Radium Software Development

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Smart Urban Intelligence

2006-09-05

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Image from ryotakimura.net

IC カード乗車券 Suica の内部には直近 20 件の乗車履歴が保存されている。また [Wikipedia] によれば,この履歴情報の読み出しには暗号鍵によるアクセス制御が施されておらず,誰でも自由に読み出すことが可能であるとされる。

このような設計がなされているのは恐らく利便性を考慮したうえのことであると思われるが,その利便性に伴うリスクについては意識される機会が少ないように感じられる。人々は IC カードを何かにかざすたびに,自らの乗車履歴を晒していることになる。そのことは一体,どのような結果を導き出しうるのだろうか。

Cyberarts 2006 における Ryota Kimura の展示 "S.U.I." (Smart Urban Intelligence) [ryotakimura] は, RFID 技術が普及した未来に起こりうる状況を, Suica という既存の普及技術を通して映し出す。展示に向かって IC カードをかざすと,その乗車履歴は地図上に視覚化され,動画の形で再生される。それと同時に「エージェント」が乗車履歴の解析を開始し,そこから導き出される様々な答えを勝手に読み上げる。それは例えば,カード所持者の生活圏や,行きつけの場所のこと,その場所に関する押し付けがましいお勧め情報,それから,所持者の帰宅の記録や「泊まり」の記録,近視眼的な行動分析,履歴中の駅に関する下らない情報,等々……。

カードの設計者にとって,特殊な手続きを介すことなく乗車履歴を閲覧できることは,利便性の一種であったに違いない。しかし,本人以外にそのような情報が勝手に渡ったところで,それは短絡的な分析を導き出すだけで,他にろくなことなど無い。よく考えれば自明なことではあるが,そのような問題を一般化し人々に知らしめることは,実のところ容易ではない。この作品は風刺的な表現を用いることによって,そのような利便性の裏に潜む問題を人々が容易に理解することのできる形で提示しようとしている。

[via we make money not art]

Kernel Mode Linux

2006-09-06

前田俊行. Kernel Mode Linux: ハードウェアに頼らずにオペレーティングシステムを保護する方法. 大域ディペンダブル情報基盤シンポジウム, February 2004.

Toshiyuki Maeda. Safe Execution of User Programs in Kernel Mode Using Typed Assembly Language. Master's thesis, University of Tokyo, February 2002.

東京大学米澤研究室の前田俊行氏は,数年前に修論のテーマとして "Kernel Mode Linux" (以下 KML)の開発を行っている。この KML においては,ユーザープログラムはすべて型付きアセンブリ言語 (typed assembly language) [TAL] の形で提供される。カーネルは TAL の検証器を用いることによってそのプログラムの安全性を検証することができる。このようなインフラストラクチャが用意されることにより,従来のハードウェアをベースとしたプロセス保護機構は不要となり,それらの保護機構に起因するオーバーヘッドは解消されるものと考えられている。実際に KML 上では全てのユーザープロセスがカーネルモードで動作するようになっている。ベンチマークの結果を覗いてみると,システムコール類のレイテンシは大幅に減少しており,ファイル I/O 操作についても 10% 程度のスループットの向上が見られている。

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上記シンポジウム資料より引用

同様のアイデアは Microsoft Research による Singularity プロジェクト [Microsoft] などにおいても研究が行われているが,その研究が数年前の時点で既に大学院の研究室において行われていたという事実は面白く感じられる。

Linus Torvalds Likes Visual Basic

2006-09-08

stifflog. Stiff asks, great programmers answer.

ブログ stifflog の Jarosław Rzeszótko は,ある日突然, Linus Torvalds や Bjarne Stroustrup を始めとするプログラミング界の著名人に対して e-mail インタビューを行うという,ある種無謀な企画を思いつき,それを実行に移した。返答の中には,あまり気乗りする様子ではないものも見かけられるが(それは無理も無い),中にはかなり真面目に答えているものもある。

特に,何故か Linus が Visual Basic を持ち上げているのは面白い。

― あなたは,コンピュータ・プログラミングにおける次の大きな出来事は何になると考えていますか? ○○指向プログラミング? ××言語? 量子コンピュータ? それとも……何?

