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網膜残像に非ず

2007-03-06

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Photo by Pam Roth

映画が1秒間に何コマの画像から構成されているか知ってる? 答えは,ええと,方式によって様々だけど,一般的には24コマ。これは基礎知識だから,知ってる人も多いはず。それじゃあ,次の質問には答えられるかな……。

なぜ,1秒間に24コマの「静止した画像」が,連続してスクリーンに映し出されるだけで,「動く映像」へと変わるんだろう?

よくよく考えてみると,これはとても不思議なことだと思う。現実世界における「物の動き」には切れ目がなく,どこまでも連続的に変化し続ける像として人の目に映されているはず。他方で,映画を構成する「コマ」は,ひとつひとつは単なる静止画に過ぎない。しかもその静止画は,瞬間の暗転によって常に断続されているという。そのようなものがなぜ,人の目には,実世界における「物の動き」と同じように知覚されるというんだろう?

映画作りの古い教科書なんかを覗いてみると,こんな風に書かれているかもしれない――人の目に映された像は,ごく短い間「残像」として網膜の上に残る。この「網膜残像効果」によって,コマとコマとの間が滑らかに補われ,実際の物の動きのように知覚されるのである……と。

これはもっともな説明のように聞こえるかもしれないけれど,恐らく正しくない。セントラル・アーカンソー大学の Joseph Anderson 助教授は,映画と動き知覚についての研究の歴史を紐解きながら,この「網膜残像効果説」が既に時代遅れの説であることを記している。

Joseph Anderson, Barbara Fisher. The Myth of Persistence of Vision.

Joseph Anderson, Barbara Anderson. The Myth of Persistence of Vision Revisited.

曰く,網膜残像は光刺激が与えられてから即座に発生するわけではない。刺激が消えてから正残像が発生するまでには50ミリ秒ほどの遅延が存在する。50ミリ秒と言えば,1秒48コマで勘定して2コマ以上の間隔に相当する。そのような反応の遅い現象が,コマとコマの間を補うのに役立つとは思えない。

それじゃあ,網膜残像が映画の原理でないとしたら,いったい何が映画を「動く映像」へと仕立て上げているんだろう? 100年前ならば,この話題はゲシュタルト心理学における格好の議論のネタになったかもしれない。心理学の分野においては,このような「静止画から動きが知覚される現象」のことを仮現運動 (apparent motion) と呼ぶ。心理学の資料を少し漁ってみれば,そこから仮現運動に関する様々な考察を見つけることができる。

ただ,仮現運動をはじめとする心理学上の議論は様々な知見を与えてくれるものの,少し哲学じみていて息苦しい(理屈だけで議論を進めるというのがどんなに難しいことか……)。これが最近になってくると,視覚心理学は脳神経科学と重なる領域が広がってくる。こちらはいかにも科学的な香りがして,ちょっと興味をそそられるものがある。

この辺りの話題を簡潔にまとめた日本語の資料としては,蘆田宏氏による「動き知覚と動画の認識」が参考になる。この資料からも分かるように,動き知覚には様々な側面があって,単純な信号処理と同じ次元でとらえることはできない。1秒24コマの静止画が「動く映像」へと変わるカラクリだけとってみても,何か一つの説明で片付けることなど,とてもできないんだって。

失われた色の話

2007-03-19

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Photo by Bob.Fornal (from Flickr)

人間の目は色彩よりも明暗に対して敏感に反応する。普段そのことを意識する機会は少ないかもしれないけれど,例えば JPEG なんかをはじめとする非可逆画像圧縮技術では,輝度成分と比較して色彩成分の情報を大きく削ることによって,人の目には目立たないかたちで情報量を減らすという工夫をしていたりする。人間の目がもっと色彩に敏感だったら,こういった技術は生まれなかったかもしれないね。

それじゃあ,なんで人の目は色彩に鈍感なんだろう? 解剖学的な視点でとらえると,網膜内にある錐体細胞の密度が低いから,と言うことができる。錐体細胞 (cone cell) というのは色彩を知覚するためにある視神経細胞の一種で,これに対して明暗を知覚するための細胞は桿体細胞 (rod cell) と呼ばれる。人間の目には桿体細胞が約1億個も備わっているのに対して,錐体細胞は600万個程度しかない。1次元的な輝度情報よりも,2次元的な広がりを持つ色彩情報の方が情報量は多いはずなのに,それに反して受容器の数は少ないというのだから,鈍感になったとしてもしょうがないかもしれない。

すると,次の疑問が湧き上がってくる――なぜ桿体細胞と比較して錐体細胞の数は少ないんだろう? 実は,これは人間に限った話ではなく,哺乳類全体の傾向として当てはめることができる。逆に言うと,哺乳類以外の動物は概して哺乳類よりも優れた色覚を持っている。鳥類も魚類も爬虫類も,みんな人間よりも多くの色が存在する世界の中に生きているんだ。

