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Metal Gear Acid (1)

2005-01-03

年末に立て込んでいた仕事は,なんとか年内に終えることができ,年始は無事に休みを得ることができた。年始休みの間は,基本的に無為な日々を過ごしていたのだけれど,とりあえず何か1本ぐらいゲームをプレイしておこうと思い, Metal Gear Acid を購入して10時間程度のところまでプレイした(何度かやり直しを行っているため,実際のプレイ時間はもう少し長くなる)。

http://www.konamijpn.com/products/mga/japanese/

本当は,休みの間に MGS3 の2周目をプレイしてみようと考えていたのだけれど,ファミ通での MGA の評価が思いのほか良かったことから,こちらを購入してプレイしてみることにした次第だ。

Metal Gear Acid は,メタルギアシリーズの外伝的な内容のゲームだ。公式には「ジャンル:ACID」という分かり難い分類がなされているのだけれど,分かりやすく言い換えるならば,「メタルギアの世界観をテーマとしたボードゲーム(カードゲーム)風の戦略ゲーム」という表現になるかと思う。

まず,実際にプレイしてみて驚いたのは,メタルギアシリーズの「潜入戦略ゲーム」という基本コンセプトの再現を非常に上手く行うことができているという点だ。 ファミ通の評価にもあったように,メタルギアのシステムを独自の書式に置き換えることに成功している。単にメタルギアの世界観を借りるだけではなく,そのゲーム性を昇華させることができているということだ。

例えば,壁を叩いて敵兵をおびき寄せてから,その背後を通り抜ける……というような MGS での基本テクニックも,このゲームでは基本戦略の一部となっている。また,お馴染みのアイテム「ダンボール」を装備して,「だるまさんが転んだ」の要領で巡回兵をやり過ごしたり,あるいは,他の敵兵の視界に入らない物陰を見極めて,一人ずつ近接攻撃で片付けていくような暗殺者プレイを演じてみたり……そのような「メタルギアならでは」の戦略を,非リアルタイムな戦略ゲームの書式の上で楽しむことができるようになっている。

個人的には,本流である MGS シリーズよりも,むしろこの MGA の方が大胆な「潜入プレイ」を楽しむことができたと考えている。 MGS の方では「物陰からサイレンサー付きの武器で主観狙撃」のコソコソプレイが多くなってしまっていたのが,こちらでは物陰から確実に敵を倒す手段が無いために,正攻法を用いることが強いられるためだ。また,基本システムがカードゲームの書式に則っているため,カードの配分によって戦略を練る必要があり,一定のパターンを適用することができないという点も,戦略性を強める要素として働いていると感じられる。

自分のような初級者の場合は,手札の構成が良くなるまでドローを続けていれば,故意に有利な状況を作り出すことができる。ただし,クリアまでに要したコストが減点要素として評価されるため,そのような無難プレイでは高いランクを得ることはできない(おかげでDランクばかりになってしまっている)。高いランクでのクリアを目指すには,どんな手札からも場面を乗り越えるようなテクニックや,より効果的なデッキの構成術が求められることだろうと思う。


Metal Gear Acid (2)

2005-01-04

開発者としての視点から MGA を見た場合に最も驚きを覚えるのは,恐らく非常に短かったであろう開発期間の中から新たなゲーム性の創出に挑み,それを成功させているという点だ。メタルギアシリーズの資産を活用することができるという優位性があるとはいえ,「初期タイトルにありがちな詰めの甘いゲーム」に終わらせないためには,相当の努力が必要とされたのではないかと推測される。

ゲームシステム的に完成されているだけでなく,細かな所まで調整のなされている点も注目に値すると感じられる。個人的に最も嬉しかったのは,プレイヤーの学習曲線に沿ったミッションの構成がなされているという点だ。序盤は至極簡単なカードゲームのルールから始まり,後に装備系のカードが出てくる辺りから細かな要素がゲームプレイに影響を及ぼしてくるようになっている。ルールの説明は登場人物の台詞やインターミッションのメッセージ等から徐々に行われるため,説明書に目を通さずとも複雑なルールを順序よく習得できるようになっている(実際に自分は説明書をほとんど読んでいない)。

色々と粗を捜せば,やはり初期タイトルとしての宿命か,やや詰めの足りない部分も見受けられる。例えば,立体的な構成のマップにおいて非常に視界が悪くなる点などは,時間的な都合から修正が間に合わなかったのではないかと推測される不具合だ。ポリゴンのクリッピングに失敗して「ポリゴン欠け」が生じてしまっていることがある点なども,開発環境の導入がもう少し早ければ修正することが可能であったのではないかと推測される。

ゲームシステムに関連する部分では,リトライのしにくさが不満点として挙げられる。ミッション中のセーブは「ゲームの一時中断」という形でしか用意されておらず,基本的に「ミッションは失敗したら最初から」という考え方になってしまっている。これは,ミッションの前半にデモが集中しているような場合に,リトライを非常に面倒にしてしまっている。また,ミッション中にセーブを行おうとするとフリーズすることがあるという不具合には非常に悩まされた。これはハードウェア側の障害であることを祈りたい……。

最後に, PSP タイトルとして見た場合の注目点についても触れておくと,ロード時間の短さとグラフィックの美しさが良い点として挙げられる。ロード時間に関しては, PSP の初期タイトルにおいては概して長く待たされる傾向にあったため, MGA のロードの短さには目を引かれるものがあった。ミッション開始時のロードも 3, 4 秒程度に抑えられており,普通に PS2 のゲームをプレイしているような感覚に近いものがある。グラフィックに関しては,前述のような不具合もあり,いつもの MGS シリーズほどの凝りようは望めないものの,現状の PSP タイトルのラインナップの中では高品質な部類であると言うことができる。

総括すると,メタルギアシリーズの外伝的な存在ではありながらも, MGS とはまた違ったアプローチの「潜入戦略」を楽しめるゲームとして薦めることができるのではないかと思う。 PSP の初期タイトル群の中では「リッジレーサーズ」と並んで注目すべきタイトルとして挙げることのできるものであるし,メタルギアシリーズのファンであればむしろ一番に推すことのできるタイトルだ。


