「赤や緑が黒に沈みやすくなる」等の現象を確認することができないため,あまり完全であるとは言えない。
Vischeck が内部で行っているような色調変換処理をグラフィックハードウェア上で実装するには,多少のフィルレートが必要とされるものの,技術的にはそれほど難しくないと考えられる。専用のフィルタを実装し,確認の手段として用意しておくのも良いアイデアかもしれないと思う。
2004-09-28

最近,各種のニュースサイト等で, Tablet PC の売り上げが伸び悩んでいるという記事を目にすることがある。 Tablet PC の不人気の理由には様々な要因が挙げられるものの,その中でもかなりの重要性を占めているのが「キラーアプリケーションの不在」ではないかと考えている。
米 Jupiter Research 社の調査によれば, Tablet PC に興味を持っている消費者のうち 61% は,それを単なるノートPCの一種として考えているという結果が出ている。
http://www.engadget.com/entry/5449225145623224/
これは,多くの消費者が Tablet PC 独自のアプリケーションというものを意識していない ― あるいは,そういったものに必然性を感じていないという現状を反映する結果であると解釈することができる。
将来的に Tablet PC のキラーアプリケーションへと育つ可能性を秘めているソフトウェアを挙げるとすれば,やはり筆頭に来るのは Microsoft OneNote ではないかと思う。
http://www.itmedia.co.jp/products/tabletpc/column.html
もうひとつ,個人的に Tablet PC のキラーアプリケーションになり得る存在として考えているのが,米ブラウン大学は Joseph LaViola 氏の作成したソフトウェア "MathPad2" だ。
http://www.cs.brown.edu/~jjl/mathpad/
このソフトウェアは,実のところユーザ層がかなり限定されているため,本当の意味でのキラーアプリケーションとなることは難しい。しかし,その画期的な内容から, Tablet PC の未来を占う要素としては注目に値する存在であると感じられる。また, Microsoft の Financial Analyst Meeting においてもその存在が言及されるなど,世間からの注目も集められつつある。
http://www.informationweek.com/story/showArticle.jhtml?artic...
MathPad2 の内容を一言で表すならば,「手書き版 Mathematica」という説明が相応しいのではないかと思う。手書きで入力された数式は自動的に認識が行われ,ソフトウェアの内部表現に変換される。そして,その数式に対して特定のジェスチャー(丸で括る,線で繋ぐ,点で突く,等々)を行うと,その数式の解を求めたり,因数分解を行ったり,グラフをプロットさせたりすることができる。また,特定の関数を任意のオブジェクトの座標や角度に割り当てて,値の変化をアニメーションとして確認することもできるようになっている。
MathPad2 の持つこれらの機能は, LaViola 氏のウェブページにあるプレゼンテーション映像の中に分かりやすく解説されている。
http://www.cs.brown.edu/~jjl/mathpad/MathPad_full.wmv
MathPad2 の秀逸なところは,グラフのプロットだけでなくオブジェクトのアニメーションにも対応している点であると感じる。例えば,論文の中には,高校生がボールの弾道を MathPad2 によって解くというシナリオが提示されている。 MathPad2 を使えば,生徒たちはオブジェクトの動きを見ることによって数式の正しさを確認することができる。また,数式や定数の変化が即座にオブジェクトの動きへと反映される様子を見れば,それらの数式や定数が持つ意味を視覚的に確認し,より深い理解が得られるようになるはずだ。
手でノートに書いた数式を,丸で括ったり,点で突いたりするだけで,自動的に数式が解かれたり,数式に対応したアニメーションが再生されたりする……まるで魔法のような話だけれど, LaViola 氏はこれを既に極めて実用に近い形で実装している。この「魔法のノート」は,実用性はもちろんのこと,教育の現場などにおいても活躍が期待されるものであると感じられる。
2004-09-29
IT 関連の記事等において時折用いられる表現の中に "boil the ocean" (海を蒸発させる)というものがある。特定の問題を解決するにあたって,必要以上に大げさな手法を用いることを揶揄した表現だ。
http://www.veen.com/jeff/archives/000110.html
この言い回しの語源は定かでないものの,一説によれば,第二次世界大戦時代の俳優 Will Rogers と,とあるリポーターの間で交わされたやりとりが元になっているとされている。当時連合軍を苦戦させていたドイツ軍のUボートを駆逐する方法はないだろうかと尋ねられて, Rogers から返された答えが "boil the ocean" だったということだ。
http://poetry.about.com/library/weekly/aa072997.htm
今日の IT 産業においては,様々な "boil the ocean" 式の解決法が飛び出してくることがある。例えば, Sun Microsystems の Solaris 10 に新しく採用されたファイルシステム "ZFS" が,ファイルシステムとしては世界初の 128-bit 対応を行ったことは,多くのユーザにとってみればまさに「海を蒸発させる」ような話だったのかもしれない。同社のエンジニアチーフである Jeff Bonwick 氏は,この ZFS の紹介記事に寄せられたあるユーザの意見を紹介している。
http://blogs.sun.com/roller/comments/bonwick/Weblog/128_bit_...
