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Identicon

2007-02-01

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Don Park's Daily Habit - Visual Security: 9-block IP Identification

ブログ "Daily Habit" の Don Park 氏は,ブログのコメントに暗号化された ID を添える代わりに, ID から生成された「模様」を添えるようにした。すると……効果は一目瞭然。無味乾燥な文字の羅列が並ぶ時代からはおさらば,コメントには色とりどりの「模様」が咲き乱れるようになった。なんて素敵なアイデアなんだろう!

Park 氏はこの仕組みを "Identicon" と名付けることにした。

Identicon の模様生成のアルゴリズムは Jared Tarbell 氏の "Nine Block Pattern Generator" を基にしている。この手法では,下画像にある 16 種類の基本パターンを一定の規則に従い 3x3 のブロックに並べることによって,いわゆる「キルト模様」を作り出す。

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Image from Tarbell's website

この手法によって計 17 ビットの情報を「キルト模様」の中に織り込むことができる。 Park 氏のサイトでは,コメント投稿者の IP アドレスに salt を混ぜた上で SHA-1 にかけ,そのうちの特定のビットからキルト模様を生成し,また特定のビットから模様の色を決定している。

Identicon のアイデアは,単に審美的に優れているというのはもちろんのこと,識別をより容易にする視覚化の手法であるという点も優れていると思う――だって,でたらめな文字の羅列を見せられるよりも,カラフルなキルト模様の方が,ずっと識別しやすいと思わない?

[via Coding Horror]

Vista の壁紙と Flickr

2007-02-02

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Image from Flickr (photo by Hamad Darwish)

最近の OS に付属の壁紙は,けっこうカッコいいものが多い。昔は OS に付属の壁紙というと,どうにも垢抜けない画像ばかりが収録されていて,その使いでの無さには悩まされたものだけれど,最近は付属の壁紙だけでも,それなりにサマになってしまう感じがする。

こういったたぐいの壁紙は,通常ならばプロの写真家から買い取りで入手したものが収録される。だけど,ちょっと考えてみてほしい――例えば Microsoft ぐらいの規模の会社になると,アメリカ国内だけでも約4万人もの社員が控えているわけで,その中にはプロ級の腕前を持つアマチュア写真家が少なからずいるはずだ。もちろんその多くは,自分の作品が OS に付属の壁紙として収録されるとなれば,喜んで請合ってくれることだろう。

また,そのようなアマチュア写真家は, Microsoft 社内に限らなくても多く見つけられるはずだ。例えば Flickr などの写真共有サイトをあたれば,プロ級の腕前を持つアマチュア写真家など,ざらに見つけることができる。

Windows Vista に収録された壁紙は,そういったアマチュア写真家たちから提供されたものであることを,ブログ "The Old New Thing" の Raymond Chen 氏は明かしている。クリエイティブ・ディレクターの Jenny Lam 氏によれば,この手のアマチュア写真家には,一部のプロ写真家が持っているような「エゴ」が無いため,むしろ仕事は進めやすかったのだという。また,プロの写真家が紙媒体のために撮る「写真」が,コンピュータ画面上でも見た目に映える「写真」であるとは限らないとも指摘している。

たしかに Flickr の写真には非常に質の高いものが多く見受けられる。 Vista の壁紙として採用された写真家の一人である Hamad Darwish 氏の写真などは,個人的にも壁紙としてよく使っていたものなので,これを OS の壁紙に使いたくなる気持ちも分からないでもない。

それにしても, Microsoft がこの手のアマチュア・コミュニティの力を借りるというのは,ちょっと珍しいケースのように感じられた。面白いからいいけど!

Beatmaking in six minutes

2007-02-06

多彩なオシレーターに充実のドラムキット,複合可能なエフェクターに独創的なアルペジエイターと,即席の音作りに適した要素が満載のグルーヴ・マシン Electribe MX. 慣れれば5分で1フレーズ作れちゃうぜ! とばかりに挑戦してみたら,6分かかったという映像。ちょっと間が抜けてるけど,まあ,いいでしょう,5分でも6分でも……。

この手のメイキング物の映像は "beat making" と呼ばれる。 YouTube を "beatmaking" で検索してみると 600 件以上のヒットがある。その多くはヒップホップ系のミュージシャンによるもので,黒人のあんちゃんがサンプラーのパッドをバスバス叩く映像を飽きるほど見ることができる。