Linus Torvalds:

私は,「大きな跳躍」 (big jump) などは無いだろうと考えています。我々はこれまでに,様々なツールが日々の面倒な作業を簡単にしていく様を見てきました。そのツールとは,高級言語や,単純なデータベースを言語に統合したものなどです。他方で,多くの「流行りもの」 (buzzwords) は,ごく限られた利用に終わってきました。

例を挙げるならば,私は個人的に, "Visual Basic" がプログラミングにおいて為したことは,「オブジェクト指向言語」が為したことよりも大きいと信じています。人々は VB をダメな言語として嘲り,他方でオブジェクト指向言語については何十年もの間論じ合っています。そうだとしてもなお,です。

まあ Visual Basic だって凄い言語だったわけではありません。しかし例えば VB の簡便な DB インタフェースは,オブジェクト指向よりも本質的に重要なものであると考えています。

そのようなわけで,私は今後も様々な段階的発展が成されていくことだろうと考えます。そしてまた,ハードウェアの発展はプログラミングをより簡便なものへと変えていくでしょう。しかしながら,人々が物事を行う方法について,生産性の大きな助けになるものや革新が待ち受けているとは思っていません。

少なくとも,本当の意味での人工知能にでも手を出してみないことには……まあ,本当の意味での人工知能は,誰かが「プログラム」するようなものではないでしょうけど。

今なお C 言語の重要な用途を作り出している人物の一人であるところの Linus にとって,オブジェクト指向の存在意義とは, Visual Basic の実用性の陰に隠れてしまうようなものなのだろうか。氏の実利主義的思想を色濃く反映しているように思われる。「Linus は Visual Basic がお好き」 ― それにしても奇妙な取り合わせに思われてならない。

[via Coding Horror]

Riding Shotgun

2006-09-12

The Old New Thing: In case of fire, go to lunch.

「メシ食いに行っか」 「オレ運転すんよ」 「ショットガン!

アメリカと欧州の一部の国においては,運転席の隣の座席は後部座席よりも快適であると考えられている。その理由としては,足の置き場が広いこと,視界が良いこと,ステレオやエアコンに近いことなどが挙げられる。この席は歴史的な理由から "Shotgun" と呼ばれており,「ショットガン!」と最初に叫んだ者がそこに座る権利を得るという奇妙な作法が存在する [Wikipedia] 。

この席がショットガンと呼ばれるのには前述の通り歴史的な理由が存在する [Staff] 。アメリカの西部開拓時代のこと,乗合馬車の護衛やポニー・エクスプレスの乗り手たちは,盗賊や野生動物から身を守るためにショットガンを常に装備していた。このことは西部開拓時代をテーマとした映画やテレビドラマにおいても数多く描かれており,そこではいつからか「ショットガンに乗る」 (riding shotgun) という台詞が常套句として用いられるようになった。その影響から,車の前部座席のことを俗に「ショットガン」と呼称するようになったとされている。ただし,開拓時代の史料には「ショットガンに乗る」という文句を見つけることはできず,専ら創作された表現であると考えられている。

「ショットガン!」と叫ぶことによって前部座席の権利を得る行為のことを「ショットガン・コール」 (shotgun calling) と呼ぶ。この「ショットガン・コール」は,ただ闇雲に叫べばよいものではなく,慣習に基づいたいくつかの約束事が存在する。例えば,行き先が決まる前にショットガン・コールを行ってはならない,ショットガン・コールは屋外で行わなくてはならない,誰かがショットガンのドアに触れた後にショットガン・コールを行うことはできない,車の持ち主が運転しない場合は優先的にショットガンに座る権利が与えられる,等々。ウェブサイト "The Official Shotgun Rules" にはそれらの約束事が細かに解説されている。また,同サイトでは携帯に便利なハンドブックの通信販売まで行われている。