しかし, Solaris のように本格的な商用システムの世界においては, 64-bit では既に底が見え始めているというのは明白な事実だ。 Bonwick 氏は,同社の顧客の中に 2^50 バイトのオーダーに達するデータセットを保持している事例があることを述べている。ここで,お馴染みのムーアの法則を持ち出すならば,記憶容量の上限は1年毎に倍増する。つまり,あと 15 年も経てば 2^64 の壁へと達してしまう可能性があるということだ。
Solaris があと 15 年の間,市場に生き残るかどうかは別として,わざわざ新しいものを作るのに,もう 20 年も持たないものを設計する道理は無い。 Bonwick 氏は,以上のような理由から 64-bit では不十分であることを予測し,これを 128-bit まで引き上げることによって,事実上無限の容量を手に入れることを試みたというわけだ。
2004-09-30
Solaris 10 に導入された新しいファイルシステムである ZFS は, 64-bit ではなく 128-bit を採用することによって,事実上無限の許容量を手に入れることができた。 128-bit システムは, 64-bit システムと比較して約 1,600 京倍の許容量を持つと考えることができる。たとえムーアの法則が正しく働いたとしても, 2^128 の壁へと達するには,まだ 70 年以上の歳月が必要とされるはずだ。
しかしここで,2の累乗の大きさを把握できていない懐疑論者ならば,条件反射的に1つの疑問を抱いてしまうかもしれない。 2^64 も 2^128 も,結局は程度の違いでしかなく,何らかの限界を伴っていることには違いが無いのではなかろうか。ならば,なぜ今すぐに 128-bit にまで飛躍を遂げる必要があるのだろうか。 80-bit や 96-bit 等の穏やかな値を選ばなかった理由は何かあるのだろうか。
これらの疑問に対する Bonwick 氏の解答は非常に独特なものだ。氏は,コンピュータの持つ物理的な制限から, 128-bit システムの許容量を満たす記憶装置は実際には存在しえないという事実を提示している ― 少なくとも,「海を蒸発させる」ようなことをしない限りは。
コンピュータの実体は物理システムである以上,その性能は物理法則によって制限される。どんなに科学が進歩したとしても光速を超える移動手段は作り出せないように,物理法則を超えた密度を持つ記憶装置や,物理法則を超えた処理能力を持つプロセッサなどは作り出すことができない。量子コンピュータの専門家である MIT の Seth Lloyd 教授は, Nature 誌への寄稿記事 "Ultimate physical limits to computation" において,物理法則上の理論的な限界の性能を持つ "ultimate laptop" の概観を提示している。
http://jp.arxiv.org/abs/quant-ph/9908043
自分は量子力学など微塵も分からないので,件の論文の内容を理解することはできない。結論を引用するのみだ。「ブラックホール・コンピュータ」のような極端な例は除外するとして……妥当な線で行くならば,「1リットルの容積と1キログラムの質量を持ち, 10^31 ビットのオペレーションを1秒間に 10^51 回処理する」という仕様になる。これは,論文が執筆された 2000 年当時の限界である「10^10 ビットのオペレーションを1秒間に 10^10 回」と比較すると,まだ相当に開きがあることが分かる。もう暫くの間はムーアの法則が正しく働きそうだ。
一方, ZFS の方を見てみると,容量の限界は 2^128 ブロックであり,これは実際には 2^140 ビットの容量を表している。これを ultimate laptop の性能に当てはめてみると, 2^140 / 10^31 で,約 1,400 億キログラムもの質量に相当することが分かる。これだけでも相当に凄い数値だ。
Bonwick 氏は更に計算を進めてみている。件の "ultimate laptop" は自身の質量を純粋なエネルギーの形態で保持するとされている。そこで 1,400 億キログラムの質量をエネルギーに変換してみると, 1.2x10^28 ジュールに相当することが分かる。即ちこれが 128-bit システムの限界を満たすエネルギー量だ。
1ジュールと言われてもピンと来ないのに, 10^28 ジュールなどと言われても,その数値の大きさを把握することは難しいかもしれない。分かりやすい例で言うと,1キログラムの水を沸騰させるのに必要なエネルギーは約 40 万ジュールであるとされている。ただし,水を完全に蒸発させるには気化時の潜熱分を加味する必要があり,これが 200 万ジュール程度であることがら,合計で約 240 万ジュールのエネルギーが必要とされることになる。一方,地球上には約 1.4x10^21 キログラムの海水が存在すると言われている。これから「海を蒸発させるのに必要なエネルギー」を求めてみると, 2.4x10^6 J/kg x 1.4x10^21kg = 3.4x10^27 となることが分かる。つまり, 128-bit システムの許容量を満たす記憶装置を作り上げるには,海を3回蒸発させても足りないぐらいのエネルギーが必要であるという結論が導き出される。
この話は,結局は単なる言葉遊びでしかないのだけれど,ある仕様に関して限界を示すのに,「理論的な究極のコンピュータ」である ultimate laptop の例を引用するというのは面白い手法であると思う。テラやペタのような天文学的な数値が当たり前のようにやりとりされる今日となっても,その値の大きさを正しく把握することは難しく,また,何が「限界」で「十分」なのかを示すことも難しくなってきていると感じる。そのような時に,例えば「全人類の人口」や「史実始まって以来の経過時間」,「銀河系の星の総数」,あるいは「海を蒸発させるのに必要なエネルギー量」などが,人の感覚により近い指標として用いられることになるのだろうと思う。