Quality of Life

2005-01-05

先月,欧米のゲーム産業界隈で話題になっていた "EA Spouse" 氏の労働環境に関する告発は,同氏からの返答が行われたことによって,また新たな展開を見せようとしている。

http://www.livejournal.com/users/ea_spouse/1479.html

上の投稿の中で EA Spouse 氏は,予想以上の反響がゲーム産業のみならずソフトウェア産業全体から寄せられたことに関して驚きを述べている。反響に対しての氏の返答は FAQ の形式で丁寧にまとめられており,これが単なる一方的なボヤきではなく,氏からの真摯な問題提起であることが示唆されている。

また,同記事において氏は, GameWatch.org という名のサイトを新たに立ち上げることを宣言している。どうやら,ゲーム産業における「生活品質」 (Quality Of Life) の監視を労働者の側から行う組織を設立しようという意思であるようだ。

http://developers.slashdot.org/article.pl?sid=04/12/15/16452...

実際には,まだ件のサイトは立ち上げられていないものの,近日中にまた新たな行動が起こされるものと予想される。


生活品質 ― "Quality of Life" という概念は,文字通り「生活の豊かさ」を表すものとしてよく用いられる。三省堂の新語辞典によれば,「人々の生活を物質的な面から量的にのみとらえるのではなく,精神的な豊かさや満足度も含めて,質的にとらえる考え方」として定義されるようだ。

http://dictionary.goo.ne.jp/search/%A4%AF058234020205538100/...

ゲーム産業における QoL の実態に関しては, IGDA による調査が白書にまとめられている。アメリカのゲーム産業を中心とした調査ではあるものの,ひとつの実態例として参考になるものではあると思う。

http://www.igda.org/qol/whitepaper.php

労働時間の長さに関してはこれまでにも散々話題に挙げられているので,ここでは敢えて無視するとして,個人的に最も気にかかったのは, 10 年以内に「産業から足を洗う」と考えている人が 51.2% も存在するという結果だ。これはつまり,開発者の約半数は産業に骨を埋める意思を持っていないという事実を表している。また, 5 年以内に辞めると考えている人に限定しても 34.3% も存在していることから,比較的多くの開発者が近い将来に辞める意思を持っているという実態が分かってくる。

現在の職場以外の産業の実態をよく知らない自分にとっては,同様の調査を国内で行った場合に導き出される結果について予測することは難しい。恐らく,企業や部署によって大きく異なる結果が出ることだろうと思う。しかし,自分の将来に関して不透明感を抱いているという話はどこでもよく聞くものであるし,産業に係わり続ける動機を失って辞めていく人を実際に見る機会も,決して少なくない。

今のところ,自分には産業から離れる意思はまったく無い。ただし,将来のキャリアパスを明確に描くことができるかどうかと問われれば,返答に窮するものがある。何しろ,前例を見る機会があまりにも少ないために,自分が今後十年の間にどのようなキャリアを辿ることになるのか想像することすら難しい。自ら切り開くか,生涯今のままで居続けるか……そのどちらかになるのだろうと思う。

自分の知る限りでは,産業を自らの意思で去っていく人々の多くは,何らかの理由によって産業に係わり続ける動機を保てなくなることが原因であると感じられる。その中には,動機の強さと生活品質の低さを天秤にかけた場合に,生活品質の低さが重くなってしまったがために辞めるという判断を下す人もいることだろうと思う。また,自らの家庭を持とうと考えている人にとっては,生活品質の低さは深刻な問題となりかねない。養育に十分な給与が確証されるわけでもなく,家庭に気を遣うだけの時間も得られないとあっては,仕事を変えざるを得ないという判断が生じることも十分に考えられるはずだ。


Substitute Sense

2005-01-10

先週末は,仕事の締め切りがあったにも係わらず,流行り風邪にやられてしまった。仕事は何とか片付いたものの,休みの間は家の中でおとなしくせざるを得なかった。

家の中で寝ている間,暇だったので,先日古本屋で買ってきた「ヨコハマ買出し紀行」で読んでいると,そのエピソードの中に,主人公の「アルファ」が舌を通じてカメラの視覚を得るという場面が描かれていた。

それを見て,舌を通じて視覚を得るという研究が実際に進められていることを,ふと思い出した。


アメリカはウィスコンシン大学の Paul Bach-y-Rita 教授は,「代替感覚」に関する研究を 30 年以上も続けている神経学者だ。背中の触覚を通じて視覚を伝達するという研究から始まって,現在では舌の触覚を利用したインタフェース "Tongue Display Unit" (TDU) の開発を中心に研究を進めている。

http://www.we-make-money-not-art.com/archives/003806.php

TDU は,舌の触覚を利用したヒューマン・マシン・インタフェース (HMI) の一種だ。フィルム状のフレキシブル・ケーブルの上に 12 x 12 = 144 個の電極が行列状に並べられており,これが舌に電気的刺激を与えることによって,擬似的なビジュアルイメージを伝えるという仕組みになっている。

http://kaz.med.wisc.edu/TDU.htm

TDU の概要については,以下の hotwired の記事(2001 年 4 月のもの)が参考になる。

http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/2001052...