Google Calculator

2006-09-13

Google の電卓機能 (calculator) は驚くほど多彩な機能を搭載している。特に,各種の定数や単位系の扱いが充実している点は,日常的な問題を扱うにあたって役立つことが多い。実のところ, Google 電卓を使うようになってはじめて,自分が以前より求めていたものは,微積分計算やソルバー機能などを備えた関数電卓ではなく,むしろこのような雑務を手早くこなすことのできる電卓だったのだということに気づかされた。

例えば……

「NTSC のリフレッシュ (59.94Hz) を整数型でカウントすると,どのくらいでオーバーフローしちゃうんだっけ?」

2^32 / 59.94hz

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「サンプリングレート 44kHz の 8 bit PCM 音声をステレオで4時間録音すると,どのくらいの容量になるんだろう?」

(44khz * 4hour * 2) byte

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「でかいなあ……それじゃあ,せめて 192kbps ぐらいで圧縮しとこうか」

192kbps * 4hour

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「60 種類のキャラから 4 人選出した場合の評価値を float で算出しておくとしたら,全ての組み合わせを保持するのにどのくらいメモリを食うんだろう?」

(60 choose 4) * 4byte

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「0xdeadbeef って十進でなんだっけ?」

0xdeadbeef in decimal

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「下から3ビット目と5ビット目をマスクするには何で and すればいいんだ?」

0b11101011 in hex

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「499 ユーロって言われてもなあ……日本円でいくらよ?」

499euro in yen

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「今の雷,ピカって光ってからゴロゴロ鳴るまで2秒ぐらいしかなかったよ! かなり近いんじゃないの?」

speed of sound * 2 second

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「CPU の消費電力が 150 W って,それ,すごい勢いでお茶が沸かせるんじゃね? 100ml ぐらいなら」

100 * 100calorie / 150watt

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「冥王星って,実はかなり小さいらしいけど,月の何倍ぐらい?」

radius of pluto / radius of moon

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その他, Google 電卓のマニアックな使い方については Google Guide や "Physics the Google Way" に詳しい。

Polysix

2006-09-18

ストロングマシン2号

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Image from Raindance Film Festival Website

関根光才. レインダンス映画祭/DIESEL「Daughter」編.

児玉裕一, POLYSICS. Electric Surfin' Go Go.

児玉裕一, POLYSICS. I My Me Mine.

「『ストリートダンスがむちゃくちゃ上手い小学生』ってキャラクターは,『字がむちゃくちゃ上手い小学生』とか『ドラムを叩くのがむちゃくちゃ上手い小学生』とか,そういうのとは話の次元が違うんですよ。だって,ダンスは身体を使って表現するものじゃないですか。それが,あの小さな体躯から繰り出されるってだけで,もう他の人には真似することのできない,面白いことになってしまうわけですよ。そりゃあ,大人のプロと比較してどうかってのは,分からないですよ。でも,他の人にはできないことをしているんだから,それは純粋にすごいことじゃないですか。」

「しかし,もし彼女の身体的な幼さが重要であるとするとですね,それはもう,数年後には無くなってしまうものなんですよ。つまり,彼女がこの先数年の間に,何を表現して,何を残すのか,ということが,非常に重要な意味を持ってくると思うんです。もちろんそのことの重みは,彼女自身は分かり得ないわけで,他人事ながらそこに焦りを感じてしまうというか……そのもどかしさが,ちょっとたまんないですね。」

「おかしいですか,そういう楽しみ方は。」

POLYSICS

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「実はあまり POLYSICS は好きじゃないんですよ。 DEVO のフォロワーであること……もっと広く言うなら,ニューウェーブの再生産をすることで満足してしまっているように見えるんですね。それが,かわいくない。いや,そういう音楽は他にもたくさんあると思いますよ。でも POLYSICS の場合は,そこに色気の無さも相まって余計にかわいげなく感じられる。一途にパンクを,一途にナンセンスを貫いているんです。たまにはちょっと意味ありげな歌を歌っちゃってみたりとか,綺麗な旋律を意識してみちゃったりとか,そういう油断を見せちゃう瞬間があるわけじゃないですか,普通は。でも POLYSICS は,意図的になのか,それとも天然なのか,とにかくそういう隙が無い。そこがかわいくないんです。」