本来は「カッコいいビートをどうやって作るか」というハウ・ツーなんだけど,実際のところは機材愛好趣味が半分ぐらい含まれているんじゃないかと思う。イカした機材を面白く使いこなしたもん勝ちの世界。映像共有サイトが一般的な存在になることによってはじめて花開いた世界だと思う。

趣味的映像配信

2007-02-14

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YouTube Denkitribe Channel

軽い実験のつもりで始めた YouTube 上での映像配信が,いつの間にやら本格的な趣味になってしまった。既にアップロードした映像は29本。アカウントを作成してから約半年が過ぎようとしているから,だいたい週に1本ぐらいのペースでアップロードしていることになるんだろうか。

これまでにアップロードしてきた映像は,どれもシンセサイザーを黙々と弄り続けるという内容のものばかり。最初は,こんなマニアックな趣味に興味を持つ人がどれだけいるんだろうかと思いながら恐る恐るアップロードしていたものだけれど,サブスクライブ数が100を越えた後も順調に増え続けているところを見ると,ニッチながらも確実な需要が存在することが確かめられたのかと思う。

YouTube の膨大な利用者数の中にあっては,総ビュー数16万というのは誤差みたいなものなんだろうと思う。それでも個人的には,これだけ限定された内容でも半年で16万ビューに達したという事実は, YouTube の利用者層の広さを裏付けているように思われた。

ちなみに,最近では更に実験的な試みとして DivX Stage6 の方にも同じ映像をアップロードしてみている。こちらは未だ総計 500 ビューにも達していない。ううむ……結局のところ,観てくれる人がいるからこそ作り手側もアップロードしようと思うわけで,どれだけ画質や音質が優れているとしても,観てくれる人がいない方にアップロードしようという気には,なかなかならない。

YouTube の画質・音質の悪さは目に余るものがある。だけど, Stage6 が勝つことができるのはそれだけのこと。それ以外の大切なものすべては YouTube にある。分かりきったことだけれど, YouTube が積み上げてきたものって,本当に他には代えがたいものなんだよ!

Clever Hans

2007-02-16

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Image from Wikipedia

Damn Interesting, Clever Hans the Math Horse.

Wikipedia, Clever Hans.

The Skeptic's Dictionary, Clever Hans phenomenon.

――「賢馬ハンス」の話を知ってる?

今から百年ほど昔の話,ドイツにヴィルヘルム・フォン・オステン (Wilhelm Von Osten) という名の数学教師がいた。彼は趣味で馬の調教をするかたわら,骨相学などの神秘的な概念に高い関心を持っていた。また,それらの趣味の影響なのか,「動物には人間が考えている以上の知性があるに違いない」という考えを持っていた。

彼は実際に,猫や馬や熊に算数を教えるという奇妙な実験を行っている。猫や熊については,まあ当然のごとくと言うか,その試みは失敗するのだけれど,彼の調教するアラビアン・スタリオン種の馬だけは,彼に希望を抱かせるような反応を示した。その馬の名をハンス (Hans) という。

じきにハンスは,黒板に書かれた数字の回数だけ蹄で床を叩くという動作を覚える。オステンが黒板に「3」と描けば,ハンスは床をコツ・コツ・コツと3回叩く。また,さらに訓練を続けると,簡単な算数の計算もこなせるようになったという。足し算・引き算はもちろんのこと,掛け算・割り算もできるようになったというのだから,驚かないわけにはいかない。

その後も訓練は次第にエスカレートしていき,最終的には口頭での高度な質問にまで答えることができるようになったという。例えば,「もし月の初めが水曜日の場合,次の月曜は何日になる?」と問えば,6回床を叩く,といった具合に。

もしこれらの芸当が本当に「動物の持つ知性」によるものだとすれば,世間の注目を集めないはずはない。「賢馬」ことハンスの存在はドイツ中の話題となる。

もちろん,ハンスの「知性」を疑う人々も存在した。哲学者・心理学者として有名なカール・シュトゥンプ (Carl Stumpf) は 13 人の専門家から構成される「ハンス委員会」を編成し,ハンスの「知性」の真贋について本格的な調査を展開することになる。でも結局のところ,この 13 人の専門家たちは,オステンとハンスの行為に怪しいところを見つけることができなかった。周囲からの邪魔が入らないようテントを張り,質問者をオステン以外の人物に代えたうえで実験を行っても,やはり正答することができたというのだから,これは本物だと考えてしまっても無理はないのかもしれない。