TDU を通じて伝えることのできる視覚は,極めて低解像のものであり,実際の視覚と比較すれば非常に貧弱なものだ。しかし,視覚を完全に失ってしまった全盲の人々にとっては大きな助けとなる可能性を秘めている。

Bach-y-Rita 教授の業績を紹介したページ "The Bach-y-Rita Chronicles" では,実際に障害を持つ人々に対して TDU による補助を適用したいくつかの事例が紹介されている。

http://www.brainportinfo.com/

視覚障害に対して TDU による補助を適用した事例として挙げられているのは,世界初の全盲者によるエベレスト山頂到達を成し遂げた登山家 Erik Weihenmayer の体験記だ。

http://www.brainportinfo.com/erik.html

ここでは,数十分の訓練の後に,目の前をゆっくりと転がるボールを手で掴み取る程度の動作ができるまでに至る様子が記されている。さすがに健常者のような視覚を得ることは適わないものの,日常生活に必要とされる最低限の情報を,このような代替感覚から得ることは可能なのではないだろうかと感じられる。

Erik 氏の事例よりも更に印象的なのは, Cheryl Schiltz 氏の事例だ。

http://www.brainportinfo.com/cheryl.html

Cheryl 氏は,ゲンタマイシンと呼ばれる抗生物質の副作用によって内耳系に恒久的な損傷を受け,平衡感覚に重い障害を負ってしまっている。 Bach-y-Rita 教授は,視覚補助用に作られた装置とは別に,平衡感覚の補助用に作られた装置を用いて, Cheryl 氏の平衡感覚を補う試験を行ってみている。ここで利用する装置は,視覚用に搭載していた小型カメラの代わりに加速度計を搭載し, TDU を通じて被験者の姿勢を舌に伝えるというものだ。

この試験で研究者たちを驚かせたのは, Cheryl 氏が装置によって平衡感覚の補完を得ただけでなく,その効果が装置を外した後も持続するという結果が得られたことだ。下のページには,その「奇跡的」な結果の内容が記されている。

http://www.brainportinfo.com/unexpected.html

当初の試験においては,装置による効果は「補正」を行った時間の 1/3 程度しか持続しないという結果が得られていた。しかし,気まぐれから試しに 20 分という長時間に渡る「補正」を行ってみたところ,その効果が 1 時間以上も持続するという意外な結果が得られた。その後,数回の試験を経るうちに効果の持続時間は増加し,最終的には 8 時間以上も持続させることが可能になったということだ。

上のページにあるビデオ映像には,「補正」を行う前には周囲の支え無しに立ち上がることもできない Cheryl 氏が,装置による「補正」を行った後に,完全に平衡感覚を取り戻し,まるで健常者のように走り回ったり,踊ったり,しまいには平均台運動までしてしまっている様子が映されている。その変わりようは非常に印象的であり,氏らが「奇跡」と呼ぶのも納得できる内容であると感じられる。


下の New York Times の記事 "New Tools to Help Patients Reclaim Damaged Senses" には,これらの被験者の体験と代替感覚の可能性について色々と記されている。

http://www.nytimes.com/2004/11/23/science/23sens.html

「ヨコハマ」の中に描かれる「舌インタフェース」は,単なる劇中の一設定に過ぎないものの,現実にも舌の触覚は代替感覚の有力な手段として研究が進められている。将来的に脳神経関連の技術が十分な発展を遂げれば,これらの障害を直接に解決する手段が開発される可能性があるものの,外科手術を一切必要としないという利点から,このような代替感覚が簡便的な補助手段(たとえれば補聴器のような位置付け)として,活用され続けるのではないだろうかと思う。


Patent Infringement

2005-01-12

風邪の症状は比較的早く引いたものの,喉の調子だけはなかなか元に戻らない。喋るときの声も変な感じだ。


今日の Gamasutra Industory News において,米 Immersion 社と Sony 社との間に発生していた特許問題に関する話題が取り上げられていた。

http://www.gamasutra.com/php-bin/news_index.php?story=4793

この訴訟は PlayStation シリーズの DualShock コントローラーに搭載されている振動機能が Immersion 社の触覚 (haptic) 関連技術の特許を侵害しているとして提起されていたものだ。訴訟自体は 2002 年 2 月に発生しており,昨年の 9 月には被告側に 8,200 万ドル(約 84 億円)の特許料の支払いを命じるという判決が下されていた。

http://www.gamespot.com/news/2004/09/23/news_6108298.html

CBS Market Watch の記事によれば,この判決による支払いの指示が先日 (1/10) 地方裁判所から正式に渡されたということで,改めて話題として取り上げられていたようだ。

http://www.marketwatch.com/news/yhoo/story.asp?guid=%7B6E01B...

この裁判の経緯については law.com および Goldsea の記事に詳しい。

http://www.law.com/jsp/article.jsp?id=1095434451173

http://goldsea.com/Asiagate/412/30chu.html

ちなみに,この特許問題では Microsoft 社に対しても同時に訴訟が行われている。こちらの訴訟に関しては, 2003 年 7 月の時点で 2,600 万ドルの支払いと 900 万ドル相当の債券のやり取りによって和解が行われている。

http://news.com.com/2100-1041_3-5056455.html

law.com の記事によれば, Immersion 社は既に 1,600 万ドルもの弁護費用を投じていたとのことであり,この訴訟が相当な大仕事であったことが分かる。また,今回の訴訟に次いで他の関連企業に対しても同様に訴訟の行われる可能性が残されているとの見方も示されている。

Goldsea の記事では,原告の弁護士側の視点から今回の訴訟の経緯に関して語られており,他のニュース記事とは異なった興味深い内容となっている。主に,今回の訴訟を担当した弁護士である Morgan Chu 氏をクローズアップする形になっている。

今回の訴訟で焦点となっている特許は U.S. Patent 6,275,213 および 6,424,333 の "Tactile feedback man-machine interface device" と題された技術だ。実際に文書を参照してみると,これが「身体の部位の動きをセンサーから検知し,その応答をアクチュエータの動作による振動として返す装置」に関して要求された特許であることが分かる。

http://patft.uspto.gov/netacgi/nph-Parser?Sect1=PTO1&Sect2=H...

http://patft.uspto.gov/netacgi/nph-Parser?Sect1=PTO1&Sect2=H...