「でもまあ,嫌いってほどじゃないんですよ。ベスト盤も買っちゃいましたし。」

KORG Polysix

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Image from Synthmuseum.com

「KORG の Polysix が発売されたのは 1981 年 12 月ということですから……ポリフォニックシンセのスタンダードであるところの Prophet-5 が発売されたのが 1978 年で,そこから始まったポリフォニックシンセ開発競争の2世代目辺りに相当するものなんですかね。ここまで来ると,だいぶコストパフォーマンスがよくなってきてます。でも,まだ10万円台には届いていない。しかも,時代にはあまり名を残せなかった。バンド名に引用されたことは除いてね。」

「どちらかと言えば,もっと下の価格帯を狙った Mono/PolyJUNO-106 の方が印象深いですよね。コストパフォーマンスをどうにかして引き上げなきゃならないっていう制約が,メインストリームとは敢えて異なるものを作り出す原動力となったんじゃないでしょうか。」

Unskilled and Unaware of It

2006-09-19

Justin Kruger, David Dunning. Unskilled and Unaware of It: How Difficulties in Recognizing One's Own Incompetence Lead to Inflated Self-Assessments. Journal of Personality and Social Psychology, 77(6):1121--1134, 1999.

1995 年のこと,ある男がピッツバーグにある二つの銀行を白昼に襲うという事件が発生した。男の名を McArthur Wheeler と言う。彼は変装の類を全くしておらず,夜の 11 時のニュースで監視カメラの映像が流されるや否や,1時間も経たずに逮捕されることとなった。のちに警察が監視カメラの映像を彼に見せると,彼は疑い深そうにこう呟いたと言う ― 「いや,ジュースを塗ってたはずなのに……」。どうやら彼は,レモンジュースを顔に塗っておくと,その顔はビデオカメラに映らなくなるという考えを持っていたらしい。

人々は,何かを為すためには正しい知識を得ていなくてはならない。しかし,人々の持つ知識には様々な程度の差があり,それによって物事を為す見込みにも差が現れてくる。銀行の監視システムに関して正しい知識があれば,白昼に銀行強盗を行っても逃げおおせることができるかもしれない。 Wheeler の場合は,その点が致命的であったために,少しの間も逃げることはできなかった。

Kruger らはここで,もうひとつの考察を提示する。人々はある物事に関して正しい知識を持たないとき,その無知を自覚することができないのではないだろうか? Wheeler の場合で言えば,彼はレモンジュースを顔に塗れば監視カメラから逃れることができるという誤った考えを持っていただけでなく,彼自身は物事を上手くやっているという確信を得ていた。銀行の監視システムに関して正しい知識を持つ人ならば,そこから完全に身を隠すことなどは不可能であることを理解し,確信を得るには至らないのではないだろうかと思われる。

無知は知よりも多くの確信を生み出す。種々の問題を科学によって解明することは決して出来ないと高らかに断言するのは,多くを知る者ではなく,知の少ない者の仕業である。 ― チャールズ・ダーウィン [Wikiquote]

Kruger らはこの考察を証明するために,ある実験を行った。コーネル大学の学部生を適当数集め,「ユーモア」,「論理的解釈」,「文法」の3つの分野に関して簡単なテストを行った。被験者は問いに答えるだけでなく,自己評価も同時に行ってもらう。その集計結果から,人々の自己評価と実際の能力の間にはどのような差があり,それはどのような関係を持つものであるかを調べた。

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Image from Kruger's paper

上のグラフは「ユーモア」のテストの結果を表したものであり,薄い線は「本来の能力」,実線は「自己評価」に相当する。この結果から,以下の3つの傾向を見つけることができる。