ここでバトンは心理学者のオスカー・フングスト (Oskar Pfungst) へと渡されることになる。彼は様々な条件のもとで試行を繰り返した結果,ある興味深い発見に至る。それは,質問者が正解を知らないという条件のもとで実験を行うと,正解率が 6% にまで落ち込むというものだった。

次にフングストは,ハンスではなく質問者の方に注目してみることにする。注意深く観察を行ってみると,質問者の姿勢や表情,呼吸などの諸動作が,ハンスが床を叩く度に,僅かながらも次第に緊張を帯びたものへと変化していくことに気づく。そしてハンスが正解の回数の床を叩き終えると,それらの緊張が質問者の身体から解き放たれる。ハンスは,その僅かな変化を感じ取って,床を叩くのを止める――ただそれだけのことなのだった。

彼はその仮説を実証するために,自ら「馬」の役になって,質問者の動作を手掛かりに回答を行うという実験を行った。その結果,9割の質問者が正答に十分な「手掛かり」を与えたという。また,もし質問者がこの仮説のことを知っていて,その動作を無くすよう注意を払ったとしても,その動作を完全に抑制することはできなかった。つまり人間は,全く無意識のうちに自らの意思をそのような「動作」に織り込んでしまう習性を持っていて,それを意識的に抑制することはできないということなんだろう。

結局のところ,賢馬ハンスは本当の知性を持っているわけじゃなかった。それでも,いくつかの重要な教訓は残してくれた。

ひとつの教訓は,実験者の期待が実験結果にバイアスを与えるという「実験者効果」 (experimenter effect / observer-expectancy effect) の問題を明らかに示したこと。人間や動物を対象とする学問――例えば比較心理学や認知心理学,社会心理学などにおいては,このような「ハンス効果」による問題がどうしてもつきまとう。それを打ち消すための工夫を凝らさなければ,事象を客観的にとらえることができない。例えば,実験者側も実験に関する情報を持たない状態に置くという二重盲険 (double blind) の手法などは,この効果を打ち消すための確実な方法のひとつだと言える。

もうひとつの教訓は……ハンスは決して賢かったわけじゃなくて,単に周囲の「空気を読む」ことに長けていたというだけなのに,あたかも知性があるように見えてしまった,ということ。比較的簡単な問題に取り組む限りでは,自分自身に知性が無くたって,空気を読む能力さえあれば賢そうに振舞うことができてしまう。でも実際には自分自身に問題を解決する能力があるわけじゃないから,独りで問題を解決する必要に迫られると,途端に何もできなくなってしまう。

さて,「本当の知性」と,空気を読んでいるだけの「紛い物の知性」,そのふたつを正確に見極めることはできるかな? たぶんそれには,オスカー・フングストが備えていたような懐疑的思考と,鋭い観察眼が必要になるんだろうと思う。

Clever Alex

2007-02-19

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Image from the Alex Foundation website

Irene M. Pepperberg, Jesse D. Gordon. Number Comprehension by a Grey Parrot (Psittacus erithacus), Including a Zero-Like Concept. Journal of Comparative Psychology, Bd. 119 (2), S. 197.

百年前の「賢馬」は紛い物だったけど,現代には「賢鳥」ならば居る……と言ったら,信じられるかな?

「賢鳥」ことアレックス (Alex) は灰色オウム――いわゆるヨウム(洋鵡)の個体で,マサチューセッツはブランダイス大学で比較心理学を研究するアイリーン・ペッパーバーグ助教授によって飼育されている。今年で30歳になるこのヨウムは100個ほどの英単語からなる語彙を持っていて,物体の名前や色の名前を操ることができるという。また,簡単な数の概念も持っているらしく,数詞を操ることもできるとされている。

上の論文では,アレックスが持つ数の概念について調査を行っている。実験はこんな感じで行われる。

トレイの上にはジェリービーンズがランダムに配置されている。そのうち,2つは青色,5つはオレンジ色,6つは灰色である。質問者はアレックスを凝視しながら問いかける――「5つは何色?」 ("What color five?") するとアレックスは答える――「オレンジ!」