自分には特許に関する専門知識が無い以上,この特許の適用範囲を厳密に判定することは難しい。素人目に見る限りでは,ゲーム機のように入力と振動が必然的に連動する装置は,自動的にこの特許の適用範囲に入ってしまうのではないかと考えられる。例えば,携帯電話の振動機能のように,機器からの一方的な通知のために振動が用いられる場合は問題無いものの,PC用の「フィードバックマウス」などのように,少しでも入力と連動する要素が存在する場合は危険であると感じられる。

被告側は AT&T 社を始めとする先行技術が存在することから特許の無効性を主張したものの失敗に終わり,その後は特許料の軽減に終始した模様だ。それも結局は,故意に特許侵害を行った際に発生する「3倍ダメージ」を避けることができた程度であり,最終的には4半期ベースで売り上げの 1.37% をライセンス料として計上するという,非常に手痛い結果に終わっている。


Intellectual Property (1)

2005-01-16

自分の現在の仕事内容では,特許と関わり合いを持つ機会はそれほど多くない。製品の特徴的な仕様に発明を申請することが稀にあるほかは,いくつかの危険性の高い要素(例えば特殊なデバイスを用いるネタなどは既存の特許と競合する可能性が比較的高いと考えられる)について配慮を行うことがある程度のものであり,ゲーム作りの基本的な部分で特許の存在を意識するようなことはあまり無い。

これが,例えば製造業の分野になると,特許は最も重要な知財の一種として日常的に扱われているという話を聞くことがある。特許の存在が,産業の利益を保護するための基本的な仕組みとして働いているということだ。

http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/gov/komiya20040323.html

これは,コンテンツ産業で言うところの著作権のような存在であると考えれば,しっくりくるかもしれない。どちらも知的財産という概念を形成するために必要とされる基礎的な仕組みであり,著作や発明という知的活動に対する動機を保護するために作られたルールの一種だ。著作業に携わる者なら誰しも著作権の存在を意識しなければならないのと同様に,製造業における特許の存在も絶対的なものとして扱われている。自らの特許を確保するために様々な努力が行われおり,また,他人の特許を回避するためにも様々な労力が払われている。

例えば,製造業における特許の重要性を感じさせられた出来事として,中国の DVD 特許問題が挙げられる。

http://www.patentsalon.com/topics/dvd_china/

http://www.jetro.go.jp/biz/ip/library/data/report/2002_senso...

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_baba36

DVD が市場に登場した当初から,中国のメーカーは自国内で製造される DVD プレイヤーに関して特許料の支払いを無視し続けてきた。このような「特許侵害が当たり前」の状況に対して,関連特許の管理団体は度重なる交渉を行い続けており,近年になってようやく正当な特許料を徴収する体制が整ってきた。

資料によれば, DVD の関連特許を保有する企業は総計で数十社にも上り,その特許料は製品1台あたり約 20 ドルにも達するとされている。関連特許を数多く抱える国内大手メーカーは,これらの特許の制約を軽減(ないしは解消)することが可能だ。他方で,何の知財も持たない中国メーカーは,これらの特許料をコストとして上乗せする必要がある。 100 ドル以下の DVD プレイヤーが珍しくない現在となっては, 20 ドルにも達する特許料は非常に重い負担だ。現に,特許料の徴収が開始されて以降,中国メーカーはかつてない苦境に立たされることになる。

http://news.searchina.ne.jp/2004/0621/general_0621_001.shtml

http://www.seedplanning.co.jp/report/00106.html

このような苦境に対抗するべく,中国メーカーは独自の次世代 DVD 規格 "EVD" (Enhanced Versatile Disc) を立ち上げ,普及を進めている。国産技術によって構成された規格を,他の次世代規格よりも先行して普及させることによって,国内のメーカーに有利な市場を作り上げてしまおうという戦略だ。

http://news.searchina.ne.jp/topic/246.html

http://japan.internet.com/wmnews/20040720/8.html

そもそも HD DVD や Blu-ray Disc のような次世代 DVD 規格が2陣営に分かれてしのぎを削っているのも,各々の知財が有利に働く市場を作り上げたいとする思惑が背景に存在すると考えられる。 EVD 規格も,そうした思惑をもって市場に投じられた規格の一つだ。 HD DVD と BRD のどちらが競争に勝利したとしても,中国メーカーは再び苦境に立たされることになってしまう。中国以外の地域で EVD 規格が普及することは考えられにくいものの,政治的な重みを持った EVD 規格は「第3の勢力」として特殊な存在感を保ち続けることだろうと思う。


Intellectual Property (2)

2005-01-17

次世代 DVD 規格の他に,第3世代 (3G) 携帯電話の分野においても,中国は独自規格を立ち上げることによって国内製造業の優位性を作り上げようとしている。

http://news.searchina.ne.jp/topic/147.html

TD-SCDMA は,中国の大唐電信と独シーメンス社が中心となって開発された通信方式であり,第3世代における主要な国産技術として期待が寄せられている。しかしその一方で,いまいち期待通りの結果を得ることができていないという状況は, EVD と同様であるようだ。

http://forum.searchina.ne.jp/2003/1010/henme_1010_001.shtml

中国の産業界は,その背景にある巨大な市場の存在が独自規格の後ろ楯になると考えているようであるものの,実際には,独自規格路線への偏向が国際的な競争からの孤立を招く可能性が高いと考えられている。

http://www.nikkei.co.jp/neteye5/goto/20040401n7741000_01.htm...

国際的な市場が形成されるに従って,知財の重要性を認識するまでには至ったものの,今度は思惑ばかりが先行してしまい,自らの持つ知財を無理にでも収益へと結びつけようとしている様がうかがわれる。本当に必要とされているのは,知財を拠り所として都合の良い話を作り出すことではなく,価値のある知財を生み出す技術力を育てることと,その知財を収益や競争力の向上へと結びつける適切な方法論を備えることにある。また,この指摘は,自戒としても通用するものであると感じられる。

http://www.patentsalon.com/column/samejima/004.html


Intellectual Property (3)

2005-01-18

他に特許関連の話題としては,「青色LED紛争」の一件が記憶に新しい。1審の約200億円から大幅に減額された約8億円で和解が成立したということが,最近のニュース等で盛んに報じられていた。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/consideration_of_the...