他のテストにおいても,概ね同様の傾向が見られている。

最後に Kruger らは,「論理的解釈」に関してテストを行ったのちに,被験者を2つのグループに分け,一方のグループには論理的解釈に関する簡単な訓練を施しておき,再びテストを行うという試みを行った。その結果,訓練を施されたグループに関してのみ,能力の低い者は自己を低く見積もるようになり,能力の高い者は自己を高く見積もるようになるという変化が見られた。これはつまり,正しい知識の獲得が自己評価を正す方へと働いたと見ることができる。

これらの考察と実験の結果は,即座に全ての事象に対して適用できるわけではない。極端な例で言えば,スポーツの分野においては,能力と知識の間に絶対的な関連性があるわけではなく,能力が無くとも正しい知識によって他者のコーチを行う人々が存在する。しかし少なくとも知的活動の領域においては,これらの実験結果は普遍的な事実を示しているように思われる。すなわち,能力の低い者ほど自己を過大評価する傾向にある。また,多くの人々は自己を誤った評価で見ている。それは能力の高い人であっても例外ではない。

最後に ― 自己の能力を「平均より少し上」と評価するのは,すべての人々に共通した反応であると考えられる。もし何かの用で自己評価をした際に,自らを平均よりも少し上であると位置づけたならば,その評価は誤っている可能性が高い。自らの能力を正確に見積もりたいならば,何か客観的な評価方法に頼らなければならないだろう。

(この論文への参照は Smart Software から得た)

Brands and Wikipedia

2006-09-21

Micro Persuasion. Study: Wikipedia Dominates Brand Search Results.

Cingular, Chevrolet, Dell ... アメリカを代表するこれらの大ブランドは年間に1千億円規模の予算を広告メディアへと投入している。ところで,これらのブランドに共通する特徴をひとつ挙げることができる。それは Google においてブランド名を検索した際に,その検索結果の上位に Wikipedia のページが現れるということである。

これらのブランドに関する情報を求めて検索を行った消費者達は,その検索結果の上位に Wikipedia のエントリーを目にすることになる。そして,そのうちの何割かの人々は,そのエントリーに記された内容を参照することになると考えられる。

これはブランドのマネージャーからすれば望ましい状況であるとは限らない。例えば Febreze (消臭剤「ファブリーズ」の英語名)の Wikipedia エントリー(Google 検索では2位)には,同製品が家飼いのペットに対して有害である可能性を指摘した一文が載せられている。また McDonald's の Wikipedia エントリー(Google 検索では4位)には,同社の批判映画として有名な「スーパーサイズ・ミー」の概略が記されている。

このような記事をブランド側が操作したいと考えるのは自然な傾向であろうと Steve Rubel 氏は指摘する。しかし Wikipedia コミュニティは記事の中立性を最も重視する。故意の改竄はもとより,たとえコミュニティの意思を尊重する姿勢があったとしても,問題を伴わずにその編集プロセスへと関わることは難しいと言わざるを得ない。

その難しさは MyWikiBiz の一件からも伝わってくる。 MyWikiBiz は企業に代わって Wikipedia のエントリーを執筆する代行業者である。簡単なスタブであればたったの $49 から,標準的な記事なら $99 で代筆してくれる。この「報酬を貰って Wikpedia エントリーを執筆する」というこれまでに無い考えは,当然の如くコミュニティにおいて議論を呼ぶ事となり,一時は MyWikiBiz が Jimmy Wales 御大から追放を食らうという展開にまで発展した。その後 MyWikiBiz は GFDL (GNU Free Documentation License) の形で自サイトに記事を公開するに留め,その記事を MyWikiBiz とは関係の無い執筆者が Wikipedia へ転載するという形態を採ることによって和解へと至っている。本件については PR meets the WWW記事に詳しい。

[via MIT Advertising Lab]