このような試行を74回繰り返したところ,アレックスはそのうち66回を正答したという。つまり89%の正解率ということになる。ちなみに,この実験のために特殊な訓練などは行っておらず,むしろ逆に,訓練効果が現れてしまわないよう,1日に2回以上の試行は行わないなどの工夫を行っている。つまりこの結果は,アレックスがこれまでに習得した能力の純粋な応用によるものであるととらえることができる……ということになるんだろうと思う。

興味深いのは,トレイの上に無い数を問いかけた場合(上の例ならば「3つは何色?」など)の反応だ。アレックスは咄嗟に「無い」 ("none") と答えたという。もともとこのような試行を行う予定は無かったのだけれど,偶発的に問いかけてみたところ,たまたま別の実験で教えていたこの単語が返ってきた。ペッパーバーグらはこれを,アレックスが「ゼロのような概念」を持っている証左になるのではないかと考えている。

アレックスと「ゼロのような概念」については Wired の記事が非常によくまとまっていて参考になる。

さて,現代の「賢鳥」に見られた原始的な知性は,果たして本物だろうか? 件の論文は恐らく学会の査読を通っているだろうから,比較心理学において最低限備えられるべき信憑性は備えているということになるんだろうか。

「鳥頭にだって,数を数えることぐらいできる。それどころか,ゼロみたいな概念だって存在するらしいんだ。」――これを定説にしちゃってもいいかな。

Zero is a natural number

2007-02-20

ああ,つまり,何が言いたかったのかというと……「鳥頭にも『0のような概念』はあったんだから,0を自然数として扱うことにためらいを覚えなくてもいいんじゃないか」ということ。

Natural number. Wikipedia.

自然数. Wikipedia.

Is zero a natural number? Everything2.com

Edsger W. Dijkstra. Why numbering should start at zero. EWD831.

Stefan Ram. Numbering Starts with Zero.

たしか,高校の数学の授業では,0を自然数に含めないかたちで教えていたと思う。初期の文明においては,0の概念の使用が非常に限られていたことを考えると,0を「自然な数」とすることには抵抗があるのかと思う。

でも,自然数の集合論的な定義を行うならば,0は自然数に含めておいた方が都合いい。解析学のコーシーも,数学原論のブルバキも,0は自然数であることを好んだ。我らがダイクストラだって,0は「最も自然な数」ってことにして,0からナンバリングを始めるようにした方が都合いいと主張した。

ヨウムのアレックスにも,0の概念は芽生え始めていた……とするならば,案外「0」って,みんなが考えているほど特殊な概念じゃないんじゃない?

The Problem with C++

2007-02-21

C++ に悔い無し

Jason Pontin. The Problem with Programming. Technology Review. November 28, 2006.

Jason Pontin. More Trouble with Programming. Technology Review. December 07, 2006

Technology Review: C++ は多くのプログラマから批評され,かつ憎まれておりながらも,同時に非常に広く用いられているという事実に関して,あなたでしたらどのような説明を行いますか?

Bjarne Stroustrup: ざっくり答えると,言語には次の2種類しか存在しないということです――皆が不満を顕にするものか,あるいは,誰も使いもしないものか,です。

Technology Review 誌による Stroustrup へのインタビュー記事。現代のソフトウェアが抱える諸問題についての話題を軸としながら,氏のプログラミングに対する科学的あるいは工学的な視点をうかがう。 C++ の設計に関して悔やむところなど何も無いと述べる氏の語り口は非常に明朗としていていっそ清々しい。

16進なら1桁台

Sutter's (Online) Mill. ISO C++0x: Complete Public Review Draft In October 2007?

「xは16進にならなくて済みそうだ」って言えるようになるかもよ。

C++0x の "0x" ってのは,たしか, 200x 年のうちに完成させようという目標を表していたはず。それが今さら「xは実は16進なんです……」なんてのは,「今年でハタチになっちゃったよー(16進で)」なんて言ってるおっさんみたいでしょうもない。今のところ, 2009 年 10 月には仕上げる予定でいるらしいけど,どうにもギリギリの設定で少し怖い。しかし,たとえそれが守られたとしても, ISO の承認が下りて発行に至るのは,どうやっても 2010 年になってしまうそうで……結局のところ "C++0a" になってしまうことは避けられないように見える。だめじゃん!