http://www.patentsalon.com/topics/blueled/nakamura.html

http://www.patentsalon.com/topics/employee/index.html

この問題に関しては,パテントサロンの鮫島正洋氏のコラムが参考になる。1年前の時点で更新が止まってしまっており,内容的には古さが感じられるものの,職務発明問題に関する基本的な概念を把握する上では十分に参考になる内容だ。

http://www.patentsalon.com/column/samejima/index.html

個人的な感想としては,中村氏の貢献度を 50% と評価した1審の判決には,やや行き過ぎたものが感じられる。高裁における 5% という評価が適正なものであるかどうかは判断が難しいものの,高裁が会社側の貢献度を高く評価し直した点は,当然の帰着であると感じられた。

この問題を巡る意見に目を通していて面白かったのは,研究者の立場を擁護する人々も,会社の立場を擁護する人々も,そのどちらもが,各々の意見が受け入れられなかった場合のリスクとして「海外への流出」をほのめかしている点だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050111-00000149-mai-soci

「技術者の社会的評価を低く抑えてきた日本の悪弊を改める千載一遇の機会がけ散らされてしまった」。同じ発明訴訟の原告で、元日立金属の研究者、岩田雅夫さん(59)は残念がる。(中略)子どもの科学技術離れ、技術者や研究者が海外へ流出することも避けられないと強調する。
東京大先端科学技術研究センターの玉井克哉教授(知的財産法)は同種訴訟は今後も起きると見る。「(退職後に対価を求める)後出しジャンケンに億単位の対価を支払う流れが定着すれば、経営側にはリスクが高い。企業の研究部門が海外へ逃げ、国内の研究への費用配分が減る恐れもある」と指摘した。

実際に中村氏が今後の活躍の場として海外を選択したことや,あるいは,企業が研究拠点の海外(オフショア)化を試みる事例が存在していることなどを考えると,これらの指摘は決して単なる「脅し」ではないと感じられる。しかし,手っ取り早く危機感を煽る手段として「海外への流出」というキーワードを多用している観は否めない。結局のところ,それが双方にとって最も分かりやすいリスクであり,また実際に最も恐れている結果であり,かつ,「海外」という実態の把握し難い存在を引き合いに出すことによって反論を難しくしようとしている側面があるのだろうと思う。


Intellectual Property (4)

2005-01-19

今回, Immersion - Sony 間の特許抗争の一件に始まって,色々と特許関連の話題を調べてみたことによって,自分の中での特許に対する考え方が多少なりとも変化したと感じられる。しかし,結局のところ,自分が今後どのようにして特許と接していくべきなのかという点については,明確な結論を出すことができたわけではない。

通常,自分たちにとって知的財産 (IP: Intellectual Property) と言えば著作物のことであり,いわゆる著作権を拠り所とすることによってその独占的な使用が可能となっている。しかし,ビデオゲームもコンピュータ・ソフトウェアの一種である以上,製品に含まれる特定の技術が知的財産となることも考えられる。

技術を知財として扱うことには,ある種の負の側面が存在すると考えられる。特定の技術に対して独占権を行使することが,産業全体の活動を阻害しうるという危険性だ。特定の企業ないしは個人が,ある種のビデオゲームを制作する上で鍵となる技術に対して独占権を主張し,その使用を著しく困難なものとすれば,産業の存続自体が危うくなるということは容易に想像できるのではないかと思う。そこまで大げさな話でなくとも,ビデオゲームの創造活動において本質的でない技術に対して余計な制限が課せられてしまえば,その分「健全な競争」が阻害されてしまう危険性がある。

逆に,技術を知財として扱わないことにも,明らかな負の側面が存在する。技術開発の動機(モチベーション)が失われてしまうという危険性だ。例えば,相応の労力を費やすことによって何か特徴的な技術を開発することができたとしても,その技術を他者が簡単に転用することができてしまうとすれば,そこに投入された労力は無駄なものとして考えられてしまうだろう。他者が技術を開発するのを待って,それを転用した方がずっと安上がりになるためだ。そのような環境では,自ら技術開発を行う意欲は薄まり,技術開発に対する投資は消極的なものとなり,最終的には技術的な発展が停止してしまうと考えられる。

自分は今回,この後者の危険性を,もう少し真剣に受け止めても良いのではないだろうかと感じた。労力を費やして開発した技術を特許として権利化し,知財として組織に蓄えるという考え方を一般化することによって,技術開発の重要性を高めることができる。ゲーム産業にとって本質は著作物(コンテンツ)の制作にあると考えられるものの,その実現を支える技術の開発にもっと労力を注ぐ体制があっても良いのではないだろうかという感触が,今の自分にはある。


Random Brokenness

2005-01-22

今までの自分の人生は,偶然の積み重ねによって成り立っているのではないだろうかと考えることが,たまにある。もちろん,自分の意思や努力によって得たものも幾分かは存在する。しかし,周りから与えられたものの大きさを考えるとき,あるいは,不運から苦境へと追い込まれてしまった人の姿を見るとき,自分にとっての偶然の重みを思い知らされることになる。

先日, Ned Batchelder 氏が話題に上げていた記事 "Random Brokenness" は,そのようなことを思い起こさせる内容の記事だった。

http://waiterrant.blogspot.com/2004/12/random-brokenness-its...

このブログ "Waiter Rant" は,ニューヨークの某レストランに勤務する名も知らぬウェイターのブログだ。件の記事は,そんな氏の日常風景から始まる。


ゆったりとした金曜の夜のこと,私は中年の夫婦に向かって,本日の特別メニューを機械的に読み上げていた。彼らはうんざりして,もう耐えられない様子だ。長いリストだから無理もない。

『子羊のすね肉』の辺りまで来たとき,クロードが窓の前に立ち止まった。彼はこの近所によく来るホームレスの一人だ。彼は微笑み,手を振った。私はメニューの朗誦を止めると,大きく微笑んで手を振り返した。この些細なひとときは,これまでにもう何千回も繰り返してきたことだった。