遠く遥か昔,哺乳類の祖先となる種が生まれた頃のこと(約1億2500万年前),大型爬虫類が地上を跋扈する世界において,哺乳類が最初に適応していったニッチ(生態的地位)とは,他に活動するもののいない闇夜の世界だった。その前後の数千万年という長い期間をもっぱら夜行性生物として過ごした哺乳類にとって,微弱な光の変化を知覚することのできない錐体細胞は不要なものだったんだろう。錐体細胞は次第に失われ,代わりに桿体細胞が生存上の重要性を持つようになっていった。

哺乳類以外の動物には,幅広いスペクトルをカバーするために4種類の錐体細胞が備わっている。しかも,最も短い波長をカバーする錐体細胞は,人間の視覚では知覚されない紫外線の領域までカバーしている。それが,哺乳類へと進化する過程において,長波長型 (LWS) と短波長型 (SWS) の2種類にまで減らされてしまった。ほとんどの哺乳類は今でも2種類の錐体細胞しか持っていない。つまり,哺乳類の大部分は「三原色」 (trichromacy) ならぬ「二原色」 (dichromacy) の世界に生きていると言える。

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4色型色覚と2色型色覚の対比模式図(DIY Calculator より引用)

これでいちおう,色覚の弱さについては説明がついたとして,最後に疑問が残される――ではなぜ,「二原色」が基本の哺乳類の世界において,人間は「三原色」を持っているんだろう? これについては,人間の祖先となる旧世界サル (Old World primate) の一部が,森林環境へと適応していった結果ではないかとされている。森林において果実を探すため,あるいは草木の若芽を見分けるため,あるいは仲間の顔色をうかがうため……説は様々にあるのだけれど,ともかく,人間の祖先は他の哺乳類が必要とするよりも多くの色を見分ける必要があったらしい。

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人間の錐体細胞の応答曲線(Wikipedia より引用)

このような淘汰圧 (selection pressure) を受けて,人間の祖先は LWS 錐体細胞から分化した中波長型 (MWS) 錐体細胞を得るにいたった。この MWS 錐体細胞は,X染色体上に存在する LWS 錐体細胞の遺伝子が遺伝子重複を起こし,それがさらに変異することによって得られたと考えられている。現在の人間の網膜において, LWS は黄緑辺りの 564 nm の波長に, MWS は真緑辺りの 534 nm の波長に,それぞれ合わせられている。

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SWS, MWS, LWS の応答ピークに対応する色,よく言われる三原色 "RGB" には対応していない点に注目(Wikipedia より引用)

人間の祖先は,哺乳類が長らく失っていた「3つめの色」をふたたび獲得した。比較的短い期間で得たものだから,鳥や魚の「四原色」 (tetrachromacy) と比べたらかなり危ういものだけれど……まあ,それなりにいいものであることは,みんなよく知っているとおり。

ただ,X染色体上の重複遺伝子として遺伝されるということは,さらなる変異の可能性をも残すということを意味している。男性はX染色体を1個しか持たないゆえに,色覚の変質を発現しやすい。全男性の約5%という非常に高い割合で赤-緑色盲が発現するということの背景には,そんな事情が存在している。

参考資料

月夜が蒼く映える理由

2007-03-22

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Image from Khan's paper

Saad Masood Khan, Sumanta N. Pattanaik. Modeling Blue Shift in Moonlit Scenes by Rod Cone Interaction. Journal of Vision, 4(8), 316a.

――星の光何ぞ薄き。氷川の森も淡くして煙と見ふめり。静かに立ちてあれば、吾側なる桑の葉、玉蜀黍の葉は、月光を浴びて青光りに光り、棕櫚はさやゝゝと月に囁やく。虫の音滋き草を踏めば、月影爪先に散り行く。露のこぼるゝなり。籔の辺りには頻りに鳥の声す。月の明きに彼等の得眠らぬなるべし。開けたる所は月光水の如く流れ、樹下は月光青き雨の如くに漏りぬ。 (「良夜」徳冨蘆花)

月明かりに照らされた景色は,人の目に青く見える。都市部に住んでいると,夜もいたるところに人工の光があるから,月明かりなんて言ってもピンとこないかもしれないけれど,まあ,なんとなくのイメージでいいから想像してみてほしい。例えば,上にあるふたつの画像,暗い夜の雰囲気がよく出ているのはどちらだろう? どちらかと言えば,右の画像の方が夜っぽいと感じられないかな?

なぜ月明かりに照らされた景色は青く見えるんだろう。月の光に青色の成分が多く含まれているから? そう思って実際に月光のスペクトルを調べてみると,そこには長波長(赤色)の成分が多く含まれていることが分かる。むしろ昼間の日の光よりも赤いぐらいなんだって。

そんなわけだから,月夜の景色を普通に写真で撮影すると,上図左のような,むしろ暖かみのある画像になってしまう。これはこれで悪くないけれど,月の光の冷ややかさを表現するには少し物足りない感じがする。それで,写真や映画の撮影においては,月夜の「冷ややかさ」を表現するために,レンズに青色のフィルターを取り付けたりすることがある。

本当は赤く暖かい月夜が,人の目にはなぜ青く冷ややかに映るのか―― Khan らはこの「青方偏移」 (blue shift) 現象を,目の網膜にある桿体細胞と錐体細胞の相互作用によって生じるものであるとの仮説を提示している。