平均顔の美

2007-02-23

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Image from Face Research Lab

人が人の顔を美しいと感じる基準ってなんだろう? これは深遠な問いかけのように思われるけれど,それに答えることは意外と簡単かもしれない――みんなの顔の中間をとった「平均顔」こそが,最も美しいのかもしれないというのだから。

19世紀末のこと,優生学の開祖として有名な Francis Galton は,何人もの犯罪者の顔写真を合成することによって「典型的な犯罪者の顔」を割り出すことができるのではないかと考えた。しかし,実際に14人の犯罪者の顔写真を合成して得られた結果は,決して凶悪さを感じさせるような顔ではなく,むしろ魅力的に感じられるような顔であったという。

Galton をはじめとする顔写真合成の試みは,「平均顔は魅力的になる」という心理学上の定説をもたらした。時が経ち写真のデジタル合成が可能になると, Galton が行ったよりも遥かに高い精度で同様の実験を行うことが可能になる。どうもこの種の実験は人々の関心を集めやすいらしく,ウェブ上でも同様の実験をいくつか見つけることができる。

ドイツはレーゲンスブルク大学の Martin Gründl 博士は,顔の「美しさ」に関する長期研究を行っており,その結果をウェブサイト Beautycheck において公開している。ここでは「平均美顔仮説」の検証のほかに,対称性と美しさの関係や,「童顔性」と美しさの関係など,他の様々な仮説の検証も行っており,非常に興味深い内容となっている。

イギリスはアバディーン大学の Lisa Debruine と Ben Jones によって運営されている Face Research Lab のウェブサイトでは,同研究室による様々な研究の結果が公開されている。また,オンラインデモのページでは,実際に平均顔の合成を行ってみることができるようになっている。上の画像はこのオンラインデモを使って合成してみたものなのだけれど……どうだろう,見事な「平均美顔」じゃないかな?

ところで,なぜ平均顔は魅力的に感じられるんだろう? この問いに答える有力な仮説は,自然選択に起因するというものだ。ある人が平均的な容姿を持っているということは,その人が健康体であることを示唆していると考えられる。種の保存という目的からすれば,パートナーに健康体を選ぶことは重要な条件となるはずだ。ゆえに,健康的なパートナーを選択するという目的から,「平均的な容姿」に魅力を感じるようになっていったのではないか。

カリフォルニア大学の Piotr Winkielman 助教授は,これとは少し異なった仮説を提示する。曰く,人間の脳は「標準形」 (prototype) に近いものほど受け入れやすくなるようにできている。それがゆえに,「顔の標準形」――つまり「平均顔」を,受け入れやすいもの,心地よいものとして感じているのではないだろうか。

Piotr Winkielman, Jamin Hallberstadt, Steve Catty. Prototypes are attractive because they are easy on the mind. Psychological Science, 17. 799-806.

Maggie Wilttlin. Beauty is in the Processing - Time of the Beholder. Seed magazine.

この論文に関しては瀬山淳一郎さんによる解説が分かりやすくて良い。ただ,解説を読めば分かるように,この実験は単なるランダムドットパターンに対する人々の反応を測ったに過ぎない。抽象性が高くて便利な仮説であることには違いないけれど,果たして,ドットパターンの持つ「魅力」と,人間の顔の持つ「魅力」は,同じ次元で語られるべきものだろうか?

ともあれ,平均顔が美顔になるという傾向が確かであるとしても,すべての美顔が平均顔になるというわけではない。人間の美的感覚は平均パターンで割り切れるほど単純なものではないだろう。それに,美顔と呼ばれる人々が,みんながみんな同じ平均顔じゃあつまらない。平均顔から遠くても美しさを感じさせるものがあるとすれば,それこそが本当の人間的な美しさであると言えるんじゃないかな。

[via Mind Hacks]

フリッカー融合

2007-02-28

蛍光灯のひみつ

蛍光灯は,実は1秒間に100回も点滅しているんだよ。でも,その点滅があまりにも速いものだから,人の目には点きっぱなしのように見えるんだ……。

そんな話を子供の頃,科学読み物のたぐい(学研の学習マンガかな)で目にした記憶がある。これは,子供にしてみればかなり不思議な話だと思う。ただ,「速いものは,人の目にはよく見えない」ということは誰もが経験的に理解していることなので,なんとなく受け入れることができるんだろうと思う。