私は客に向き直ると,お決まりの作業の仕上げを始めた。私がそれを終えるよりも早く,婦人は私に向かって口を開いた。

「あれは誰?」

「誰とは……誰ですか?」 私は答える。

「そこにいる男よ」

「ああ……彼はクロードです。悪い人ではないですよ」 私は率直に言う。

「そう。目障りだわ。追い払ってちょうだい」 彼女はそう言い返した。

クロードは安物のタバコをふかしながら,縁石の上に座り,低い調子で独り言を呟いている。

「奥様。彼は公道の上にいます。暴れているわけでもないのですから,私にできることは何もありません」 私は穏やかに反論した。

「私には目障りなのよ。どこか行って欲しいわ」 彼女は固持する。

重役風のスーツに身を固めた彼女の夫が話に加わった。 「彼女の言う通りになさい」

「しかし,お客様……」

「しなさい」 彼は私を見ずに命令する。

私は沈黙した。私は,一切の動きを止めた。

私にその命令を受け入れるつもりがないということを,その夫が悟るまでに,穏やかな30秒の沈黙があった。彼は私を見上げた。困惑の表情が彼の顔に現れ始める。私はウェイター特有の千ヤードの視線で彼を貫いた。あなたは知っているだろうか ― 私があなたの眼を見つめるとき,私の視線はあなたの頭蓋を貫き,窓の外の車や歩行者や建物の間を通り抜け,遥か向こうの見えない何かを見つめていることを。

「いいえ」 私は簡潔に言う。

「それでは1分待とう」 その社長は抵抗した。

死んだような静けさは,私の声を代弁していた ― 『放っておいてくださいよ,旦那』

「む……」 彼は口ごもる。

私は肩をすくめた ― 『それで,お次はどうなさるんで?』

彼は,自分を頑強な人間だと考えているに違いない。彼が紙ペラを1枚よこせば,彼のお追従の部下どもを右往左往させることもできるのだろう。しかし,彼にへつらわない人間の前では,彼は何もすることができない。私は彼の本心を見抜いている。そして,そのことに彼は気付いている。

「もういい。注文するとしよう」 彼は屈服した。

「それがよろしいかと。お客様」

彼らは食事をし,支払いを済ませ,店を後にした。チップはお決まりの15%だった。

夜が終わった。私はクルマの所まで歩いていく。クロードは駐車場のベンチに座って,私のレストランの名前の入った容器からスープを啜っていた。ウェイターの誰かが,それを彼にやったのだろう。彼は,まるで宝くじを引き当てたかのような様子だった。

「おやすみ,クロード」 私は穏やかに言う。

クロードはスープに心を奪われている様子だった。今だけは,空にある自分の城へ帰ることができる。

家まで運転する間,私はあの夫婦のことを考えていた。彼らはきっと,ドアマン付きの閉鎖的なビルの中に住んでいて,がっちりとしたドイツ車に乗って送迎されたりするんだろう。彼らは,クロードのような人々と出会う機会を最小限に保つために,人々に金を払っている。洗濯物はお手伝いたちが引き取り,いさかいごとは弁護士たちが解決し,身の安全はボディーガードたちが守る。彼らの人生は,快適な暮らしから,次の快適な暮らしへと向かう道程のようなものだ。

しかし彼らは,クロードのような人々を恐れている。何故だろうか?それは,彼ら自身が如何に幸運であるかを思い起こさせてしまうからなのだろう。

人々が得たものや成し遂げたものの殆どは,その人の自身の能力や願望によって実現されるものではない。多くの場合において,それは単に幸運だっただけに過ぎない。あなたはそうは思わないだろうか?メンサ(知能指数の高い人々から構成される国際的な団体)の会員でありながら,日々モップを担いでいるだけの人々は多く存在する。もし何か些細なことが違っていれば,あの夫婦もクロードのような結末に辿り着いていたかもしれない。そのような偶然性が,彼らを恐れさせている。そして,私もそれを恐れている。

私はCDプレーヤーのスイッチを入れた。デュリュフレのレクイエムが車内を満たす。昔からのお気に入りだ。

私は,この偶然の世界について思いを巡らせた。クロードのことが頭をよぎる。デュリュフレの音楽は,私に様々なことを囁きかけてくる。永遠,赦し,そして平安。

この世界は,残酷になることもできれば,理不尽になることも,容赦無くなることもできる。しかし,美しくあることもできるはずだ。私たちは,砂の中に頭を埋めて現実から目を逸らすよりも,互いに身を寄せ合うべきだ。

私よりも賢かったある人は,いつかこんなことを言っていた ― 我々は己の強さによって一つになるのではなく,己の弱さから一つになることができるのだ。この世界は,我々皆を踏みにじるかもしれない。クロードのような人を目にするとき,我々は己の弱さを思い起こすべきだ。彼にスープを ― 裁きではなく。

クルマを車庫に停めて,鍵をひねって家の中へと入る。アパートの部屋は沈黙に包まれていた。私は自分で酒を注ぐと,安楽椅子に身を沈めた。前のガールフレンドの残していったものが,辺りに散らばっている。写真がそこに……服がそこに……。私はグラスの氷の音に耳を傾けながら,酒をちびちびと飲んだ。私は,私自身の弱さに触れているような気がした。

私は静かにクロードに乾杯し,古い格言を幾度となく唱え返した。 "There but for the grace of God go I" ― 神の恩寵が無ければ,私もそうであったかもしれない。

私は,酒の吟味をしながら,キーを叩き始めた。


Apollo 13

2005-01-25

先日, Amazon で購入した映画「アポロ13」の DVD を観た。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=1146

http://www.imdb.com/title/tt0112384/

特に理由は無いのだけれど,昔から観ようと思っていながら未だに観ていなかったことを突然に思い出して,購入してみた次第だ。

簡潔に感想を述べれば,非常に面白い映画だった。宇宙空間のシーンに効果音が使われていたり,過剰演出気味な特殊効果が使われていたりと,少し日和ってしまっている部分は見受けられるものの,基本的には実際の出来事を忠実に辿っており,なおかつ娯楽性も適度に保たれているという点から,かなり良心的なつくりの映画であると感じられた。