通常,桿体細胞 (rod cell) は光の明暗を感知し,これを桿体双極細胞 (rod bipolar) へと伝える。錐体細胞 (cone cell) は光の「色」を感知し,これを錐体双極細胞 (cone bipolar) へと伝える。下の図はこれらの経路の関係を簡略に表している。

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Image from Khan's paper

長い間,この二つの経路はまったく独立したものとして考えられてきたのだけれど,近年の研究において,これらの経路には相互作用があることが明らかになってきている。 Kahn らはその中でも, 0.01 cd/m2 から 0.05 cd/m2 という非常に微弱な光量において形成される特殊な経路――別名「月光回路」 (moonlight circuit) に注目した(ちなみに典型的な月夜の光量は 0.03 cd/m2 程度とされる)。

「月光回路」は特に最近の研究によって発見された経路で,上の図では青の線によって表されている。非常に微弱な光量の環境下において,桿体細胞が発する信号のうち約 20% が,この経路を通って錐体双極細胞へと伝えられているとされる。

Kahn らはここでひとつの仮説を提示する。何らかの理由によって,この経路は短波長用の錐体双極細胞――つまり「青」を感じる神経細胞――へと繋がる分しか働いていないのではないか?

この仮説に基づいて心理物理モデルを構築し,画像を変換するフィルターを構築した。「月光回路」が有効になるような光量においてはそもそも錐体細胞が働かないので,基本的に画像はモノクロとなり,輝度の 20% が「青み」として加えられることになる(実際にはもう少し複雑な変換を行っている)。こうして出来上がったのが,最初の図の右側の画像。どうだろう……ちょっと青過ぎる気もするけれど,雰囲気はよく出てるんじゃないかな。

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Image from Khan's paper

さて,最後に残された疑問は,なんでこんな仕組みが人の目には存在するんだろう,ということ。暗闇における目の感度を少しでも引き上げるため? それとも,桿体細胞が錐体細胞から分化したことの名残りだろうか? この疑問はいまだ網膜の進化に関する謎のひとつとして残されており,答を知るには今後の研究に期待するしかない。ともかく重要なのは,「輝度」と「色彩」は単純に分離することのできる概念ではないということ。人の目は,ときにはその二つの成分を組み合わせることによって,特殊な状況にも適応できるようになっているんだ。

4つの色の世界

2007-03-24

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Image from Wikipedia

Timothy H. Goldsmith. What Birds See. Scientific American. July 2006.

光の三原色と言えば? もちろん,「赤・緑・青」の3色。基本的に人間が目にする色は,すべてこの3つの色の組み合わせで表現することができる(三色性)。この三原色の概念は,人間の目の網膜に3種類の錐体細胞が備わっていることに由来する。

ところで,哺乳類以外の動物――例えば鳥類の多くには,4種類の錐体細胞が備わっている。するとこれらの動物には,「四原色」の概念があるのではないかと考えられる(四色性)。

しかも,これらの動物に備わっている錐体細胞の中には,人間が知覚することのできない紫外線の領域まで受容するものがあるという。つまりこれらの動物は,単に色覚が人間より優れているというだけではなくて,人間が目にすることのできないものまでを「色」として見ているということになる。

例えば,下の画像はエゾツルキンバイ (Potentilla anserina) の花を,特殊なフィルターを通して撮影したもの。紫外線反射率の違いが写真に映し出されている。人間の目には黄一色の花にしか見えないのだけれど,紫外線を「色」としてとらえることのできる目にならば,そこには鮮やかな模様が見えるんだろう。

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Photo by Bjørn Rørslett/NN

紫外線を見ることのできる目を持った鳥や蜂などは,この「人には見えない模様」を普段から目にしている。 "Flowers in Ultra-Violet" のページには他にも様々な花の写真が載せられている――人には見せることのない花の姿が,こんなにも存在したなんて!

もちろん鳥自身も,紫外線の模様を自らの体の彩りに使っている。ミネソタ大学は Muir Eaton の研究によれば,人間の目には雄雌を判別することのできない鳥種を 139 種選び出し,その羽毛の紫外線反射率を調べたところ,その9割以上が「人の目には見えない模様」を持っており,鳥の目には雄雌の判別が可能であることが明らかになったという。鳥の雄雌って見た目には分かりにくいよね……と思っていたら,実はしっかり見た目でアピールしていたという話。

人間の目のような三色性においては,明度を分離した色の成分――つまり「色度」 (chromaticity) は,下図左のような二次元平面上に表すことができる。これが四色性になると軸がひとつ増えて,下図右のような三次元空間へと広がるものと考えられる。

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Image from Scientific American

人間の目は,色度に「高さ」の軸があることを知らない――そう考えると,人間が知覚することのできる色の世界なんて,とても狭いもののように感じられてくる。きっと紫外線を見ることのできる目にとっては,花々は驚くほどの彩りに溢れていて,空の色は目まぐるしく変化し続けるものとして映るんだろう。そして恐らくは,哺乳類がもつ体の色なんて,恐ろしく味気無いもののように見えているんじゃないのかな。