実際には,1秒間に100回も点滅させなくてもいい。もう少し低い周波数でも,人の目は点滅を感知することができなくなる。その「点滅を感知できなくなる限界の周波数」を,「臨界融合周波数」 (critical fusion frequency; CFF) あるいは「フリッカー融合閾値」 (flicker fusion threshold) と呼ぶ。この周波数は光源の明るさによって変化する性質があって,だいたい 30 Hz から 60 Hz の間で変化する。

映画とフリッカー

このフリッカー融合の現象は,映画の原理の説明にも使われる。映画は,画像を途切れなくスクリーンに映しているわけではない。コマ(フレーム)を入れ替える瞬間にいったん映像を遮断しなければならない。この「映像を遮断する頻度」が臨界融合周波数(以下 CFF と略する)よりも低いと,遮断の際に発生する暗転が,人の目に「ちらつき」(フリッカー)として感知されてしまう。 CFF よりも高ければ,暗転は人の目に感知されず,連続した映像として認識されるようになる。

それじゃあ,例えば 50 Hz ぐらいを CFF と前提して,秒間50コマで映画を撮ればいいのか……というと,実はそうもいかない。今はともかくとしても,昔は特にフィルム代がばかにならなかったから,コマ数は節約するに越したことは無いと考えられていた。それに実のところ,「動き」を表現するためには秒間16コマ程度あれば何とかなるということも分かっていた。単に秒間16コマではフリッカーが目立ってしまってしょうがないというだけで,逆に言えば,フリッカーさえなんとか抑えることができれば,秒間16コマでも映画が作れるということを意味していた。

羽根シャッター

そこで先人は考えた――要するにコマ数は増やさずに,暗転の頻度だけ上げればいいんじゃないか。これを実現するために導入されたのが2枚羽根シャッターないしは3枚羽根シャッターと呼ばれるもので,これにより同じコマを映す間にも2,3回の暗転が入れられるようになった。すると,秒間16コマの映像でもフリッカーは感じられなくなるのだという。

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Image from U.S. Pat. 6513932

羽根シャッターというのは,例えば上の図(この図は映画の投影機の特許文書より転載)のフィルムの前にある風車の羽根のような構造のことで,これが回転することにより瞬間的に光を遮るようになっている。秒間16コマのフィルムでも,3枚羽根シャッターを使って1コマの間に3回光を遮れば,秒間48回の点滅となり, CFF にかなり近づけることができる。

この機構は昔に限ったものではなくて,今もなお使われている。近代的な映画に使用されるフィルム規格は秒間24コマが標準で,それを2枚羽根シャッターで48点滅にしたり,3枚羽根シャッターで72回点滅にしたりする。デジタルプロジェクターになると,そもそも原理的にシャッターを必要としないはずなのだけれど,それでもなお羽根シャッターは搭載されている(搭載しない機種も存在する)。

フリッカーの不思議

……と,ここで振り返ってみると,少し不思議なことがある。そもそもフリッカーを無くしたいという話のはずだったのに,最終的には,フリッカーの原因となる暗転の頻度をいかに増やすかという話に擦り替えられている。ちらつかせればちらつかせるほど,逆にちらつきが見えなくなる……というのは,一体どうしたことだろう?

この話は,液晶テレビの「擬似インパルス駆動」や「黒画面挿入」といった技術を連想させる。液晶が普及を始めた当時は,原理的にフリッカーの発生し得ない安定した画質が, CRT からの移行メリットのひとつとして強調されていた。それが,テレビ放送などのように動きのある画面を扱うようになってくると,今度は残像が気になり始めてしまう。この残像を抑えるために液晶の応答速度を上げる技術の開発が数多くなされてきたのだけれど,それが最近では「液晶で如何にフリッカーを再現するか」という技術を競い合うところにまで行き着いてしまった。

結局のところ,自然な映像を見せるためには,映像をちらつかせるべきなのか,ちらつかせるべきでないのか……。目指すべきところが何処にあるのか,わけが分からなくなってくる。

さて,この話の教訓は,「人の目は周囲で起こっている物理現象をそのままに感知しているわけではない」ということ。フリッカーにしてみても,光源の点滅という物理現象がすなわちフリッカーとして感知されるわけではない。その現象が網膜でどのように受容され,それがどのように脳へと伝えられ,そして脳内でどのような心理効果が生み出されているのか――それらに着目しなければ,最終的に人が目にしているものの姿を把握することはできない。機器の物理的な特性や,現象の物理的な側面に着目するだけじゃあ,答えを得ることはできないんだ。