「アポロ13」を観ていて個人的に印象に残ったシーンが幾つかある。そのひとつは,管制室のクルーが計算尺を使って検算を行うシーンだ。

主人公であるところのジム・ラベル船長は,司令船を閉鎖し LEM (月着陸船)へと移る際に,双方のジンバル(ジャイロ)を変換する計算を手で行っている。 LEM は元来,宇宙空間上での操縦を想定していないため,光学系の装備が充実していない。さらに,船外には爆発によるガスと浮遊物(デブリ)が飛散しているため,星の位置から姿勢を特定することは,もはや不可能となってしまっている。そこで,正確なジンバルの変換が必要とされたわけだ。

http://www.jsc.nasa.gov/er/seh/apollo13.pdf

ジンバルの変換ミスは命取りになる可能性があるため,ラベル船長は検算を管制室のクルーに依頼する。そこで持ち出されたのが,コンピュータでも電卓でもなければ計算尺だったというオチだ。

アポロ13号が宇宙を飛んでいた頃,ポケットサイズの電卓はまだこの世に存在していない。時系列を整理すると,ケネディが件の演説を行ったのが 1961 年であり,アポロ8号が初の有人月周回を成功させたのが 1968 年(ちなみに,このときの司令船操縦手がジム・ラベルだ),月面着陸で有名なアポロ11号は 1969 年 7 月であり,問題のアポロ13号は 1970 年 4 月の打ち上げとなっている。これに対して,初期のマイクロプロセッサとして有名なインテル 4004 の開発が完了したのは 1971 年の 3 月とされている。こうして比較してみると,アポロ計画はぎりぎりで「電卓以前」の世界の出来事であったことが分かる。

計算尺の基礎知識に関しては「計算尺推進委員会」のページが参考になる。

http://members3.jcom.home.ne.jp/ryuji113_355/

また, Hewlett-Packard 社の歴史紹介のページである "The Museum of HP Calculators" には,「電卓以前」の歴史として計算尺の紹介を行っているセクションがあり,なかなか面白い。

http://www.hpmuseum.org/prehp.htm


Gimbal Lock

2005-01-26

映画「アポロ13」を観て,もうひとつ印象に残っていたのは,船員がジンバルロックを避けるために奮闘するシーンだ。

ジンバルロックと言うと,オイラー角による姿勢表現の弱点として挙げられることが多いかと思う。特定の軸を90度回転させると,回転の自由度 (DOF) が失われてしまうという現象だ。劇中で用いられている「ジンバルロック」も,基本的な概念は違わない。ジャイロスコープの回転の自由度が失われ,姿勢の計測が行えなくなってしまう現象のことを指している。

http://en.wikipedia.org/wiki/Gimbal_lock

http://en.wikipedia.org/wiki/Gyroscope

ジャイロスコープとジンバルロックの関係については, Apollo Lunar Surface Journal の記事 "Gimbal Angles, Gimbal Lock, and a Fourth Gimbal for Christmas" が参考になる。

http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/alsj/gimbals.html

標準的なジャイロスコープは,3自由度 (DOF) を保つために3つの回転軸を持っている。この軸を支える輪のことをジンバル (gimbal) と呼び,軸のことをジンバル軸 (gimbal axis) と呼ぶ。

http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/alsj/lm_imu.gif

「ジンバルロック」とは,これらのジンバル軸が重なった状態のことを指す。上図のジャイロの例で言えば,Z軸を90度回転させ,X軸とY軸が完全に重なると,ジンバルロックが発生する。この状態から縦軸回転を与えると,回転を打ち消す軸が存在しないため,ローターの姿勢が変化してしまう。姿勢を保存するというジャイロ本来の機能が失われてしまうわけだ。

実際には,軸が完全に重ならなくてもジンバルロックは発生する。例えば,上図のジャイロでZ軸を85度回転させ,そこから縦軸回転を与えると,回転を打ち消すために3つのジンバル軸が高速に回転を行うことになる。実際のジャイロでは,ジンバル軸に対して高速な回転を与えると,軸受け部の摩擦や,補正モーターの逆起電圧,ジンバル自体の慣性等によって僅かな誤差を生じてしまう。結果として,完全にロックせずとも,大きな角回転を与えた際に誤差を生じてしまう危険性が考えられることになる。

この辺りの事情に関しては,アポロ計画当時の技術文書 "Consideration of Apollo IMU Gimbal Lock" に詳しく記されている。

http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/alsj/e-1344.htm

この資料には,ジャイロとジンバルロックの関係のほか,ジンバルロックを回避するための手順などが詳しく解説されている。その記述によれば,どうやら「2つの軸を同時に操作しない」というのが基本的な約束事となっているようだ。例えば,ピッチ角を操作する際にはロール角を0に固定し,ヨー角を操作する際にはロール角を90度ないしは270度に固定せよ……というような指示が載せられている。

実際のアポロ13号の通信記録(トランスクリプト)を覗いてみると,ジンバルロックを避けるために細かな補正を繰り返し行っている様子が見られる。

http://myweb.accessus.net/~090/as13.html

映画「アポロ13」の劇中では,この辺りの奮闘がドラマチックに描かれる。

「こちら誘導。ひどくセンターに近づいてしまっている」 「ミドル・ジンバルに注意しろ。宇宙で迷子になったら困る」

「フレッド! このイカれジンバルのことなんかとっくに分かってるってヒューストンに言ってやれ!」

思わぬところで「ジンバルロック」の本来の意味と出会ったようで,なかなか面白かった。


Compiler Optimization

2005-01-27

PCやゲーム機等に搭載されるRAMの容量は,年を追う毎に指数関数的な増加を遂げている。HDDやROMメディアの容量に関しても同様だ。一方で,コンテントを構成するデータの容量も,やはり同様に指数関数的な増加を遂げているため,容量不足の問題が根本的に解決されることはこれまでに無かったし,将来的にも無いと考えられる。

コードサイズに関してはどうだろうか。前世代(例えばPS1)から現世代(例えばPS2)へと移行したことによって,コードサイズが10倍や20倍にも膨れ上がったプロジェクトは存在するだろうか。一部には存在しうるものの,これは仕様の複雑度に依存する問題であると考えられる。世代交代によるコードサイズの増加は,多くの場合は数倍程度に留まっているはずだ。