Talent and self-assurance

2006-09-26

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ジブリがいっぱいコレクション,風の谷のナウシカ

庵: これなあ,斜めにスライディングしながら横パンするんだよなあ。

片: ねえ,軸線を変えるのがいかに大変かってのが,ぜっんぜん気にせず,やらせてるよね。

「風の谷のナウシカ」の DVD には,ジブリ作品には珍しくオーディオコメンタリーが付けられている。コメントを担当するのは,同作品の演出助手を担当した片山一良氏と,巨神兵シーンの動画を担当した庵野秀明氏ということで,当時の演出技術談義やら,宮崎駿監督の人となりやら,マニアックな会話に花を咲かせており,とても面白い。

片: ああ,これもね,極悪非道なスライディングなんだよねえ。

庵: そう,ここのマルチが,また酷いことするよなあ。もうちょっと撮影の人とかに遠慮とか無いんかな。

片: ないないないない……。だって,こんなのもできねえのか,みたいな感じだったから……。

庵: ほんとに唯我独尊なんだから……。

片: でもね,できないって言われたらねえ,理論的にこうやればこうできるはずだ,って言われたらね,ちゃんとできるんだよね。

庵: ま,そこまで考えてる人だからね。

片: うん,だから,技術的な理論武装をいつもしてるって言うかさあ。それ言われちゃうともう,撮影も職人だからさあ,できないって言えなくなっちゃう。

これらの会話に耳を傾けていると,監督がこの作品に対してどのように関わり,そのスタッフに対してどのように接していたのか,その様子がおぼろげながらも見えてくるように思われる。

庵: これだけで水を表現してんだもんなあ。やっぱすげえ……。まあ,言い方によっちゃあ,あれだよね,手抜きの天才だよ。ほんとコストパフォーマンスがいいよなあ,宮さんのやりかたは。自分一人でどこまでやるかって逆算でやってるからね。

個人的には,この「自分一人でどこまでやれるか」という算段を立てることに関して興味を抱いた。様々な理屈はあれども,心の奥底にある本音の部分では「自分一人でできることは自分一人でやりたい」というのが,物作りに携わる人々全てに共通する欲求ではないかと思う。しかしその欲求は,特に管理を担う立場の人物にとっては,容易に受け入れられることではない。適切な管理を行うべき人物が不適当に仕事を抱え込んでしまえば,それが全体の進行に不調をきたす原因となることは明らかである。しかし,そこまで分かっていてもなお「自分一人でできること」を模索することを止めない人々は存在する。その人々は,すべての状況を了解した上で,諸々の優先順位を厳密に見極め,自らの許容量を適切に推し量り,そして自他含め全てを効率的に動かすための行動を選ばなければならない。それだけのことをこなす手腕を備えていれば,自らの自我をプロダクトに反映しつつも,プロジェクトを成功へと導くことさえ出来るのではないか。あるいは,それを備えていなければ,待ち構えているのは破滅かもしれない。

I'm a hype-fueled man

2006-09-27

Hype

hype - 俗語で,詐欺,ぺてん,誇大広告の意。 hyperbole (誇張)を語源とするスラング。

ソフトウェアの世界は hype に満ち溢れている。もったいぶった専門用語,画期的なアルゴリズム,万能な開発方法論,ストレス知らずの超高級言語,新時代のビジネスモデル,急成長企業のフォロワー,等々。そういった hype は定期的に生み出され,この世界へと投下され,本質を無視して膨れ上がり,食い尽くされ,いつの間にか潰れ,遂には最初から何も無かったかのように消え去ってしまう。

何ゆえにそのような hype が後を絶たないのだろうか? それは,その hype によって利益を得ようとする人々による「供給」と,その hype に踊らされる人々からの「需要」が,常に存在しているからに他ならない。 Hacknot の記事は,そのメカニズムを冷笑的な視点から分析する。また,小暮仁氏による @IT の記事なども簡潔にまとまっており参考になる。