ゆえに,メモリ空間上におけるコードの占有率は,世代交代を経る毎に急速な減少を遂げていくものと考えられる。残念なことに,現世代機(特にPS2)においては,コードがメモリを圧迫するケースが多々存在するものの,次世代機においては,コードサイズの問題は一部の巨大プロジェクトを除いて根本的に解消されるものと予想している。

次世代機に関しては,そのような予測に淡い期待を寄せておくとして,当面の間は現世代機上での問題を解決しなければならない。これは現在,自分が最も頭を悩ませている問題のひとつだ。CからC++へと移行し,プロジェクトの構成人数が増えた時点で,コードサイズの問題が表面化してくることは予期していたものの,あてにしていた解決策が諸般の都合で使えなくなってしまったことと,予想以上の速さでコードサイズが増加していることが,問題を深刻な方向へと導いてしまっている。


先日, GameArchitect.net の Kyle Wilson 氏は,記事 "Compiler Optimization Of MechAssault 2" において,コンパイラのオプション指定による最適化の手法に関して触れていた。

http://www.gamearchitect.net/Articles/CompilerOptimizationOf...

個人的に興味を引かれたのは,モジュール毎に「パフォーマンス優先最適化」と「コードサイズ優先最適化」を使い分けることによって,パフォーマンスとコードサイズの両側面から最適化の効果を得るという手法だ。氏は,グラフィック担当プログラマの提案に従って,基本的には「パフォーマンス優先最適化」を適用しつつも,最もサイズの大きかった2つのライブラリに対してのみ「コードサイズ優先最適化」を適用するように設定してみたところ,元の状態と比較して 8.2% の速度向上と 1,644kB のコードサイズ縮減を同時に達成することができたと述べている。

これは非常に理に適った手法であると思う。一般にゲームプログラムにおいては,いわゆる「ゲームコード」をはじめとする上位層が最もコードサイズを占有するものと考えられるが,実行時間では描画処理をはじめとする下位層が大部分を占有している。ゆえに,上位層のコードに対して「コードサイズ優先」を適用したことによって処理時間が増加したとしても,全体に及ぼす影響は微小であると考えることができる。


Sequels

2005-01-31

昨年末に Ubisoft から発売されたタイトル "Prince of Persia: Warrior Within" は,その前年に発売され好評を博したタイトル "Price of Persia: The Sands of Time" の続編だ。

http://www.princeofpersiagame.com

http://www.4gamer.net/DataContents/game/1605.html

昨年の E3 の段階では,公表された情報は非常に限られていたため,戦闘色のやや強められた順当な続編であるようにしか見えなかった。しかしその後,徐々に情報が露出されるにつれ,かなり大幅な路線変更が行われていることが明らかになってきた。具体的には,前作はディズニー的なアラビアン・ファンタジーの世界を舞台としていたのに対して,今作は全体的にダークな雰囲気が強められているほか,暴力や流血等の,いわゆる「過激な表現」が前面に押し出された作品となっている。

ESRB の評価によれば,前作 "The Sands of Time" は 13 歳以上への推奨を表す "Teen" に分類されているのに対して,今作 "Warrior Within" は 17 歳以上の推奨を表す "Mature" に分類されている。更には "Blood and Gore" や "Sexual Themes" 等の注釈も新たに加えられている。

http://www.esrb.org/search_results.asp?key=prince+of+persia&...

"Warrior Within" が「過激な表現」を含む路線へと変更された背景に関しては, GameDAILY BIZ の記事 "Ubisoft's Mature Prince Pays Off" に詳しく解説されている。

http://biz.gamedaily.com/features.asp?article_id=8644§io...

この記事の要旨は2点にまとめられる。1点は,対象年齢の引き上げが相応のリスクを伴うことを承知していながらも,ユーザの嗜好を分析したうえで路線変更が行われたという事実と,その結果として前作を上回る成功を収めることができたという事実だ。

Ubisoft が "Prince of Persia" のデザインを大人向けに変更すると発表したとき,多くの人は,このゲームのフランチャイズに悪影響が及ぼされるのではないかと危惧した。しかし,新しい見た目の「王子」は既に良好な売り上げを得ており,彼らの判断が正しかったことが証明された。

記事によれば,発売後1ヶ月間の売り上げは前作の倍のペースを記録したとされている。また, Ubisoft のプレスリリースによれば,発売後1ヶ月間の出荷本数は 190 万本に達したとされている。この様子であれば,今作が最終的にマルチミリオンを記録することは間違い無さそうだ。

http://www.ubisoftgroup.com/News/CA%203eme%20trim%2004-05

Ubisoft のマーケティング VP の Tony Kee 氏は,続編制作の難しさに関して以下のように述べている。

人々は様々な理由から,このゲームが前作とどう異なっているのかという点について知る必要があります。さもなくば,新しい方のゲームを買うべき理由は無いと感じてしまうでしょう。しかしながら,ブランドイメージの変更は諸刃の剣です。続編に十分な変更を盛り込まなければ,革新性や発展性の無さを批判されてしまいますが,変更を加え過ぎてしまえば,好まれていた要素まで変更してしまったことに関してファンや雑誌から厳しい意見が寄せられることでしょう。

「変わらないのはダメだけど,変え過ぎてもダメ」というのは,続編を制作していくうえで守ることが求められる基本的な「約束事」のひとつだ。この「約束事」は,制作の方向性に制限を与えてしまう性質を持っているため,非常に悩ましい問題として扱われることが多いと感じる。

自分はこの数年間,ずっと続編作品の制作に係わっているため,この問題が制作上の難問として降りかかる現場を幾度と無く体験してきた。昨今の産業における続編制作の機会の多さを考えると,同じような苦しみを味わっている人々が数多く存在するはずであり,そのことを想うと少し励まされることもある。今回のこの記事などは,そのような苦労が適切な戦略によって報われた一例として挙げることができる。