「(技術的妄想から逃れるには)売り手や博学家によって生み出される hype に対して懐疑的な性格を備える必要がある。そして自らの焦点を,あらゆる技術的流行を越えたところにあるソフトウェア開発の本質や技術へと向けることである。己の時間とエネルギーは能力や技術の向上に費やされるべきであって,新たな技術の勲章を付け加える (adding another notch to your technology belt) ために費やされるべきではない。」 ― Hacknot

回避

世に溢れかえる hype の中から本質を拾い集めることは骨の折れる作業であるに違いない。しかし,ただ単に hype の溢れる話題から身を遠ざけるということだけであれば,それはさほど難しいことではない。基本的には流行りものに対して懐疑的な視点を持つだけで,随分と情報の流量を制限することができる。

例えば,上の記事において小暮氏が挙げている「IT用語寿命40冊説」などは面白い。世に同じ話題を論じる本が溢れかえっている様相は, hype が膨れ上がっている状態を反映するものとして見れる。個人的には,ある話題が Wired 誌に取り上げられることを hype 指標の一つとして考えている。基本的に消費者向けの雑誌であるのだから,そこで技術やビジネスの話題が取り上げられたとしても,それは hype 消費者に向けて放っているに過ぎない。

Hype の無い生活

しかし,そうして hype を避けることに勤しみ,懐疑的であろうと努力するほどに,その生活から刺激が失われていくことに気付くことがあるかもしれない。思えばなぜ,自分はソフトウェア開発に従事しているのだろうか? 学術的な探究心から? 職業的義務心から? 職人への憧れ? 帰属する社会(組織)の技術力の向上を願う心から? それとも単純に報酬のため? いずれにせよ,これらの動機を持つ人々は幸せかもしれない。しかし,己がソフトウェア開発に身を捧ぐ本当の動機とは,それが常に新しい刺激に満ち溢れた世界であるからではなかっただろうか? もしそうならば, hype を避けることは,己の動機の一部を失うことにも等しい意味を持っているのかもしれない。

「……つまり私は,私自身が hype を燃料として動くエンジンのようなものだったということに気がついてしまったのです。あらゆる hype が私の本質的な利益にはならないことを理解していながらも,それを敢えて食らうことをしなければ,私は私自身を動かすことさえできなくなってしまうのです。矛盾しているでしょう……でもどうやら,その二律背反する要素が,私の行動を常に決定付けているらしいのです。

AKAI MPC

2006-09-29

MPC500

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先日, AKAI Professional より新製品 MPC500 が発表された。どういった意図かは分からないが,今回の製品では極端なダウンサイジングが図られている。 B4 サイズ・重量 1.4 kg の筐体に電池駆動可能と,まるで持ち歩いて使えとでも言っているような大胆な設計である。 MPC シリーズのアイデンティティーであるところの 16 パッドを 12 パッドに減らしてしまっている点など,覚悟のほどがうかがわれる。

発売時期は10月下旬とされており,販売価格は約7万円となっている。比較的高性能な上位機種 MPC1000 が約10万円で入手可能であることを考慮すると,コストパフォーマンスはあまり良くないと感じられるかもしれない。特に,小ささに魅力を感じない人にとってはアピールの弱い製品となってしまっているに違いない。海外でも殊に否定的な意見が目立つ。

個人的には,ここまで小さく,かつ軽くなってしまえば,それは付加価値として十分に成立しうるものと感じられる。小さいながらもシーケンサー部については比較的高機能を保っている点も魅力である。ちょうど小さめのシーケンサーを所望していた所ではあるので,購入を検討してみたいとさえ考えている。

Beatmaking

AKAI Professional の MPC シリーズは,ヒップホップカルチャーにおいてスタンダード的存在として扱われている。サンプラーとして比較的簡素な設計ではあるが,その表現力の高さと操作性の良さについては広く評価されており,ヒップホップミュージックにおいてはこのサンプラー1台だけでトラックの制作を行うことも少なくないという。実際にその制作風景を収録した映像などを覗いてみると面白い。また,楽器としても優れた性質を持つことからパフォーマンスに利用されることもあり,これも映像を覗いてみると非常に面白い。